3.良い国を作る気はありましたか
中嗣が思索に耽っていると、羅生は何故か嬉々とした様子でそれを中断させた。
「そのお顔、何か情報を得られているようですな。どうぞ、この我が身などは憂えずに、仔細余すことなくお伝えくだされ。ご期待に沿えるよう、お役に立ってみせますぞ」
「いや、事実は何一つ知るところにないよ。むしろ君こそ、何か聞いていないか?」
羅生はまた、面白くないと顔を歪めた。これで中嗣は、彼の不満がどこにあるのかを明白に理解する。
しかしやはり、そこは羅生。すぐにいつもの嫌らしい笑みを浮かべては、また嫌味ったらしくこう言った。
「基本的に知りたいことは己で調べろという家系でしてな。どこかの文官様らのように懇切丁寧優しく教えてくれる者など、周りに存在したためしがありませんでね」
「羅の家もなかなか面白い教育をしていると聞いたね。本当に山に捨てられるのか?」
「ははは。さすがにそのままぽいとは捨てられませんな。三つの幼子が山に連れては行かれますが」
「三つか……」
「えぇ。そこから五つまでは、山小屋で山で生き抜く術を仕込まれまして。あとは一人で頑張れという具合です。中嗣様も誘われたのでは?」
「私はその齢を越えていたからね。丁重にお断りさせていただいたのだよ」
「出られないことを理由に逃げたのでしょう?せっかく祖父らが、逃がしてやる道を整えようとしたのに、と聞いておりますぞ」
「そういう話は聞いているのだね。だがそれも、別の場所で監禁しようとした、の間違いではないか?」
「まさか、まさか。山は広いのですぞ、中嗣様。ここよりは、はるかに自由です」
先までの優しい風が、至極冷たく感じたとしたら、それは額に滲む汗のせいだろう。
「冗談はさておきまして。あの御仁について私の知るところは、見たまま通り、人を育てることは苦手、ということになりましょうかね」
「それもまた、偽りということもあろう」
「さすれば、あの方々はこの国を潰したいのでしょうな。武官らの現状を受け止めますと、さもありなんというところがまた、恐ろしく」
「確かにね」
そのように同意しておきながら、中嗣はここで思い切り自省してしまい、嘆息する。
「文官もさして変わらないな」
羅賢が文大臣をしていたときも、そして今、中嗣が文次官をしていようとも。
不正を働く文官は後を絶たないし、まともな書類をひとつ完成させることも難しい者たちが多くある状態だ。
そして中嗣は、人を育てることを得意とはしていない。
「祖父が何もしなかったのか、出来なかったのか。あるいは、最初から誰かに押し付けようとして動いたか。その辺りは分かりませんが、もしやすると邑昌様に対する推測と変わらなかったのかもしれませんぞ」
「彼までもこの国を潰そうとしていたとでも言う気か?」
「祖父だけに限った話ではなく。今や、宮中全体の問題ですからな。ほれ、このように」
羅生が自身の胸を親指の先で示したとき、いよいよ言葉を発することが億劫となった中嗣は、再び空を見上げた。
鳶はすでになくも、それよりも近い空に、揺れる小さな欠片があって、それを追い掛けるように中嗣の思考は飛んでいく。
桜の花は、どうしてか咲き誇るときは一瞬で、風は瞬く間に花弁を運び去るも、散り行く様がまた一段と美しいことには違いない。
つい先日、あの二階の窓から、風に乗り流れゆく大量の花弁を共に見送ったときには、何とも言えない満ち足りた気持ちになった。
そして同時に、相反する切なさも感じ取ってしまう。
同じ気持ちを共有していることは、すぐに分かった。
浮かぶ懐かしい想い出と苦々しい記憶を共に重ねたくて、後ろから抱き締め、しばし通りを眺めていたときの、あの静寂な時間。
まさに至福の時。
少し前ならば、嫌がっていたというのに。嫌だと発することもなく前に座り。
去年までならば、祭りに行くかどうかで揉めていたというのに。今年の祭りはどうするかと聞いてくれて。
完全に背中を預け、甘えるようにして、祭りでは書の出店を沢山見たいと願う。
そしてこちらがしばし甘えてみれば、髪に触れる指先から優しさを惜しみなく与えてくれて。
ここまで来たら、もう……あと一押し。
急に緩んだ男の横顔を見ては、羅生は虫けらを見付けたような顔をして、冷めた視線を送ったが、こうなるともう、真面な会話は無理だと、羅生も諦める気でいたのだが。
文次官様の戻りはやけに早かった。