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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第七章 ふれるもの
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13.後悔はいつも先には立たず



 利雪と話し始める前に、華月が異国語のままに写していた書は、中嗣が宮中の書庫の奥から見付けてきたものだった。

 それは間違いなく、禁書と言われる類の書であって、当然書庫からの持ち出しも禁じられている。

 中嗣は得たばかりの権力を私的に大いに活用したということだ。


 まぁ、持ち出したところで。誰にも読めない書であり、直近の危険はないのだが。


 何せ、この国とは国交のない国の言葉で書かれているため、宮中にもまずこの書を読める者がない。かつてはいたらしい、という噂はあるものの、現在は誰も読めぬのだから。

 それで何が危険だと言うのか。

 国交がなければ、市井にも読める者がある心配はないということだ。


 ただし内容は謎であり、もしかすると本当に危険な書である可能性はある。


 しかし中嗣にとって、華月にこの書を貸すことは、何ら危険のない行為だった。華月は外に漏らすことなく、一人で楽しむに違いない。いや、今は二人でだ。


 そんな華月も、突然に写本屋の二階に現れる官たちには気心を許しているのか、それとも諦めているのか、その書を軽々と見せているが。中嗣が止めぬのだから、すでに問題ないと話してあったのだろう。


 一応言っておくが、華月も大分迷った。

 そこまで危うい書を持って来た中嗣に説教をするかどうか、という点である。


 結局華月も、この見たことのない字で書かれている書への魅惑に負けてしまった。つまり同罪だ。


 こうして宮中の禁書が一冊、街の写本屋の二階にて写され、保管されることになるのだが、これが解読出来るかどうかはこれからの二人に掛かっていよう。

 それで後世の誰かが困ることになるか、今の時点では二人ともそこまでのことは考えていない。

 本当に危うい書であると分かった後には、真摯な対応が出来る二人であると信じて……おくとして。



 さて、このような事情があって、華月は中嗣の言葉に心が揺らいだのだった。

 華月からすれば、己のために禁を破り、危険をおかして持って来てくれた書と捉えられ、これを止めなかった自分を責めたくもなるだろう。


 華月は途端に眉を下げては、自信がなさそうに呟いた。


「だから言うことを聞けと言うつもり?」

「まさか。この書はただの好意だよ。君が喜ぶ顔が見たくてね。もちろん私が君と楽しみたかった理由で持ってきたから、君が気にすることは何もないのだよ」

「こ……皆の前では辞めて」


 危なかった。冷静に対処出来ている……はずだ。

 と、華月は周囲を見渡してはほっと一息吐くのだが、周りはただ見ないようにしているだけである。


 ちょうど宗葉が盆を二つも抱えて戻ってきたところで、それで皆の意識が、中嗣と華月から逸れていたこともあった。宗葉は大きな急須から湯呑へと皆の分の茶を淹れていく。


「ふふ。君は今日も可愛いな。さて。それでは急ぎ話を終わらせ、とっとと彼らを帰らせるとしよう。早くいつものように二人の時間を楽しみ……」


 華月も自身の調子を取り戻すために、最後までは言わせない。


「それならまずは降ろして?真面目な話をするのでしょう?」

「どんな話でも、このままで平気だよ」


 華月が突然振り返り、見上げるようにして、中嗣の顔をじっと見詰めた。

 本気で怒ったかと心配になった中嗣も、華月の瞳をまじまじと見詰めてしまう。


 周りから見れば、熱く見詰め合っているように見えなくもない。


「宮中でまた何かあったの?」


 見る間に中嗣の顔が緩んでいき、華月は質問を違えたことを悟ると、急ぎ前を向いたのだが。

 言ってしまった後では、もう遅い。


「違うなら腕を解いて」

「いや。違わないよ。そういうことだ」

「絶対に違うよね?何もないでしょう?」

「長く離れていた時を想えば、君が無事かと気が気ではなく……」

「朝までここにいたでしょうに!それもなかなか出て行かなくて」

「愛しい君とは一瞬たりとも離れたくないのだよ」

「い、いと……おかしなことは言わないで!皆がいるのに!」

 

 何か不安を誘うことが起きたのではないか。華月は少し心配したのだ。

 部下が勢ぞろいしている前でわざわざ長く抱き続けるような男とは、まさか知らず。中嗣がこうしていると落ち着くと言ったことを思い出したのである。


 残念なことに、華月が思うよりずっと、中嗣はおかしな男だった。

 華月もまだまだ甘い。



 それからしばしの間、口論が続くことになった。

 口論というより一方的に華月が罵り、中嗣は喜んでいるだけなのだが。徐々に華月の声は大きくなっていく。


 それでも中嗣の部下たちは、宗葉が配った茶を飲み、各々好きな茶菓子を味わいながら、お喋りに興じていた。

 さすがは玉翠。茶菓子として、甘い饅頭に、砂糖菓子などを並べるだけではなく、煎餅や漬物も用意して宗葉に渡していた。そこにみたらし団子が並んでいないのは、近頃作り過ぎたことを玉翠が反省していたからであるが、華月もまた少々食べ過ぎだと反省していたところなのでちょうど良かった。

 この場の誰もがみたらし団子を買ってこなかったのも、事情を知っている中嗣が止めていたからである。華月がみたらし団子を好むとすでに知っている利雪が用意しなかったのは、事前に言われていたからに違いない。でなければ、山程に買って訪ねるつもりだった。


 と、近頃の状況から説明はつくものの、中嗣が止めた理由はもっと別のところを主として生じていた。羅生が鼻で笑ういつものそれである。


「もう嫌。離して」

「何も困らせないよ。ね?」

「私もお茶を飲みたいし、煎餅を食べたいの」

「おや。気付いたか。団子と迷ったが、今日は煎餅にしてみたのだよ」

「中嗣が買って来たの?」

「あぁ。食べるか?」

「買ってきてくれたのは、ありがとう。食べるために降ろして」

「このままここで食べさせてあげるよ」

「はぁ?」


 大声を出して玉翠を呼ぼうか。


 華月は中嗣の膝の上で悩み始める。

 玉翠が顔を出さないのは、官の集まりの場だからと気を遣っているからだ。

 気遣うならば、官ではない華月を呼びに来てくれてもいいのに。とどこかで思うも、皆が華月に会いに来たことを華月自身が知っているため、華月とてそれは願えない。


 しかも官と付き合い始めたのは、自分である。

 玉翠がいい顔をしていなかったというのに。


 こんなはずでは……。


 華月は中嗣の膝の上で、身を捩りながら、己の軽はずみな言動を後悔していくのだった。

 間違えたのは、どこからだろう?と。


 それでも華月は、彼らを忌まわしく想っていないし、それどころか結構気に入っている。だからこそ、二階のこの部屋に彼らを受け入れているのだ。

 本気で嫌な相手なら、まず家には上げず、店先で追い返していただろう。

 華月は押しに弱いところもあるが、嫌な相手には容赦をしない娘でもあった。それは官が相手でも変わらない。


 その前に、気付かれず手を回して不快な相手を近付けまいとする男が後ろから腹に手を回して微笑んでいるし、玉翠だってそういう相手を華月に近付ける前に排除するのだが、そこまでのことには考えが及ばない華月であった。




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