11.あなたの知ること
「君に渡す前に確かに見たが、これが何かという検討は今も付いていないよ」
中嗣の返答に、華月は「やっぱりそうだったんだ」と言って、中嗣の手にある書のその頁を凝視した。
細かい文字で描かれたその円形の幾何学模様を見ていなければ。華月はまだ諸々の過去を隠し通そうとしていただろう。
「私はこれを、罪人の印だと思っていたの」
中嗣が眉を上げたのは一瞬だった。すぐに優しい顔になって、華月が知りたかった本当の印について、詳細を説明していく。
この国には、罪を犯した者の体に彫り物を入れる決まりがあった。
軽い罪の場合には、一度目は恩情として彫り物はなされないが、二度も罪を犯した者にはそれがない。いくら軽い罪であっても、体の目立つ場所に彫り物を入れられた。これにより、刑を終えたあとにも周囲からは罪人として扱われるようになる。
重罪人はこの通りではなく、死罪を除くすべての者に彫り物が入れられた。これは周知の意味よりも、脱走や逃走防止の意味合いが強く、なぜならば重罪人が市井に戻って生き直すような機会が許されていないからである。彼らの多くは、厳しい環境での労働を義務付けられて、その刑を終えることなく死を迎えた。
さて、問題となっている彫り物の形態であるが。
二人が見ている書のような、複雑な文様が描かれることはない。
型はすべて一様に決まっていて、鎖模様だった。
彫り物が入れられる部位や個数は、罪人によって異なっている。
軽い罪の場合は、手首や足首に巻くようにして入れられるし、罪の内容によってはそれが何重かになることもあった。
重い罪の場合には、首だ。その首にぐるりと巻かれた鎖模様は、まるで首輪のようで、その者がどのような人間か一目瞭然に示してくれるものだった。
これらが中嗣の知るところの罪人の印と呼ばれるものである。
官であれば、すべての者がこの印を知っていた。官位試験のために学ぶからだ。
だからと言って華月がこれまで知らなかったことも、不自然ではない。
体に彫り物があるような罪人は、宮中の置かれたこの皇都と呼ばれる街で真面に過ごすことなど叶わないもので、刑期を終えて罪を償った後には地方へと流れていくものである。
治安のよろしくない瑠璃川の東岸側に居座るのでは?と思うかもしれないが、あの花街でさえ、罪人の印ある者は立ち入りを禁じられていたし、確かに表では暮らせないような者たちが東岸側には多く潜んでいるのだが、かえってそのような者たちの方が目に付く印には敏感だった。
罪人の印ある者と行動を共にして、宮中の官たちから目を付けられてはたまったものではないからである。
そして罪人について仔細記した書などが市井に出回ることなどもあり得ず、華月が知る機会は本当になかったのだ。
「背中でもなかったのね」
華月はどこか諦めたような声でそう言った。中嗣は思わず、返事をする前にその淋しそうな小さき背中を撫でてしまう。
「隠されては、周知することが出来ないからね。あえて目に付くところに入れているのだよ」
「彫り物がある人すべてが、罪人だと聞いていたのだけれどなぁ」
「その認識を持つ者がいることは、おかしいことではないよ。罪人の印象が強いから、街で自ら彫り物を入れる者もいないだろう?」
華月は頷いて、もうひとつ聞きたいと願った。
「何もしていない罪人の子どもにも、印を入れているの?」
「それはないよ。表立って子どもにまでその罪を背負わすようなことはしていない」
中嗣はしかし、この後に悲しい説明を付け足した。重罪人の場合には、一族郎党の命を持って償われることもあると。それは何も知らず、生まれたばかりの赤子とて含まれるのだ。
そしてまた、人の記憶に関しては、宮中でもどうにもならないことであった。ひとたび罪人の子どもだと認識されてしまえば、その子どもが同じ場所では暮らしにくくなるだろう。たとえその子に何の非がなくとも、親の咎を背負い辛い世を生きていくことになる。
「罪人の子どもにも印を入れるものだと思っている街の人はいるのかな?」
「それは共に確認していこう」
「そうだね。うん。共にと言ってくれて、ありがとう」
また泣きそうな顔で笑うから。
中嗣は勢い抱き締めそうになったが、華月の声を聞いてこれを止めた。
「中嗣にもあるのよね?」
「見てみるか?」
「いいの?」
「もちろん」
先に見せたいと、強く思ったのは中嗣だ。
先に見せて欲しいと、強く願ったのは華月である。
中嗣は華月をさっと抱き上げて隣に降ろすと、帯を緩めて衣装から腕を抜き、上半身を晒して見せた。
華月は子どもの頃から男の裸など沢山見て来ているので、今さら恥じらいも何もない。
と本人は思っていたが、ほんのりと頬を赤らめた華月は、中嗣の裸体から視線を逸らす。
その照れた様子に悶え叫びたくなった中嗣だが、これまた平静を装って、穏やかな声を掛けた。が、すでに顔はふやけていたので、微塵も心の内に湧き上がった衝動を隠せていないのである。
しかし背中を向けていたため、華月にその顔が見られることはなかった。
「さぁ、ごらん」
向けられた背中を前に、こんなに広かったんだ、よく鍛えられているね、と華月が思ったのは、それからしばらく後のことであった。
背中に対する感想を与える間を置かず、華月の目が大きく見開かれる。
黒く澄んだ瞳に映るそれは、大層に美しいものだった。