18.まさか他人任せで終える気ですか?
中嗣は意気揚々と言葉を紡いだ。もちろん、膝には華月を抱えたままだ。
しかし視線の先は、指導すべき宗葉ではなく、利雪に向かっている。
「利雪は理解を始めているようだから、あえて君に問おう。書から情報を得る際に、君はいつもどのようにしている?」
華月は狡いと思ったが、自分もまた説明を諦め、これを中嗣に預けたのだから同じものだと気付き、すぐに考えを改めるのだった。
この娘も中嗣という男への、感じ方、捉え方だけは、結構成長しているのだ。一部足りてはいないから、こうして膝から降りることも叶わないし、この男に翻弄されてばかりいるのだが。
利雪は美しく小首を傾げながら、しかし中嗣の意図に従って解説する気はないようで、中嗣から聞かれたことに対する回答のみを短く語った。
その手にはなお、先ほど華月が書き上げた一枚の紙がある。
「必要な言葉が書かれた頁を探しますね。目録がある場合は、そちらから確認します」
中嗣はふむっとあえて一度考えるような間を置いてから、また利雪に問い直す。
「その言葉が見当たらなかったときにはどうする?」
利雪は二度目の問いにも、上司からの質問にだけ答える姿勢を貫いた。
どうもその美しき顔が「今は考え事をしているのだから放っておいてくれ」と言っているように見えるのは、華月の気のせいだろうか。
「関連のありそうな言葉を探します。軽く読み流しながら、関連ある頁を探ることもありましょう」
さて。賢い男が、己と同等になる人間を容易く育てられるかと言えば、必ずしもそんなことはない。
特に中嗣のような男にとって、宗葉のような若者が持つ疑問は理解しがたいことだった。宗葉からすれば、この上司や幼馴染の男たちの頭の中身こそ、まったく理解しがたいことなのだが。
この互いに分かり合えない上司は、部下にはこれで十分に伝わると理解したらしい。
「ということだよ、宗葉。君とて普段は書を読まないとしても、官試験のための対策などで、幼い頃から書を読む機会には恵まれてきただろう?その頃を思い出すといい」
華月は酷い顔をしていたが、中嗣にはこれが見えず、彼は満足そうに言い切った。
宗葉は当然ながら、首を捻る。
「隅々まで暗記せよと。我が家ではそういう方針でしたから、私もそのように」
「まさか官試験に関わるすべての書を暗記していたのか?」
まさか、君が?と言っているように聞こえた宗葉は顔を歪めそうになったが、しかし己がそれを出来たためしはないので、見当違いな怒りだと気付いて心を鎮めた。
そうして、急ぎ首を振る。
「まさか。よく試験に出るところだけを、とりあえず覚えておくように試みただけです。兄なども同じ対策でなんとか官試験を通りましたので、私もこれを真似ることになりました」
宗家の面々の顔を思い出した中嗣は思わず眉間に皺を寄せるが、これも華月には見えていなかった。
しかしどうしたことか。宗葉もまた、上司と同じように眉間に眉を寄せていて、華月は珍しいなとこれをじっと眺めるのである。
「試験に出るところだけをか……うむ。では、そうだな。算術はどうだ?分からぬ問題があれば、君はこれを調べるために書を使ったのではないか?」
宗葉はなんと首を振った。それが堂々たる態度であって、華月をよく驚かせる。
すでに宗葉の眉間の皺は消えていたのだが――
「いいえ。私はいつも分からぬところを利雪に聞いておりましたので、算術書の世話にはならなかったのです」
「なんだ、官位試験を通ったあの立派な兄者には教えを乞わなかったのか?」
羅生がわざとらしい笑みを浮かべて問い掛けると、宗葉は先よりもずっと深く眉間に皺を寄せるのだった。
華月は中嗣の膝の上で、男たちの会話に興味津々で耳を澄ませている。意外と宗葉という男をよく知らなかったことに気付いたからだ。
「あの兄が、算術など教えられるわけがなかろう?官位試験の結果が出た当日に、俺の部屋に使い終えた汚い参考書を山積みにしていった男だぞ?どうせほぼ使ってもいないくせに、よく使い込んだように見せることには頭が回り――あの男、俺に何と言ったと思う?これで何もかも忘れられる、せいぜいお前も苦しめと、それは憎らしい顔で俺に伝えてきたんだぞ。それもここで終わらずに、だからと言って稽古の相手から逃れられるとは思うななどと――」
鬱憤を晴らすかのように言い募った宗葉は、はっとして言葉を止め、慌てて謝るのだった。
「申し訳ありません。ここでは関係なき私事の話を長々としてしまいました」
中嗣は諫めるようなことを言わず、むしろ同情的に「構わないよ。宗樹の話だね」と言って、まるでよく分かると言うように深く頷くのだった。
今度はまた違う意味で、宗葉は慌て始める。