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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第八章 はかるもの
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5.謀られたなら謀り返してやりましょう

 

 意味深い沈黙を破ったのは、羅生だった。中嗣の言葉を待てなくもなかったが、己から話し始めたときに相手の出方を待ってやる懐の広い男ではない。


「幼い子ならば、少しの薬でぐっすりと眠らせることも容易でしてな。あれは無駄に肝の据わったところもありますし、薬などに頼らずとも熟睡していた可能性はありますがね。中嗣様も同じお考えにありましょうが、まず玉翠殿があれを放置していたとは考えにくい。祖父の可愛がり様も鑑みれば、必ずや一度は医者に診せていたはずです。そのときに共に傷を見たことでしょう」


 羅生は今まで我慢していたとでも言いたげに、朗々と語るのだった。


「二人は知っていた。そう考えますと、あの暮らしぶりも納得出来ましてな。たとえば、二階の部屋で暮らすよう仕向けたこと。後遺症があるならばこそ、普段から足腰を鍛えておくに越したことはありませんからな。大事に大事に囲いたい中嗣様には信じられぬやもしれませんが、玉翠殿とて心痛しながらのご決断だったはずです。それこそが、あの階段に示されておりましょう。余所よりも段差が低く、足場も広く、傾斜も緩やかですが、それを不自然に見えぬ程度に抑えたというのは、素晴らしい出来です。さらにはあの手摺りの位置。成長に合わせて少しずつ位置を変えていった跡が、隠さずに壁に残されておりましたねぇ」


 羅生はひとしきり語ると、一呼吸置き、それから僅かの憐みを滲ませた声で付け足した。「それでも稀に転げ落ちるのですから、心配で堪らなかったでしょうな。本人は鍛錬のつもりか、手摺りを使いませんし」と。


 また一呼吸置いたので、ようやく羅生の口が止まるかと思いきや。羅生は中嗣を徹底的に糾弾するつもりらしい。今まで余程我慢していたのだろう。


「これよりは、何の根拠もなき過去への推測となりますが。中嗣様は当初、家に近付くことを許されていなかったのではありませんか?その間に、玉翠殿は華月が普通に暮らすことが出来るまでに整えた。それでも中嗣様は、あの娘に会ってから、違和を覚えぬことはなかったでしょうがね」


 中嗣が歩みを止めず、無言であっても、羅生は一方的に話し続ける。


「されど、中嗣様はその違和に蓋をしましたな?祖父からは直接ではないにしても、そのように強要されていたのでしょう?とはいえ、中嗣様が祖父の想いに素直に従ったとすれば、それが中嗣様の意志とも一致していたからに違いありません」


 早口ではあるが、活舌の良い羅生の言葉は濁りなく中嗣の耳に届いていた。

 通りを歩く他の者たちには聞こえなかったであろうが。


「何も知らぬように振る舞うことこそが、あの娘を安心させることだったから、中嗣様は祖父の意に従ったのでしょう。しかも当時は、祖父や玉翠殿から遅れを取っていたわけで、中嗣様もまた、出来るだけ早く心を通わせたかった。とすれば、従わざるを得なかったと言った方がよろしいのでしょうな。つまりは、祖父にしてやられたのでしょうぞ。変に聡い娘ですからね。疑われていると少しでも感じたら、心を閉ざし、逃げ回っておったでしょうな。何せ、あの玉翠殿が、家から逃げることを許容していたのですから。おや?とすると、中嗣様は二人にしてやられたということになってしまいますが」


 ここでようやく、中嗣の足が止まったのである。だが、そこに留まることにしたわけではない。

 二人は最初から決まっていたかのように、桜通りから路地に入った。写本屋までもう間もなくというところだった。



 写本屋の裏庭に面する裏通りに折れることなく、家々に囲まれた狭い路地を真直ぐに進んでいけば、やがて家はなくなり瑠璃川の見える緑豊かな土手に辿り着く。

 中嗣はそこで歩みを止めた。

 天気が良いこともあって、対岸の隅々まで見渡せるこの場所からは、両の河岸にて釣りを楽しむ子どもたちの姿がいくらも確認出来た。華月も気に入りの場所で、最近は中嗣と気晴らしに散歩に出て、土手から瑠璃川を眺めるようなことをしている。


 合わせて歩みを止めたところだった羅生は、ぎょっとして片足を引き、思わず中嗣から距離を取るように動いた。

 中嗣が、まるであの娘に見せるように、柔らかく微笑んでいたからである。


「君は凄いな」

「……それはどうも。言い過ぎたやもしれませんが、寛大な評価を頂けたようで、有難きことです」


 今度は中嗣が、居心地悪そうに顔を歪めた羅生に向かい、声を上げて笑う番だった。





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