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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第七章 ふれるもの
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8.羽を広げて鱗粉を撒く



「私は人を売り買いする考えを持てぬ世へと変えるつもりです」


 利雪の宣言が、あまりに漠然とし過ぎていたため、華月はしばし黙った。

 頭の中には、憂える事象が川のように次々と流れていたが、そのどれかを口にする前に、利雪は言葉を付け足した。

 それがまるで華月の心を読み、安心させようとしているようで、その心遣いに驚いた華月の視線は優しく微笑んだ利雪の美しい顔へと強く惹き付けられる。


「近いうちにとは言いません。本当ならば、すぐにでもそうしたいところですが。出来ぬことは言えないでしょう?最終的には子売り小屋を廃止し、大人も含めた人の売買を禁じようと思いますが、いきなりこの法を整えて施行しても上手くいかないことは、考えの足りぬ私にも分かります。どんなに甘く見積もっても十年は掛かるだろうと見込んでいますよ」


 これは同じ男だろうかと、華月は疑いたくなった。

 逢天楼に利雪らが初めて現れたときには、なんと危うき官がいるのだろうと華月は思ったものである。

 それがどうだ。今や、中嗣に次ぐとまでは言わないも、いずれは中嗣のように、それどころか長き時を経た先には羅賢のように、思慮深くありながら有言実行の官となることを思わせる片鱗が、目前のやけに美しき男からしっかりと感じ取れるではないか。


 華月は、ひとえに感動していた。


 すべては、羅賢の見立てた通りだったからだ。


「実は昨年の秋の祭りにて捕らえた子どもの世話を私がしていまして」


 感動していて心ここにあらずだった華月は、突然に話題が移ろいだことに慌てて頷いた。


「そうみたいだね」

「すでに中嗣様から仔細お聞きでしたか?」

「うぅん、あれから詳しいことは何も。その子は利雪に心を開いているの?」

「そうとは言いにくいですね。はじめは言葉も発してくださらず、それどころか目を合わすことも嫌がる様子で、私の前では食事も取ってくださいませんでしたから」


 苦笑を浮かべる利雪に対し、無理もないと華月は思うのだった。

 己は小屋にあったから、官に対峙する態度というものを躾けられている。と言っても、教えられた使うべき言葉は簡単な挨拶程度のことで、あとはひたすらに頭を下げろと言い聞かせられているだけだった。

 

 祭りで捕らえられた子どもは違うだろう。おそらくは、官を忌み嫌えと教えられて育っている。

 それも捕まればどうなるか、脅されてきたはずだ。盗みを働く際にも、こんな暮らしをしなければならないのは官のせいだと伝え聞いているかもしれない。


「今は違うのね?」

「えぇ。長く時を過ごすうちに、少しずつご自身のことを話してくれるようになりました。物心ついた頃には、その集団の中にいたこと。祭りなどの祝い事に合わせて各地を転々としながら、組織的に盗みを働いていたことも認めています。そしてそれを悪いと思っていなかったことも、教えてくださいました」


 その子にとっては、生きるために働いているだけのことだったのだろう。

 華月は子どもの様子を想像して、小さく頷いた。


「彼はひとつの決まった道しかないと信じていました。運良く生き残ることが出来たなら、その組織で上役になり、同じように盗みが出来る子どもたちを育てていただろうと」

「運良くか……」

「えぇ。私は残りの組織にいる子どもたちも救いたいと願っていますが、こちらもそれが今すぐに叶わないことは知っています。武官でさえ、子ども一人しか捕らえられないのですから。どこかの祭りで罠を張って捕らえることも出来ましょうが、怪我人を出さずにとなると……」

「人が足りないだろうね」

「そして賛同者も足りていません」

「あぁ……」


 命じれば動くかもしれないが、下位の武官らは嬉々として子どもたちの首を撥ねてしまうのではないか。

 犯罪者を生きて捕らえよと言われて、さて、納得する者はどれだけいるか。

 しかも相手は、官を嫌っているうえに、逃げることに関してはよく訓練された子どもたちである。


 宮中を知らぬ華月にも、普段の武官の態度を知っていれば分かることがあった。


「私に力があれば……本当に悔やまれますが。今は出来ることをするしかありません。その子たちがやがて大人になったときに、同じ想いをする子を育てなくても良いように世を変えてみせます」

