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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第八章 はかるもの
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13.開いた蓋が戻せない


「中嗣は、この印について記した書を読んだことがある?」


 その書を読めるとは思っていなかったが、華月はもっとこれについて知りたいと願った。

 守り神になるという言い伝えが残されているとすれば、それが真実ではないにしても、その言葉に通じた出来事が何かあったに違いない。それは歴史的な資料として、話に聞くだけでも十分に楽しめるものだと華月は思った。


 それで中嗣は、とても申し訳なさそうに事実を伝えなければならない。


「家々の彫り物に関しては、神官の領分でね。それも特定の神官しか知り得ぬこととなっているのだが、彫師が誰かということまで秘匿されているのだよ。こうなると、文献が残っていようとも、私にはその存在を知ることすら出来ず」

「中嗣も知らないの?え?でも……」

「三月を過ぎた頃に印を刻むらしいが、家族でもその様子は見られぬように決まっていてね」

「三か月の赤ん坊が一人で彫師のところには行けないよね?その彫師は、わざわざ顔を隠して家に来るということ?それで部屋でも貸し切って彫り物をするの?」


 華月は矢継ぎ早に質問したが、その疑問はもっともである。


「いや、彫り物を刻む部屋は宮中のどこかにあって、そこまでは大人が付き添うことになっているよ。ただ部屋に入ることは許されていなくてね」

「どこかって、中嗣はその部屋の場所も知らないの?」

「おそらくは白玉御殿の奥にあると検討はついているがね。文官は深入り出来ぬ御殿だから、私にもその内部の仔細までは分からないのだよ。君のときには是非にと願ったが、部屋の前までは一人の付き添いしか許されていないそうで断られてしまってね。あのときは本当に残念だったな」


 この背中を向けている男が赤子の自分を知っていると意識すると、途端に全身がむず痒くなってくる華月だった。

 異変を感じた中嗣が何事かと振り返ると、顔を見たことで今さらに中嗣が裸であることを意識して、華月はさらに落ち着かなくなってしまう。

 いずれも本当に今さらのことだった。


「どうした?」

「な、何もないよ。もう少し見ていてもいい?」

「もちろんいいが。そんなに長く見ていて楽しいか?」

「とても綺麗だから。いくら見ていても飽きないよ」


 そわそわと体を揺らしながら、なるべく余計なことを考えないようにして、華月は桔梗へと視点を定めた。

 中嗣はその落ち着かない様子がどうしても気になってしまったが、それほどにこの印を気に入ってくれたと知れば嬉しくもあって、まだ背中を向け続けることに決める。


「隠すほどに特別なものだとしたら、本当に守り神と言われるだけの効果がありそうに思えてしまうね」


 気になるなぁと華月が呟いたので、中嗣はどうにか調べられないものかと考え始めていたが、危ないことはするなと先に釘を刺されてしまった。

 すでに借りている書が相当に危険なものではないかと華月は疑い始めていたので、中嗣のことが心配になったのだ。

 だから早々に話題を移すことにする。


「中嗣は私以外の印を見たことはあるの?」

「そうだな。幼い頃には親のものを見ているし、他の者の印もたびたび見る機会があったよ」


 特に中嗣が武官をしているときには、他人の印をよく目にしたものである。

 武官は体を見せたがる者が多く、鍛錬後や見廻りの合間に水浴びと称して嬉々として服を脱ぐ者が後を絶たない。つまりはこのよく鍛えられた美しき体を見よ、ということだ。これに対し、当時の中嗣を含めた一部の武官たちが辟易しているのも常のことだった。

 美の基準は、人それぞれに違うものである。


 と、懐かしくも迷惑な記憶を思い出した中嗣は、華月の声で当時の不快さと完全に離隔することに成功する。


「彫り方は隠しているのに、印そのものは隠してはいないんだね」

「それについては微妙なところだな」

「微妙って?」

「特別な決まりはないが、外ではあまり見せるなと言われているのだよ。されど、それを各々が守っているかと言えば、怪しいものでね」

「わざわざ街で人に見せるようなことをしている官がいるの?」

「公の場で見せびらかすようなことはしていないと願うが、外に妻がいる者も多いだろう?」

「あっ。そういうことね」


 己が今、まさにそのような状況にあることには気が付かず、華月は中嗣の言うところを素直に理解した。それは少々中嗣の期待した通りの反応ではなかったが、華月は今や、それどころではない。


 思想あってのことか。それとも意味などなかったのか。

 それを確認すべき者たちが、また増えてしまったのだから。


 気付きたくないものに次々と気付くことが、華月にとってはとても恐ろしいことだったが、ここまで来たらもはや止めることも出来ない。


「妓楼屋に関しては、あとで共に確認するとしよう。話も私が進めるから、任せてくれるといい」


 まだ背中を向けたままで、流石と言うべきか。

 華月が僅かも驚かなかったことも、賞賛に値するだろう。


 意思疎通の感度が、今朝までの二人とは違っている。


「うん。お願いしようかな」


 愛しい娘がまた泣きそうな顔で笑ったことも中嗣には見ずとも分かり、だから振り返ってもう抱き締めてしまおうと思ったのだが。


「もう少し見ていてもいい?」

「まだ見たいか?」

「とても綺麗だから。あともう少しだけ。いい?」


 切ない声で願われてしまったら、中嗣は動けない。

 たとえ心の機微をいつもより深く捉えられようと、愛しい娘の前でただ背中を晒している無様な男に成り果てるしかなかった。




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