7.お返しはきっちりとさせていただきます
「君は想像した以上に、よく気付く男だったのだね」
完全に一致しないまでも、羅生からすれば華月に向けるときと大差ない微笑みを向けられ、羅生は何故か警戒心を強め、体中の神経を研ぎ澄ませた。
中嗣と何かするつもりはなかったが。
それが己に向けられているという事実が信じられず、落ち着かない。
そんな羅生の突飛な反応を受け取り、中嗣は不思議そうに眉を上げていた。
「お褒め頂き光栄ですが、私は褒められて伸びる男ではありませんぞ」
「……違うのか?」
「は?」
「華月がよく褒めた方がいいと言っていたのだが。そうすれば君たちもよく成長すると」
「もしやあの娘と練習なさいましたな?」
「凄いな。そこまで分かるのか」
あの笑顔は結局華月に向けたものだったのかと知って、羅生は体のこわばりを解くことが出来た。
金輪際気味が悪い笑顔を向けないでくれと願い、あとで娘の方にもよく言っておこうと決める。
宮中でこんな顔をして官を褒め始めたら、羅生には後始末が大変だからだ。
「それは利雪や宗葉の話でしょうぞ。あるいは、もっと下位の文官のことですぞ。私のことは言っていなかったのでは?」
「あぁ、確かに部下と言っていたな。思えば君は、私の部下でもなんでもなかったね」
「私の認識は何でもよろしいですが、あとは磁白殿も含まれているのでは?」
「彼はあまり褒めたくはないのだが。ふむ、おかしいとは思っていたのだよ」
「おかしいと思っていたなら、褒める前に気付いてくだされ」
「そうだな。うん。君のような男が男から褒められて喜ぶとはとても思えず。褒められたくらいで、何かを頑張る様も欠片も想像出来なくてね」
「よくお分かりで。この先も、その認識でお願いします。それから、他の官を褒めることも、しばしお待ちくだされ。時期を見ておきますからな」
「褒めることに、時期があるのか?」
「まぁ、任せてくだされ。とにかく今はよろしくないのですぞ」
と、分からぬ会話を挟んでから、中嗣はそれでも晴れやかに笑ってみせた。
羅生を認めたと言われたようで、羅生もこの顔には悪い気はしていない。
「せっかくだから、私からも少し問わせて貰おうか」
「どうぞ、どうぞ。何なりと」
今までになく踏み込んだ会話を終えたあとで、しかもよく分からない理由で緊張したあとだったので、羅生はすっかり気を緩めていたのだ。
まだまだ話したいことはあるが、これからは具体的に聞けるだろうと予測して喜んでもいたので、軽々と中嗣の言葉を受け入れてしまったのである。
「君は幼くして山で一人生き残ることが出来る者たちが、火から逃げ遅れたなどとは言わないな?」
おや?雲行きが怪しくなってきた。断れば良かったか。
自分のことは棚に上げて、羅生はすぐに何か別の良さそうな話題でも提供するかと考えていた。あの娘について言えば、それで終わるだろう。
しかし羅生は心の乱れを外には出さず、いつもの嫌らしい笑みで応対する。
「如何でしょうな?薬でも飲まされていたら、分かりませんぞ」
にやり、と笑ったのが羅生ではなく中嗣だったので、羅生は鏡を見ている気分になった。
いよいよこれは、まともに会話をせねばならないと、あっさりと腹をくくるのである。
「全員が気付かずに飲まされていたとでも言う気かな?」
「集まった者がすべて身内でしたからな。場所も場所ですし、気も緩みましょう」
「身内でも気を許さずに、大事なことは語り合わない仲なのだろう?」
「そうとは限りませんぞ。私だけが蚊帳の外だったのかもしれません。ほれ、医官はそういませんし」
中嗣は「ふむ、では」と言って、愉快そうに笑うのだった。
これならば、いつものように冷えた笑みでも浮かべてくれた方がましだと、羅生は思う。
「仕方がないから、君は知らなかったという前提で聞くことにするよ。知れなかったと言った方がいいかな。それで君は、あの件の前に彼らから何か違う言葉を聞けたのか?」
「意地の悪い言い方をなさりますな」
「君ほどではないだろう。会話はあったのだね」
「それはそうですな。とは言いましても、よく話す仲でもございませんで、誰とも特に話が弾むことはなく」
「それで?」
羅生は降参を示すように、片の手の平を中嗣に向けた。もう片の手には、医薬の詰まった革袋がぶら下がっている。
「記憶に残った会話がひとつ。羅の家一の皮肉屋と言われた従兄から、『宮仕えに飽きたから、辞めて旅に出ようと思ってね。近々祖父上に直談判するつもりなんだ』と嬉しそうに言ったかと思えば、『東から回ろうと考えているんだけど、どう思う?』と問うわけですよ。それもわざわざ黄玉御殿にやって来て伝えてくれましてな」
「いつのことだ?」
「屋敷が焼ける三月前のことです」
「華月とのお遊びは?」
「始まっておりましたね。とはいえ、まだ噂を流す程度ですが」
「その従兄殿はお遊びの方には?」
「前々から逢天楼では遊んでいるようでしたが、席を共にしたことはありません。祖父からも、従兄に関してはあの不自然な説明しか聞き出せず」
「そうか。彼だけなのだな?」
「それこそが従兄らしいと思いませんか?」
「彼ならば、言いそうではあるが。東か。嫌がらせと思って良さそうだね」
「えぇ。嘘しか付けぬ男です。どこにあったとしても、悩め、悩めと笑っておりましょうぞ」
何があったのか。
僅かな時、視線で語り合い、それから中嗣は言った。
「今はもういいな?」
「えぇ。夜までに少しは診てやらねば」
穏やかな春風が冷える前に、二人は写本屋に辿り着いた。まだ日は高くにある。