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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第八章 はかるもの
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18.扉は開かれたり


 華月の手首を掴んだ中嗣は、今までに華月に見せたことのない青ざめた顔をしていた。


「もしかして見たくなくなった?」


 華月からすれば、この顔色はそのように見えただろう。

 醜いものを見せる勇気がへし折られ、すっかりと眉が下がってしまい、焦った中嗣の顔に血色が戻った。


「そうではなくてね。これから何をする気かと心配になったのだよ」

「え?何をって、服を脱ごうかと思ったのだけれど」


 中嗣の顔がさぁっと青くなり、華月は首を傾げてそれを見た。やはり見たくないのでは?と疑うも、中嗣はすぐにそれは違うのだと説明する。


「隙間からちらと見せて貰えたら、それで十分だから。すべて脱ぐ必要はないのだよ」


 華月は得心したように、「そっかぁ」と呟くのである。

 これには中嗣が本気で安堵し、それは長く息を吐いたが、その安心感は長く続かず、息を吐き終えた直後にはぴくりと眉を上げることになった。


「いつも先生にそうしていたから、つい……あれ?」


 部屋が急に冷えた気がした華月は、中嗣の笑みを見て片足を後ろに引いた。

 だが、まだ中嗣に手首を掴まれていたので、遠く離れることは叶わない。


 中嗣から例の嘘くさい笑みを向けられた華月は、もう傷のことなど忘れて、どこかに逃げ出したくなった。


「彼についてはもっと深く調べなければならないようだね」

「もう勝手に調べないのではなかったの?」

「そうだとも。だから勝手にはならぬよう、宣言しておいたのだ」

「はぁ?」

「大事なことだから、これは譲れないよ、華月」

「譲れないって……」


 その先の言葉を失い、沈黙する華月だった。


 先生を調べてどうするのだ?はて?しかし先生ほどに、この傷に詳しい人はいないのかもしれない。

 そういえば、この異常な火傷痕に騒がなかった人だから、先生は実は何か事情を知っていて……調べる理由はそこにあるのだろうか?


 と、華月が見当違いな考えを始めたので、中嗣はこれを慌てて止めることになる。


「先生のことは、またあとで話すとしよう。とにかくね、決して体が見たくないわけではないが、今日はちらと見せてくれると有難いのだよ。もちろん、すべてを見せて貰えるならばいつでも嬉しいが、いや、しかし、今は辞めておいた方が良さそうでね」

「今は?」

「今日のところは、だね」


 中嗣の言い方に引っ掛かりを覚えた華月だが、ここは素直に頷いておいた。

 直感的に藪蛇となる未来を避けたようである。


「あ、だけど肌着はどうにかしないと。簡単には傷が見えないように縫い付けてあるんだ」

「君が縫ったのか?」

「そうだけど、何?」

「いや……」

「想像通り、裁縫も苦手だけれど?私が縫ったって、そこそこの仕上がりにはなるんだからね!」


 むすっと口を歪めた華月を見られて、中嗣が可愛いと喜んでしまったことで、なかなか華月の顔は戻らなかった。

 けれどもこのひとときのおかげで、二人からは妙な気が抜け、部屋の雰囲気が日常と変わらないものに戻る。

 これは今からすることを考えると、二人共に有難いことだった。


「見られるように準備をするね」

「あぁ。後ろを向いておく」


 華月は中嗣が体を背けたことを確認すると、自身でも背を向けて、腰帯を解いていった。


 しゅるり。


 その布の擦れる音が静かな室内に響いたとき、中嗣の心の蔵が再び飛び跳ねた。


 いつも隣の部屋で着替えていたではないか。

 それがこんなことくらいで。

 一度危うくなった自制心は戻らないものなのか?


 中嗣は強く心を持たねばと、己を奮い立たせて、その時を待った。

 それが果てしなく長い時間に感じたのは、中嗣の良過ぎる耳のせいだろう。気にしないようにと意識するほど、普段は気にも留めない小さな音までもが耳に届き、しまいには華月の息遣いまでが気になる始末。


「お待たせ」


 その声を長く待っていた中嗣は、すぐに振り返って華月を見やった。

 華月は中嗣に膝を向けて腰を下ろしていたのだが、先の中嗣とは比べられないほどにその顔から血の気が引いていて、中嗣の心をまた違う意味で搔き乱してしまう。


「華月。無理は――」


 しなくてもいいよ。

 まだそんな言葉を掛けようとした中嗣だったが、手を掴んだ瞬間に言葉の先が変わっていた。


「大丈夫だよ、華月。大丈夫だからね」


 震える手を両手で包み込むようにして、中嗣は華月に微笑み掛ける。


「私は変わらないと約束出来るよ。大丈夫。見ても何も変わらない」

「変わってもいいよ」

「変わるとすれば、それはもっと良き方向にだね」

「良き方向って?」

「君への想いが深まる方向に……と今ここで言っても信用はならないだろう。それでも私は自信があるのだよ。今はこの自信を信じてくれないか?」

「信じていないなんて、そんなことはなくて……」

「そうだね。では、見せてくれるかな?」


 華月が頷いた後に、中嗣は手を離した。

 こちらから衣装を剥ぐようなことをした方が良いかと迷った中嗣だが、華月が進んで足を崩し、足元から衣装の重なりを解いていくので、待つことにする。


 すぐに覗いた白磁の肌に、中嗣の喉がごくりと鳴った。

 だが、続いて目にしたものが、たった今感じていたものを彼方へと吹き飛ばす。


 中嗣の視線は、そこへ釘付けとなった。

 以前布越しに知った変色部の真実が、ここにあらわれたのだ。




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