10.じっくりと向かう先を相談しましょう
「街のどこかに学びの場を作って実績を上げていくのね?」
「いえ、いきなり街では、街の皆様からも色々と言われるでしょう。ますます時間を取られることになりますから、宮中内外からの一様な反発は避けたいところです。そこで良きところに、領主不在の領地がありまして。先にこちらから手を掛けてはどうかと思っています。あの場所ならば、街の子どもたちを秘密裡に引き取ることも可能ですからね」
「まさか、あの領地なの?」
利雪はくすりと笑って、楽しそうに頷いた。
「中嗣様も華月のおかげだとよく褒めておられましたよ」
「私は何もしていないけれど」
「いえいえ。華月がいなければ、領主と官の悪事に気付くまでにさらに時間が掛かったことでしょう。それであの領地なのですが、今は領主不在で、宮中預かりとなっているのです。これを生かそうかと思いまして」
「確かにあの領地でなら、好き放題出来そうね」
「えぇ。おかげさまで、中嗣様の預かりとなっている土地ですから。そこで急に収穫量が増えたなら、皆様はどう思うでしょうね?」
「そんなに上手くいくかなぁ?」
「そこは私たちも頑張らなければなりませんが。実は宮中にて農耕技術に特化した組織を築こうという話にもなっておりますので、これと合わせて実験場所にしようと考えているのです」
「つまり今まではなかったのね……」
「えぇ。恥ずしかくも残念な話ですが、農耕技術に関してはそれぞれの領主任せとなっておりまして」
宮中は正しく税収が得られれば、それでよしということだ。
不作などで困るのは領主が先で、宮中にいる官までが苦しくなる状況はなかなかない。何せ納める税が減ったとき、領主には宮中からお咎めはあっても、支援はないのだから。
そこで華月は思い出す。灌漑技術の実験に関しても、反対意見が多くあるようなことを中嗣が言っていた。直轄地以外、つまり領主の治める地で何があろうと知らないと考える官は多いのである。宮中の金にもならない無駄なことはするな、と言うところだ。
平和だからこそ、なのかもしれない。いつからか、この国には他国との揉め事もないし、国内で反乱が起こることもなかった。
「手始めとして、あの領地の子どもたちには、読み書き計算と合わせて、農耕技術についても学んでいただきますが。私としては仕事を選べるようになることを理想としていますので、あの場所で他の分野についても学んでいただけるようにしたいのです」
「仕事を選ぶように?農民に生まれた子でも、他の仕事をしていいと許すつもりなの?」
「読み書き、計算が出来れば、街でも働けるのですよね?」
「確かに働くことは出来るかもしれないけれど……街の子どもも同じように学んでいくとしたら、どうだろう?よく知らない領地の子どもがすんなりと雇われるかどうか」
「そうですね。皆が学を持てば、その価値は当然のものとして、意味をなさないかもしれません。読み書きが出来るからと重用されてきた者たちの立場が危うくなる懸念もありますからね。考えることは数多ありますが。私の理想は、適材適所、これが叶う世の中になることなのです」
「適材適所?」
「えぇ。たとえば私も、官の家に生まれては、官になるものとして育てられましたし、他の道など考えられませんでした。私の場合は、特にこれといった不満もありませんし、他にどんな道を選べたかと考えても、思い付きはしないので問題はありませんが。官の家に生まれたからと言って、官が向いているかと言えば、そうではないでしょう?宮中には座学嫌いの者が沢山いることを知っていますか?」
くすっと笑った利雪につられて、華月も笑った。これは利雪の冗談なのだろう。
「武官になられたばかりの宗樹殿がよく言っておられたものです。体を鍛えることで主上さまのお役に立てるのだから、それだけで十分ではないかと。そう言いながら、机を並べる私たちの前で木刀を振り翳しておられましてね」
「宗樹殿って、もしかして宗葉のお兄さんのこと?」
「彼のこともご存知でしたか?」
「直接は知らないよ。飲みながら、宗葉が何度か話していたことがあったからね」
「宗葉と二人でお飲みになったことが?」
「二人でと約束したことはないけれど、妓楼屋ではよく逢っていたよ。それで二人で飲むようなことはあったかな」
「よく?何度もですか?」
「前は日を空けずに会うこともあったなぁ。最近は私も行っていないから、宗葉が今はどれくらい通っているかは知らないけれどね」
「…………ですね」
俯きがちにいつもよりずっと低く呟いた利雪の声は華月には届かず、華月が「え?」と聞き返したときには、いつも通り美しく微笑む利雪がそこにいた。
「なんでもありません。話を戻しますが、学びの場では適性を見ることをしてもいいのではないかと思っているのです。適性の無さを指摘する気はありませんが、向いている分野がある子どもには、むしろこちら側から適した職業を進めてみても良いのではないかと。たとえば、商売人の子どもに生まれたから、商売人が向いているかと言えば、そうでもないでしょう?計算嫌いな子どもに、商いはなかなか大変なものがありますし。そこで子どもの内にもっと別の適性を見付けられていたら。今までならば、他の道などなかなか選べなかったでしょうが、宮中指定の学びの場から新たな道を勧められたなら、その親や周囲の大人たちも考えを改めてくれるのではないでしょうか?こうして、適材適所に収まるように子どもの内から働きかけていきたいのです」
二人とも頭の中に同じ人物が浮かんでいた。懐かしき男、蒼錬である。
言っておくが、蒼錬は別に計算が苦手ではなかった。彼が失態を犯すに至った大きな問題点は、そこにはない。
しかしながら、彼が商売人に向いていなかったことも事実である。蒼錬という男には、商才というものが足りていなかった。
もっと別に、何か違う道を早くから知っていたならば、あのように世を恨みながら落ちるところまで落ちていなかったのではないか。
と利雪は考えたのだ。
甘いな、と華月は思うも、この考え方は嫌いではないな、とも感じるのだった。