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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第七章 ふれるもの
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21.どこまでも残念な男たちが


 長く話していれば、写本屋の二階の窓から部屋に差し込む日の角度も変わるものである。

 まだ日暮れには早く、陽光は高い位置から降り注いでいるも、間違いなくその位置は西よりに移動し、西向きの窓が多く並ぶこの部屋は先より明るさを増していた。その西日は、それでなくとも男たちが多く集まっていたせいでいつもより高くあった部屋の温度をより高め、中嗣は膝に乗る娘の体調を案じ始めている。

 まだ暑さというほどのものはなく、季節は春にも満たない頃だが、日々変わりゆく気候を肌で感じていれば、自然去年の夏を思い出し、この夏はどうかという憂いに想いが至った。

 特段、不快そうな顔は見えないが、いつまで……


 そう。一体男たちはいつまでここで話を……いや、それよりもだ。いつまでこの男は娘を膝に抱えておくつもりなのだろう。


 異常であったことには、その疑問をこの場の誰もが忘れていたことにあろう。抱えられた娘でさえ、忘れていたのだから。慣れとは恐ろしいものである。

 しかも娘は、その状態を保ちながら、口元に差し出された煎餅を頬張っていた。

 買ったばかりの高級な煎餅というものは、いくら気遣おうとも食す際にはバリバリという音が鳴ることを止められないのだと学んだ華月は、気にすることを諦め、腹を満たすことに決めていた。その諦めには、膝に乗ることや、煎餅を男の手ずから食べることも含まれている。



 そんなおかしな状態にある部屋の中で、話に混じらず利雪は何をしていたかと言えば。

 やはり華月が書いた一枚の紙に無心で魅入っているのだった。反応がないところを見れば、華月の煎餅を頬張る音さえ耳に届いていないらしい。

 もっとも近くで、宗葉と宗樹の関係を見てきたであろう幼馴染は、この件に関して何も思わないのだろうか。

 そもそも利雪は、宗樹とも知った仲であり、彼をどう捉えているのだろう?


 羅生からじっとりとした獲物でも狙うような目つきで観察されていることにも気付かず、利雪は今なお隅々まで手元の紙を見やり、微笑を浮かべている。

 この美しき男は、どんなときにもあまねく優先すべきは文字なのか。



 そんな異常な状態で、中嗣は真面な顔をして上司らしいことを言うのである。傍から見れば、なんと決まりが悪いことだろう。


「とは言えね。君が好むかどうかも、選んだ理由も関係なく、今の君は文官だ。文官として仕事をまっとうする義務がある。それは君も分かるね?」

「分かっておりますとも。文官である以上、書類仕事は避けられませんし、これからも頑張ります」


 宗葉が部下らしく神妙な顔をしていることがまた、この部屋のおかしさを加速する。

 何せ、たった今、中嗣は華月の唇に指を乗せたのだ。焦った華月が急いでその手首を掴み、唇から引き離したが、宗葉もこれをしっかりと目にしてしまった。


 中嗣がいくら上司らしく語ろうと。やはり決まりが悪いのである。

 そして宗葉がいかにも部下らしく身を縮めようと、やはりどこかにずれが生じていた。


 揶揄うことにも飽きた羅生が白い目で中嗣を見ていたが、好いた娘を抱いて浮かれた男に効果があるはずもない。

 この男はまだ、この体勢を保ち、上司らしい顔を続ける気でいるらしい。


「少し視点を変えてみようか。君は近頃、差し戻しとなる書類をよく見付けられるようになったと思うが。特に今日は見違えるほどにいい仕事をしていたね。今日の仕事の出来は、君自身でも成長が見られているように感じたのではないかな?」


 突然褒められたことに照れた宗葉は、一旦は上司のおかしなところを忘れ、頭を掻きながら「そうでしょうか?」と緩んだ顔で問い直した。

 もっと褒めろということだが、悲しいかな、このおかしな上司には伝わっていない。

 分からぬ上司では宗葉が可哀想だと、羅生と華月がひっそり同情していたが、それも宗葉は知らなかった。


 話はすぐに先へと流れる。


「あぁ。そこで考えて欲しい。君はどうやって書類が差し戻すべきものか、それを判断しているのだろう?」

「それは不備がある書類を……もしや」

「おや?気付いたか?」


 宗葉の口がすぐに開かなかったのは、すっかり理解したのではなく、分かり掛けているところだったからだろう。

 宗葉は悩むようにして、おずおずと口を開いた。


「そうですなぁ……どういった問題が不備となり差し戻されるか、それならば、少しは分かるようになっていると思います。完全とは言えませんが、中嗣様や利雪の仕事振りを見ていたら……それで私の分かる範囲で不備となる箇所を熱心に探しておりますと、何故かこう、よく不備のある箇所が目に留まるようになりまして。華月が言っていたことは、もしやそういうことでしょうか?」


 うんうんと頷いたのは、中嗣の膝に乗る華月だった。

 中嗣も満足そうに微笑むと、華月の頭を撫でながら、もうしばしと上司らしい顔を続ける。


「書類というものは、本来はすべて読む必要があるのだよ。特に次官ともなった私の元に届く書類なのだから、本当ならばすでに不備もなく、完璧な書類が届けられていて然るべきだ。すなわちそうでないとしたら、問題は私の前に書類を手にする上官にある。だが、これを指摘してすべての書類を差し戻していたら、どうなるだろう?宮中内部で問題が生じるくらいのことならば、私はいくらでも書類を差し戻し、まともな書類が出て来るまでは受け取らないと決めよう。されどそうしないのは、我々の仕事が滞ったことで、民の暮らしに影響が出てはならないからだ」


 少しは聞いていたのか、利雪が紙から顔を上げて、中嗣を見やった。特に何か言うことはなかったが、その美しき瞳が煌めいている。


「私の言いたいことは、伝わっているかな?」

「はい……いえ、えぇと?」


 宗葉が大きな体を縮こまるようにして、首を捻った。

 分からないことを誤魔化さなかったことには、中嗣も理解を示す。


「つまりね、君の仕事は書類を捌くことではないということなのだよ」

「なんですと?」


 宗葉が驚いた声で聞き返せば、中嗣は幼子にそうするように柔らかく微笑んだ。


「私は言っただろう?民の暮らしに影響を与えるわけにはいかないと。とすれば、我らの仕事はなんだ?」

「書類は仕事を行うために必要となるもの……ですか?」

「そうだとも。書類は目的ではなく、あくまで目的を完遂するために必要な情報をまとめたものだということだよ。どの書類でも、誰が、何のために、誰のために、そしていつまでに、どこで、何をしようとしているのか。そういった情報が詰まっているものだ。この目的を先に汲み取って理解すれば、その場で書類からすぐに確認すべき必要事項も自ずと見えてくるものなのだよ。さすれば、華月がしたように短い間に書類をまとめることなども容易に出来るようになろう」





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