19.私が抱えるもの
中嗣は一度華月の太腿に覗くそれから視線を外して、彼女の顔を見た。
すぐに目が合ったのは、華月こそが中嗣の顔色を窺っていたからに他ならない。
「触れていいか?」
「もっと気持ちが悪くなるよ?」
「大丈夫だよ、華月。私は今も気分を害していないからね」
中嗣が華月の頭を撫でると、華月は長衣の裾を大きくずらし、右の太腿を露わにした。どうぞ、ということだ。
一見すると赤黒く爛れているその肌を、注視する者はまずいないだろう。優しさ、あるいは同情、もしくは嫌悪や侮蔑から、ほとんどの者はすぐに目を逸らすものである。
そしてたとえ長く見る者があったとしても、余程目を凝らさなければ真実には気付けない。
中嗣が即座にその瞳に真実を捉えられたことだって、すでに得た知識のたまものだった。
赤黒く見える理由は、赤紫色に残る火傷痕の上に、黒い影が重なっているからである。
その影が肌の焦げた痕ではないことは、さらに目を凝らしたのちに気付くことが出来るものだった。それは細かい文字の羅列により成り立つものだったのだ。
黒く小さな文字が寄り集まって、火傷痕に影を差す。しかもその字は、先まで見ていた書に描かれたあの円形の図を形作る字にとてもよく似たものだった。
中嗣が見ているものは、これをただの火傷痕だと言い切ったあの医者がいかにくわせものだったかと証明するものでもあった。
あとで如何なる対処をするか、瞬時に判断しながら、中嗣は華月の頭から手を離すと、ついにその異質な肌へと指先を伸ばす。
中嗣の指の腹が、確かに華月の赤黒い肌に重なった。
が、次の瞬間には、中嗣が勢い手を引いてしまったのである。
「気持ち悪いよね?」
「いや、そうではないよ……ふむ」
中嗣は触れた直後の指の腹を眺めてから、もう一度手を伸ばした。
今度は長く触れていられたが、中嗣の様子が何かおかしい。
空いた手を顎に沿えると、考え込むように難しい顔をしたのだ。
それは決して気味が悪いといった拒絶を示すものではなかったので、場違いにも華月はふわりと軽やかに微笑んでしまうのだった。
応えるように中嗣も笑みを零したが、それでも中嗣は何か気になるらしく、難しい顔に戻して華月にこう問うた。
「今は足の熱はどうだ?いつもより熱く感じていないか?」
華月は首を傾げて、自身でも太腿に触れてみた。中嗣の言葉の意図が分からず撫でてもみたが、さらに首を傾げてしまう。
「いつもこれくらいだよ?」
「ふむ。とすると、これは……ふむ」
「どうしたの?」
中嗣は赤黒い肌の表面を撫でるように手を動かしたが、華月がくすぐったいと笑うこともなかったので、さらに聞いた。
「感覚はないのだね?」
聞きながらも、中嗣はこの火傷痕の状態をつぶさに観察している。
その範囲は太腿の前面全体に広がっていて、これが両方にあるのかと思えば、歩きにくい理由も伺えた。どこまでの深さで火傷をしているかは羅生が診なければ分からないが、これだけ広範囲に火傷を負えば、皮膚の内側にも多大な影響を与えているだろうことは中嗣にも予測が出来る。
「表面だけね。強く押すと流石に分かるよ」
「少し押してもいいか?」
「どうぞ」
「これなら分かるか?」
「うん。押していると分かる」
「痛みは?」
「平気だよ。痛くない」
黒い影が完全に火傷痕を覆い尽くしているわけではないことも中嗣は知った。
しかも影のないところ、赤く爛れた皮膚だけが残る部位には、熱がない。感触も違う。
これが意味するところは――。
中嗣が長く難しい顔をしているから、華月も心配になってきたのだろう。
「気持ちが良いものではないでしょう?もう手を離した方が……」
「いや、触れられて嬉しいのだよ。ずっと触れていたいくらいで……いや、うん、本当のことだが……今は置いておくとして。これは拒絶だろうかと考えていてね」
「拒絶って?」
「この文字の部分に熱が溜まるのだね?」
「うん。そうだけど」
「触れて手を離したくなるほどに熱いと感じたことはあるか?」
「えぇ?」
華月は急いで中嗣の手を払おうとしたが、むしろその手を押さえられて、もう片の手によってしっかりと手のひら全面で太腿を撫でられるのだった。
中嗣の手のひらへと伝わる感触は、およそ肌のそれではない。
まず温度が異常であるし、表面はぶよぶよと柔らかく、その柔らかさは少し押してみれば指が沈んでいくほどのものだった。
赤黒い見目からすると、固く突っ張っているように見える肌が、団子よりも柔らかいのだから。その違和は強烈である。
だが、黒い影のない部分、文字のない部分の火傷痕は通常……の肌ではないにしても、熱は感じないし、予想を裏切らないごつごつとした凹凸のある固い肌だった。中嗣は酷い火傷痕を実際に見たことはないが、感覚的にこれこそが火傷痕だと納得出来るものである。
「熱いなら離して。火傷をしたら大変だよ」
「そこまでではないよ」
「本当に?本当なのね?」
「君が泣くようなことはしないさ。よく気を付けるから、まだ少し触れていていいね?」
とは言ったが、中嗣はそこに長く触れていたら、火傷をするだろうことを悟っていた。
湯浴みの湯よりはずっと熱く、しかし熱湯ほどではない。その中間くらいの熱さで、耐えられないこともないが、通常人はこの程度の熱を感じると、自ら離れようと動くものである。
この熱を華月が感じていないとすれば、黒い影が意思を持つことになろう。
それは黒い影が独立してのものか、あるいは華月の深い意識に反応してのものなのか。
中嗣は注意深く華月を観察しながら、なお傷痕を撫でていくのだった。
ここで華月は、余計なことを言ったのだ。
「どうしてだろう?蒼錬のときは、こんなことに……うぅん、あの人ももしかして熱さに驚いていたのかな?ただ感触が気持ち悪くて離れたのだと思っていたけれど……」
突然に冷気を感じて、撫でられる様を眺めていた華月は顔を上げたが、一度口から出た言葉は覆せない。
慌てて口を押えたところで、もう遅いのであった。