1.今日もお口は達者です
「あの文字狂いの意見を採用してやらんのですか?」
「君は発言をする前に少しの間を空けるようにしてみたらどうだ?」
官服ではなくも、両者共に遠目からも分かる一等の絹織物の長衣を纏い、明らかに洗練されたその佇まいがあれば、この通りで彼らを官と思わない者はいないだろう。
この男たちはしかし官らしくもなく、南大通りの煎餅屋の前に立ったまま、焼き立ての煎餅が包まれる時を待っていた。
相も変わらず、宮中を目のまえにする南大通りは、行き交う人で溢れているのだから、ここで片の男の笑顔が引き攣った理由がひとつではなかったのは当然だ。
「別に構わんでしょう。あれは文字狂いなどと言えば、むしろ喜びましょうぞ」
「それは知らぬが、君の話題に乗れば、私は君のその質の悪い言葉に同意したことになろう」
「おやおや、これはまた。質の悪い言葉など、日々聞き飽きていましょうに」
「それはどういう意味かな?」
「はは。何一つ深い意味はございませんぞ」
慣れた煎餅屋の娘から用意された包みを受け取った中嗣は、羅生を居ないものとして歩き出すも、羅生は飄々とした足取りで隣を歩いた。
季節は完全に春に巡り、穏やかな風が二人の頬を撫でていく。なんと、心地好い時だろうか。隣の男がこれでなければ、と思ったのはどちらもだ。
「即座に世から小屋を廃すなど不可能なことは分かりますが、あの領地での実証研究ならば、何ら問題はないでしょう。さほどの収益も得ていなかった土地ですぞ?」
田の隠蔽と子売り業を隠し通したあの領主は、利益隠しによる税逃れに留まらず、様々な悪事に手を染めていた。最も悪かった罪は、田の検分では見えぬ場所にて良からぬ草を育て、それを密売していたことにある。
当然、華月は良からぬ草の存在までは把握しておらず、領主に与えられる罰の重さを知る由もないのだが。
いつか耳に届くのではと中嗣は憂えながらも、ほぼ独断で厳しい処罰を決めていった。たとえ領主たちが逆恨みをしようとも、それを実現する術も時も彼らにはなく、その点に関しては安心している。
だが宮中には不穏分子が残っていよう。次官となってしまったからには、それだけで華月に危険が及ぶ可能性もあって、今は常に華月を見守らせている状況だ。
その華月は今日もせっせと写本をしているはずだった。
近頃は春の祭りを見据えての依頼が増えて彼女も忙しい。
思い出せば、早く帰ろうと足は速まるも、どうも隣の男はもっと話したいようである。
「それとも、誰かが領主になりたいなどと戯言を申しましたか?まぁ、天下り先としては街からも近く、老い先短い年寄りにはちょうど良き隠れ家になるかもしれませんがねぇ。実績も期待出来ぬ領地など、一代限りの療養地くらいにしか使えませんでしょうし、こうなっては厳しく検分されて誠厄介なご領地となることは明白。そうまでして何を望まれているのやらと、あえて疑えと所望されている気にもなりますが。して、どこの誰がそのように?」
嫌味満載のその物言いには、中嗣も薄く笑っていた。どうせ否定されると分かって言っているのだから、これは何の冗談なのか。
「いや、今のところは誰からも希望はないよ。彼の提案ならば、少しずつ手掛ける予定だから、君がそう気にしてやることもない」
「その慎重さですぞ、中嗣様。気味が悪くてなりません」
「なんだ、それは?」
「次官まで上り詰めてなお、どこにご懸念が残っていると?」
羅生という男には気遣いがない。
あえて無言を返した中嗣の心情など汲んではやらず、さらに問い掛けた。
「他の大臣、次官様方とは、上手く付き合っているようにあちらこちらから耳にしておりますが?まさか、どなたかが反対されるとでも?」
「通るだろうね」
「ほぅほぅ。表向きの結果は、合意ではないと?」
仕方ないと、中嗣はあえて歩みを遅らせた。羅生もまたそれに倣い、足を進める速度を落とす。
「君の祖父殿が長くその場所にあって、何もしてこなかった。それが答えだろう?」
「はて。祖父はいかにも賢そうに振舞うことが上手い御人でしたからな。面倒事も嫌うておりましたぞ」
ふっと小さく笑うと、中嗣は言葉を返した。
「それでも何もせずに放っておいた理由があるはずだよ」
「そうでしょうかねぇ。いくらあの祖父でも、すべての領地を隅々まで把握出来ていたとは思いませんし、知らなかっただけでは?」
「遠く目の届かぬ領地でもなくか?」
「では相手が愚か過ぎて、放置が適切と判断したのでは?」
「まさか本気で言っていないな?」
「冗談も通じなくなられたので?」
もう一度小さく笑った中嗣は、羅生の冗談には付き合わなかった。
「我らで遊ばれているようだね」