16.同じ瑠璃色を背負うもの
「罪人の印も同じ色をしているの?」
「いや、罪人の印は黒だ。よくある廉価な墨を使っているからね。だがこの瑠璃色の墨は、どうも特殊なものらしく、市販には出回ることもないと聞いているよ」
「色もまた真似ることを困難にしているのね」
華月はすでに自身の印として、中嗣のそれと同じ瑠璃色の撫子を想像していたが、改めて同じ色の違う花が並んでいる様を想像してみるのだった。
確かに並べて見たいものだと思ったが、しかし大きな鏡といった高価なものを買われても困るので、華月はその願いを口から零さないようにと慎重に注意する。
過ぎた口が、今までも中嗣に行動を促してしまったから。よく気を付けなければ。
これが今だけの憂えで終わることなど、まさか華月はこのときには想像していなかったことである。
「彫り物に他の色を使うことはないのかな?」
「異国ではもっと多くの色彩を使っているそうだよ。まるで肌に描く絵のように美しい彫り物もあるそうなのだ」
「絵のように!それは見てみたいなぁ」
「今度、関連する書を持って来るとしよう。あぁ、禁書ではないから、安心していい。それから……」
中嗣はさらにこの国の皇族が紅色を好んで使うという情報はあるのだと、華月に伝えるのであった。
それは「皇族も印を持つらしい、皇族の印は紅いそうだぞ」という風聞のようなもので、確かな情報と言えば、「皇族は常に人の目に晒される場所には印を入れていない」ということだけだった。
本当に皇族にも印があるとすれば、それを見た者はこれまでに数多存在しているはずである。
それが何故、宮中でも知られていないのか。
ひとつの理由として、後宮に入った妃や侍女らには、後宮で得た皇族の如何なる情報も外に流してはならない決まりがあるためだと考察出来る。
たとえ語る相手が身内であろうと、高位のものであろうとも、あるいは後宮のあらゆる差配を任された月桂宮の女官だったとしても。
皇族に関する情報漏洩とは死罪にも匹敵する重い咎を背負うことだった。
昼間に本殿で皇帝の側仕えをしている者たちとてこれは同じことで、命を懸けてまで皇族の印について語ろうとする者はいない。
しかし、たとえばこれが降嫁した皇族の姫君であったなら、どうだろうか?
嫁ぎ先から喜んで情報を流すようなことはないにしても、宮中ほどの厳格な統制は取れていないだろう。私邸であっては、さがない噂話に興じる下働きの者などがいるものである。
それでも何も聞こえてこないのだから。
本当は印などないのかもしれないし、何か語ってはならない明確な理由が存在している可能性もあった。後者の場合は、真面な官ならば危険を察し、自らで語ろうとはしないものである。
この通りなので、情報はいつまでも未確定のまま、不確かなままで宮中に浮かんでいる。
といった宮中事情などは、華月にはどうでも良いことだった。
「紅色かぁ。それなら瑠璃色で良かったと思うな」
鮮やかな紅色など、血で描かれた花のようではないか。
下手をすれば、怪我人として医者に連れて行かれる。
華月の想像は一段と進んだ。
自然な紅色の花は美しいし、絵画にしてもそれは美しいが、肌に描く必要があるだろうか。
衣装に紅色の花がいくら描かれていてもそれは美しいと思うが、白い肌を一箇所彩るために使うのはどうだろう。
紅色は、人の顔の僅かな部分を彩るからこそ美しい。華月の脳裏には、毎夜華やかに着飾る遊女たちが浮かんでいる。紅い花を散らした衣装は彼女たちをより美しく見せるが、ではその背に紅い花があったなら?
うーん。やはり何か違うような。
同じとき、中嗣もまったく同じようなことを考えて、その想像は紅を入れた華月の顔に着地した。
我が愛しき人は、絶世の美女である。と、誰も思わない賛美を心の内で讃え、打ち震える。
この男が愚かであることには、そのように華月を意識すればするほどに、背に触れる熱もまた気になって来ることを一瞬でも忘れてしまったことにある。
ついに手から血を流す気だろうか。
「ねぇ、中嗣。また見せてくれる?」
華月の言葉は、中嗣の想いを察して放たれたものではない。
だが結果として、中嗣は、そして中嗣の手は救われた。
「もちろんだとも。君になら毎日でも見せよう」
「毎日なんて。でも、また見せてね。今日はありがとう」
いよいよ華月も覚悟が決まった。
中嗣が長く待ち焦がれた瞬間まで、あとひととき。