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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第八章 はかるもの
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0.序章~挫折の記憶



 そこがどんな場所にあり、何をするために存在する離れの一室か。

 思い出させてくれる見習いの遊女が、この日は部屋に不在だった。


 その会話は思いのほか、簡単に。

 回りくどく言葉巧みに導く必要もなく。

 語り始めた彼女の幼い顔にも一切の嫌な色は浮かんでおらず、それどころかどこか嬉しそうにも見えたことが、私には救い手となり、刃にもなった。


「自分がどこの誰か、知らない子の方が多かったかな。私みたいにね」


 この頃の私には、ひとつ困ったことが起きていた。

 彼女にはいつもの作り笑顔が通用しないのである。


 だから感情を隠すために、私は奥歯を噛み絞めて、真剣に聞いている顔を作った。


「口減らしや借金のかたに売られてきた子もいたよ。それから、売人に誘拐されてきた子もいたね。盗賊に親を殺されて、その盗賊に連れられてきた子もいたなぁ。あとは……」


 不意に顔を上げた少女が眉を下げたとき、私は失敗していたことを悟るも、彼女の顔にこそ驚いた顔をしてみせた。


「どうしたのかな?」

「話が過ぎてごめんなさい。私は口が過ぎるんだって」

「そう感じたこともないが、誰が君にそんなことを言ったのかな?」

「皆によく言われていたよ?」

「皆か。だが、私はそうは思わない。それに今は、聞きたいと願ったのは私の方だよ。だから君が謝るようなことは何ひとつないからね」

「だって辛そうに見えたから。聞きたくない話だったよね?」


 自身でもわざとらしく感じるほどに大きく首を振ってから、笑顔を見せた。

 それは成功したはずだと、今も信じている。何故なら彼女もまた、安堵したように柔らかく微笑んだから。


 思えばこの頃、私もよく喋る男に変わっていた。それは彼女の心を開くために必死だったからだろう。

 いつからか、また言葉足らずになってしまったのは、心を許しつつある彼女に甘え始めていたということか。


「そのように見せてしまったのは、すまなかったね。だが、にこにこと微笑んで聞く話でもないだろう?それでつい、難しい顔をしてしまったのだよ。それが悲しそうに見えたのではないかな?」

「難しい顔をしていたの?」

「そうだとも。これからは私の難しいときの顔も覚えておいてくれると嬉しいね」


 丸々と大きく見開かれた瞳は、映したものをそのまま吸い込んでしまうのではないかと憂えるほどに澄んでいた。

 ずっと見ていたかったけれど、考える間を与えまいとして私は言った。


「君の話はとてもためになっているよ。嫌でなければ、もっと聞かせてくれないか?」

「ためになるのね?いいよ!任せて!」


 お礼代わりとでもいうように手を伸ばして頭を撫でれば、少女は嬉しそうに目を細めて笑い、気持ちよさそうに私の手を受け入れた。



 指南役が時折入れ替わるようになったのは、この日からである。




 ◇◇◇




「子売り小屋は廃すべきと考えます」


 歴代の文大臣は、紅玉御殿の最奥に位置する、最も壮麗な部屋を与えられてきた。


 何故、このような利便性の悪い場所を選んだのか。無駄に広い部屋など、他のどこにでも用意出来たであろうに。

 それは、私がいつも足を運ぶたびに疑問に思ってきたことである。


 文大臣であるからこそ、紅玉御殿では最も人の通いやすい中央辺りに部屋を構えた方が仕事をしやすいはずであるのに。誰も何も……というより歴代の文大臣が部屋の移動を指示しなかったのは何故か。

 遠慮を知らなかったもっと幼い頃に、当人に尋ねたことがある。その彼は、奥まった場所で隠遁生活をせよと言うのだから、それに甘んじでおけばいいのだと、皮肉気に笑うだけだった。


 廊下を長く歩むほど、多くの文官たちとすれ違うことになり、そこで挨拶や会話が生じ、時間が奪われることになる。

 存在に気付かなかったことにして立ち去りたいと願いながらも、いつもなら挨拶もどんな言葉も適当に受け流すようにしていたのだが、この日は気分が高揚していて、それが出来なかった。急いでいると一言で済ませて、ほとんど駆けるように廊下を進めば、距離を感じる間もなくその部屋に辿り着く。

 やけに長く感じるのはすれ違う人のせいかと、こんなところで改めて知らされるのだった。



 そうして部屋に通された私は、挨拶も忘れて開口一番、先の提案を伝えたのだった。

 しかも私は、彼の反応を待つことも出来ず。

 悠々と座椅子に背を預けて座る彼の前に許可なく膝を付き、何か月も掛けて作った分厚い資料を差し出して頭を下げた。当時の私としては仔細まで完璧に詰めた提案書だ。


「ほぅ。これは面白いことを提案なさる。拝見しましょう」


 嫌な顔ひとつ見せず、提案書を手にして、その場で中身を改めてくれた彼は、なんと寛大な男だったか。私は当時、まだ下位の文官であったのだから、急に現れて、与えられている仕事にないことを提案し、その提案書を読めなどと伝えたら、罵られ追い出されていてもおかしくはない。


 その若き無礼な私は、これから続くであろう問答のために、頭の中で算段を整えながら、彼が動く時を待っていた。

 ところが、まさか声も掛けずに立ち上がるとは思わず。しかも部屋を出て行こうとしているではないか。

 これを拒絶と受け取った私は慌てて立ち上がり、追い掛けようとしたのだが。


「すぐに戻りますから、そのまま座ってお待ちくだされ」


 彼は幼いときから変わらず、私には丁寧に語る人だった。

 観察していればすぐに気が付くことだが、彼が若い者全員にそうしているわけではない。

 だからもっと以前の私は、宮中でも異質な存在の私に対し、あえて壁を作っているのだと捉えていた。


 だが、その読みは間違っていたのである。

 彼のそれが純粋な敬意からで、しかも私個人に対するものではないと知ったのは、彼女と再会してからのこと。このときの私からすれば、()()()()()ということになろう。

 今まで見てきた彼が、また違う人に感じることに感慨を覚え、彼の一挙一動を改めてよく観察していたように思う。

 だからこそ、この日のような甘えが起きた。


 宣告通りすぐに戻って来た彼の手に抱えられていたのは、私が作った資料の三倍の厚さはある紙の束だった。颯爽と歩く文大臣を老人扱いするつもりはなかったが、私は見ていられずに急ぎ立ち上がり、手伝いを申し出た。

 しかし、そのまま紙の束のすべてを手渡されてしまう。


「差し上げますから、じっくりと何度でもお読みくだされ。()()()のためになりましょう」


 結局彼は私の作った資料に関して何の意見も言わなかった。

 つまりこの紙の束が彼の返答だったのだ。


 それで私は失礼にも急ぎ部屋を辞し、またしても同じように急いでいるからと廊下で出会う文官たちをすげなく躱し、自室に戻ると、受け取ったものを読み解いていった。

 それが宮中の書類に違いなくも、正式に残された書類ではないことを理解したあとの、衝動。



 同じ衝動を感じるうちは、まだ早い。私はそう思うのだ――。





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