17.狐につままれていたようです
妓楼屋『逢天楼』の一階には、大広間がある。
その一面は広縁となっていて、晴れた春から秋の夜には灯篭に彩られた立派な庭を望むことが出来た。
二人の若者が今、並び、広縁に腰を下ろしている。二人ともに広間には背を向けて、一方は庭に放り出した足をふらふらと揺らし、もう一方は胡坐を掻いていた。
後ろから、彼らに歩み寄る者たちがある。中嗣、利雪、宗葉だ。
先頭を歩く中嗣が、ここに利雪と宗葉を連れて来た。
中嗣は語り掛けようと横に立ち、体を屈めて、一人の顔を覗き込んだ。すぐに彼は語ることを辞めて、空いた隣に腰を下ろすと、両腕を伸ばして彼女を抱える。
間もなく華月から、嗚咽が漏れた。
中嗣はその背中を優しく撫でつつ、華月の横で瓢箪から直接酒を煽っていた男に語り掛ける。
「どうやら私は、羅賢殿に遊ばれていたようだね」
語り掛けられた男が中嗣に顔を向けたとき、思わず利雪は声を漏らした。
「あなたは……」
宗葉も息を呑んでいる。
華月の隣にいた男は、羅生。
正妃を治癒するために華月の助言を受けたとき、怒鳴り声を上げていたあの五位医官だ。そして彼は、羅の家の僅かな生き残りで、羅賢の孫である。
羅生はその日夜勤をしていた関係で、羅賢が催した宴の席に参加していなかった。他に生き残った羅の者は、側妃の二名だけである。
正妃暗殺未遂事件に関しては、羅の家が責任を取ったとされるが、恩情として生き残った三人は宮中に留まることを許された。家族を丸ごと失い、家そのものの存続も危うくなった彼らは、すでに重い罰を受けているということになったのである。
しかし羅生がここにいるということは……
利雪も宗葉も元から羅の家が責任を取ったと聞いて違和しか覚えていなかったが、これはこれで信じられないことだった。まさか、そんな……二人の顔から血の気が引いている。
「中嗣殿には、手柄をやらぬと申しておりました。これからも己の力で生きられますようにとのことです」
中嗣は苦々しく笑うも、華月の背中をゆっくりと撫で続ける。
羅生はその視線を、彼らの後ろで立ち竦んだままの利雪と宗葉に向けた。利雪らに緊張が走る。
「お二人も救われましたな」
「え?」
「……救われた?」
祖父が迷惑を掛けて申し訳ないとでも謝られると思っていたのだ。
だから意味を問おうとするも、羅生はすぐに二人から顔を背け、体を戻してしまう。
それから羅生も、中嗣も、その中嗣の胸に捕らわれた華月も、しばし黙った。
迷った末に宗葉が少しの距離を置き中嗣の隣に座ると、利雪はその隣に落ち着く。
事情を問うのは、せめて華月が泣き止んでから。そう思っていたのに、次第に客が増えてきた。ここでの解説は期待出来ない。
とにかく自分たちが、皇帝の命から始まってあの火災の日まで、若き女性と、亡き文大臣、それから五位医官、この三人の手の内で転がされていたという事実だけは理解した、利雪と宗葉だった。
(写本師殿は、想像以上に素晴らしく、面白い方であった)
あとで冷静になった利雪の素直な感想である。