「どうやって?」


 華月はついに聞いた。その声には少しの緊張感を含んでいる。


「手始めに、学びの場を整えます」

「学びの場?」


 華月の瞳が煌めいたことを、利雪もはっきりと感じ取った。これで気分が良くなった利雪は、ここからいつも以上に饒舌となる。元より顔に似合わずお喋りな男なのだ。幼馴染の大きな男がさらにお喋りなことと、利雪はよく書を読んでいたことで、それが周囲にはよく知られていないだけである。


「どの子どもでも等しく学ぶ場が提供されたとき、数年後には世が様変わりしていると思いませんか?さらにそこで、人の売買や盗みを働くことが悪であると教えることも出来るでしょう?少ない知恵を絞って種々の手を考えましたが、教育こそが世を変える最も効果的な手段になるという考えに至りまして。これは中嗣様も同じ考えをお持ちだということで、初めの一手として賛同してくださり……」


 華月はここで不快そうに眉を寄せるのだった。中嗣の名を聞いたからではない。


 そしてそんな華月の顔に、利雪は明らかに喜ぶのである。この男の嗜好もやや心配だ。


「分かっておりますよ。これはある種の洗脳で、正しきことと言えるかどうかはわかりませんし、ことを間違えばかえって世を醜く歪ませることになりましょう」


 そう。華月は、宮中の良きように人が導かれることは嫌なのだ。

 たとえば、その学びの場で、官がいかに尊いかを語ることも出来るし、皇帝の権威への理解を強要されるようになったらどうだろうか?


「この手は使い方を間違えれば大変なことになるため、時間を掛けてでもよく検証するようにと、中嗣様からも言われておりますよ。それに思想に関しての話が出れば、宮中内も荒れましょうし、我々こそが学びを得なければならない立場です。そこで、思想については大事にしていない体を取って、読み書きや計算などを学べる場を先に広く提供していくことを考えています」

「場所を先に整え、そこで広げる思想は後から……まぁ、悪くはないと思うけど。ただの学びの場だとしたら、それって街の手習い塾とはどう違うの?」


 華月が官である利雪への配慮なく意見してくれることが嬉しくて、ますます利雪はよく喋るようになるのだった。


「お金を頂きません。どの子どもでも学べるように整えます」

「待って。そうすると今ある手習い塾が困らない?」

「そこは、差別化を図って貰うしかありませんね。聞けば、裕福な家の子どもたちが通う手習い塾と、そうでない塾があるそうですね」

「まず外の手習い塾に通おうと考える家の子どもは、ほとんどが裕福な家の、身のある子どもたちだから。そこでさらに裕福の程度に差があるという方が正しいかな」

「いずれにせよ、ゆとりある家の子どもたちしか、手習い塾にはいないということですね?そうすると、私たちが無償で提供するような学びの場に、その子どもたちは顔を見せるでしょうか?」

「うーん、難しいところだなぁ」


 華月が腕を組んでは首を捻ると、またしても利雪は嬉しそうに笑った。

 もはや華月のどの反応も嬉しいのだろう。


「えぇ。宮中御用達。宮中御指名。宮中御認可。豊かな者ほど、こういった言葉に弱いそうですね」

「凄いね、利雪」

「何がでしょう?」

「そこまで分かるようになったなんて。驚いてしまうよ」


 華月はそこまでのことを教えた覚えはない。

 ただ庶民にも身分差があると伝えただけだ。


「中嗣様にもたびたび教えを頂いておりますが、近頃は羅生殿にもよく鍛えられておりまして。それに最近はあの子がよく世のことを教えてくださるんですよ。私は彼を師匠と呼ぶようになっています」

「師匠?それはまた……そういうことなら、私には話を聞かなくても良さそうだけれど」

「いえ。華月の意見はとても貴重です。これからもどうか、私とは()()()()()何の制約も持たずにお話しください」


 華月は柔らかく微笑むのだった。官らしく成長したと言っても、やはりこの美しき男は、いつまでも伝や美鈴と同じところにあると感じた華月である。




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