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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第八章 はかるもの
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6.その男も内にあったか


 川の流れに沿うように、春風は流れた。散った桜の花弁が川下りを楽しんでいる様は、川面からは大分離れた土手に立つ中嗣らの目にも届いている。

 この視力の良き男たちが揃い土手の上で雑談している姿はなかなかに目立ち、しかし二人に着目する者はなかった。これは二人がなるべく気配を消していたこともあるが、官らしき容姿の男たちへと長く視線を置くような命知らずの庶民がまずいない、という理由が大きい。


 このようにして周囲からはよく目立つ場所であっても、ここは二人にとって密談に適する場所に違いなかった。

 

 目立つということは、こちらからも人を見つけやすいということである。

 人が少なく周りから距離を取ることも容易で。

 川音が耳障りになるほどでもなく。声は届けやすく、遮断しやすい。


 さらに時期も良かった。

 草が生い茂り始めていたとはいえまだ短く、側に人が潜めるような場所がなかったのである。



「君の言う通り、確かに私は知らぬふりを続けていたと思うよ。己にそれ以上考えるなと言い聞かせるほどにはね」


 中嗣の声には自責の念がたっぷりと込められていた。それもあらゆる意味を含んだ自責の念だ。



 ふらふらと容易く揺れる体をわざと揺らすように悪戯をして、その倒れたところを助けるように触れてきた。

 毎年の二度の祭りでは、やけに遅い歩みに合わせて気を遣い足を運んできたし、迷子にならぬようにと手を取ることで、たまに転げる彼女を少しでも近くに置いて支えていた。

 わざわざ仕事の邪魔をして怒らせていたのも、共に階段を下りるためだ。

 熱を出して魘された夜には、何故か中嗣の方が強烈な不安に苛まれ、側を離れられなかったのである。


 それらがすべてそれだけだったとは言わないが。


 何も知らないようにしておけば、彼女が喜ぶことを知っていた。

 そうしていれば、次第に懐いてくれることも分かっていたから。


 だからあともう少し。



 これまでの華月への対応が正しかったとは、中嗣は今も思わない。

 昨年の夏の日に生じた後悔は、間違いなく中嗣が選択した結果であると認識している。

 それでも――少しの意識の変化があったとして、それを変えられたかと言えば自信はなかった。

 不甲斐なく思いながら、強く後悔しながら、それでもなお同じ場所で足踏みを続ける自分がここにいるからだ。


 いくら強い決意を持ったところで、華月を前にすると、どうしても急くことが出来ない。急いてはいけないとさえ思うのである。

 それはいつもの事実から推量した結果なのか。あるいは心からの直感的な警告か。



 渦中の心を羅生にぶつけたところで、何の意味もないことは知っているので。

 中嗣は羅生の言葉に、誠実に向き合おうと決めていた。これは互いに腹を探り合う期間の終わりをここに示すものである――。


「君はこう考えているのだろう?どこの医者かは分からぬが、幼い体に薬を使うことを良しとしない者が華月を診たから、常々薬を与えられることはなかった。以前の華月は、成長が遅れていて、齢よりも幼く見えていたからね」

「程度は知りませんが、それが事実であれば私でも成長を優先させていたでしょう。さらに言えば、私ならば、幼いうちに痛みに慣れておくようにと考えます」

「それでも、華月が苦しんだときには、知らず薬を飲まされていたはずだと思うのだね?」

「あの玉翠殿が放置したとは考えられますまい」

「どうかな。あの街医者に会わせていたのが、自ら薬を飲ませるためだったとも考えられる」

「確かにその線もありますな。医術書などを読ませてきたのも、同じ意味合いが強いでしょうし。されど玉翠殿も何かしらの薬を用意していたとはお思いでしょう?」

「概ね、同意するよ」

「概ね、ですか。それは医者に診せていなかった可能性もある、ということですな?」

「それもあるが、また違う可能性もあるのではないかと思ってね」


 羅生は顎に手を添えて、しばし考える時間を取った。

 中嗣は河原に視線を落として、そこにある子どもたちの様子を眺め、何を考えていたのか微笑すると、そこで羅生は言った。


「私もそれらの線を疑っていないわけではありませんぞ。されど、あの藪が診ていることが分からなくなりましてね。とても信用に足るとは思いませんし、診てならぬものならば、何故自由にさせておくのかと釈然としないものが残ります。中嗣様も、あれは金ではとても釣れない男に見受けられましたな?」

「彼が最初から内にあればどうだ?」

「最初からですと?……ふむ。いや、しかしそれは……華月を買い取った後にそうなったという話でよろしいのですな?」


 中嗣がじっと羅生を見たあとで、羅生は目の色を変えて「何を知っておいでです?」と静かに問うた。


「何も知らないで言っているよ」

「ほぅほぅ。今はそのように受け取っておきましょうぞ。されど、こうなると玉翠殿はなかなかの策士ですな。以前から何度も鎌を掛けてきましたが、不自然な反応を一切見せず、話の筋道には乱れもない。あれならば、華月も容易く騙されていてもおかしくはないとも言えますが……中嗣様は、華月についてはどうお考えで?」

「騙しているとは言わないでやってくれ」

「優しい嘘だとでも言いましょうか。して、どちらだと思います?」

「羅賢殿が言うには、あの子は私によく似ているそうなのだよ」


 辛辣そうに吐き出されても、羅生は白い眼を返すしかない。もっと分かりやすい別の言い方があるように思うが、仕方なく羅生は意味を汲み取った。


「つまり、違和を見ぬようにして、騙されてやっていると」

「騙されているという表現は辞めて欲しいが。そこに彼女の意志はないだろうね」

「まぁ、そうでしょうな。中嗣様と同じく、いえ、それ以上に。自分でもよく分からなくなっているのでしょう」


 肩を竦めた中嗣は優しい顔で微笑むも、その顔をこちらに向けないでくれと羅生は即座に願った。




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