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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第八章 はかるもの
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4.爺からすればどれも青い


 中嗣もまた、羅生と話したかったのではないか。

 彼女を思い出しても歩みを速めなかったのだから、羅生からそのように捉えられてもいいとは、考えていたはずである。


「君はあの愚かな領主が、一人であれほどのことを企てられたと思うか?」

「幾人か文官ではなくなりましたが?」

「彼らは切り捨てるための手駒だろう」

「そうでしょうな。どの上官も責任をなんと捉えているのやら、保身の発言しか耳に入りませんでしたぞ」

「知らぬで許されるなら、我らなど必要ないのだがね」

「それさえ分からず、上官になれる国だというわけです」


 これは嫌味か、愚痴なのか。それともただの与太話か。


「中嗣様のお考えは分かりましたぞ。勘付かれぬ程度に、少しずつ動くことに致しましょう。動く理由もまた、何重かに練っておいた方がよろしそうですな。どうぞ、よくお考えくだされ」

「君のそれはどの立場からの物言いだ?」

「私はいつも私でしかありませんぞ。それに中嗣様とて、私などが言わずとも、すでに道筋を決められておるのでしょう。今の迷いは、それをどう利雪らに伝えるかという点ですな」

「彼らがすでに伝えた言葉で察してくれるようなことはないだろうか」

「まだしばし掛かるのでは?」


 二人の視線が遠のき、青空を捉えた。また違う桜の花びらが舞っていて、二人にもの寂しさを与える。

 あれからとうに一年が過ぎたということだから。


 こんなときにも羅生は羅生であって、感傷に浸る時間は、妙に明るい声にて一瞬で断ち切られるのであった。


「あの二人は、自ら気付けるよう、上手いこと焚き付けることに致しましょうぞ。お任せくだされ。して、中嗣様。もっと気になっていることがありましてな。お尋ねしても?」

「聞くなと言っても、君は聞くのだろう?」

「おや、さすがですな。私のことをよくぞお分かりで」


 中嗣は無駄話を終えるために速足で駆けてやろうかと思うのだが。そうしないのだから、それほどには羅生の相手をすることを厭うてはおらず、羅生はそれで普段しているよりも、中嗣の前ではやや調子に乗り過ぎるきらいがあった。羅生の声は、益々と滑らかになっていく。


「同じく、いえ、それ以上に、やけに慎重にことを進めている件がございましょう?こちらはどうにも、中嗣様には任せておけぬ案件でしてな。そろそろ私にことを預けて頂けぬものかと思いまして、そのご提案をしたく」

「何の話か分からぬが、君の提案は却下しよう」


 あえて知らぬふりを返したのに。羅生の口は止まらない。


「同じ話をそれはしつこく言い聞かせ、とうに洗脳は完了しているように見受けられますが」

「君は何を言っているのだ?」


 つい中嗣も声を低くしたが、羅生は気にも留めず、なお続けた。


「それでどうして、傷を診せるようにと言えぬのですか?待っているこちらの身にもなっていただき、早うしてくだされ。無理ならば、そう言って頂くだけで、あとは私がどうにでも致しますぞ」

「初めから君には見せる気もないし、君がどうこうする話でもない」

「私が診ずして、誰が診ると?」

「私が見て、君に伝えればいい話だ」

「取次役など望んではおりませんが。まぁ、良いでしょう。して、それはいつ頃に?」

「…………急くことではない」


 ぷいっと子どものように顔を背けた男を羅生は白い目で見やるが、男の顔は戻ってこなかった。

 仕方がないと、羅生はさらに言う。


「それの効果が怪しくなってきたのでしょうぞ。夏までもう時間がありませんぞ」

「効果がないわけではない」

「では薬は要らぬと?」

「医官であることを放棄する気か?」

「医官だからこそ、診ることの出来ぬ患者には、容易に薬を出したくはありませんでね」

「症状は伝えていよう」

「診てしまえば、もっと的確に薬をお出し出来ますが?中嗣様もそれをお望みでしょう?何を躊躇うのです?」


 不貞腐れたように顔をこちらに見せず、足早で歩く中嗣に向かって、羅生は半笑いで言った。


「前からお聞きしたいと思っておりましたが、あの娘をどうする気で?」


 言葉はなくも、ついに中嗣が顔を戻して羅生を見たが、その顔はまるで子ども。これが先まで宮中で不気味に微笑んでいた男の顔かと、羅生は声を上げて心から笑ってしまった。


「囲おうとしているのでしょうぞ。手っ取り早く妻にせぬ理由でもおありで?」

「手っ取り早く進める話ではないだろう。困らせてどうするのだ?」

「それにしては、逃げぬように外堀を埋めに埋めているようですが?」

「……うるさいな」

「そんなことだから、あれも変わらぬのでしょうぞ」

「あれだの、娘だの、失礼に呼ぶのは辞めろ」

「名を呼べば、それはそれで不機嫌な顔をしておいて、よく言えますな」


 またぷいっと顔を背けられたので、羅生は今度ばかりは意思を持ち、声を出して笑うことにした。所謂、嫌味だ。


「子どもではないのですから。いい加減に、大人になってくださらないと困るのですぞ」

「君はさほど困ってはいないだろう?何故いつもそう急かすのだ?」

「何故と聞かれましても、やはり変わらぬ中嗣様のお姿に飽きてしまったからと」

「君はただの己の興味や好奇心を満たすためだけに、彼女の傷を見たがっているのではないか?」

「さすが、ご明察ですな」

「せめて隠そうとしてくれ」

「まぁまぁ。ではせめて医官として真面なことも言っておきましょう。長い間放置してきた傷がどうなっているか、まことに分かりませんぞ。主治医が信用に乏しいあの藪医者でしたから、治る傷も放置され、今もなお、悪化している可能性を懸念しております。過ぎた時間は戻りませぬが、今日から治していくことは出来るわけです。どんな傷でも病でも、その治りは早く正しき対処が出来るかどうかに掛かっておることは、すでに医学書を調べ尽くした中嗣様にも、お分かりでしょう。されど、あえて医官として物申します」


 ここまで聞いても中嗣は顔を戻さなかったが、羅生はもう少しだけ医官らしい精悍な顔で、特別に厳しい言葉を続けることにする。


「臓腑に傷でもあれば、知らぬうちに病として進行し、関知が遅れたせいで手の施しようもなくなれば、何も出来ないままに命を落とす場合もあるのです。医官としては、手の施しようがあるうちに、なんとしても診せて頂きたい。もちろん、すべてのことが杞憂で終わることもありましょうが」

「分かっているから、もう言うな」


 中嗣の声が僅かに震えていたことには気付いていたが、羅生はこれを揶揄わなかった。


「本当にお分かりの上で慎重にことを運んでおられるのでしたら、よろしいのですぞ。して、中嗣様」

「今度はなんだ?」


 まだ顔を背けたままの男に、羅生は問う。


「祖父や玉翠殿が、本当に何も見ていないとお思いではありませんな?」


 羅生が言葉を終えた後にほんのひととき続いた沈黙の間に、この日一番の強い風が二人の前から後ろへと抜けていった。おかげで桜の樹からは、多くの花弁がまた空に舞うことになる。




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