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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第一章 おくりもの
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15.他者を見て己を知りました


 すべて話せと言われたが、どうしても中嗣を信じ切れず、具体的な名は明かさなかった。それでも家の付き合いなどがあって自分たちが誰に何も問えず困っている状況を伝えると、華月は怪訝な顔で呟いた。


「やはり、権威ある方々は好きになれませんね」


 その冷たい声には、強い侮蔑の念が感じられる。

 利雪にはそれが、あなたたちも嫌いよ、と言っているように聞こえて、辛かった。


「華月。二人に言ってあげられることがあるね?」


 中嗣に優しく促されると、華月は小さく頷き、渋々というように口を開く。


「一年ほど前の話です。わざわざ街の写本屋に、例の第三集の写本を依頼した者がおりました」


 このような危険な書を、宮中ではなく、あえて外の写本師に依頼する意味を、利雪らはすぐに理解した。

 しかもそれが一年前ということになると、また状況が変わってくる。華月は一年も前から、今回のようなことが起こり得ると考えていたのだろうか。


「どこの誰からの依頼か分かっているんだね?」

「依頼したのは下男風情の男でしたが、どの家の者かは明らかにしませんでした。依頼は喜んでお受けましたが、少々気になりましたので、写本を取りに参られたときに後を付けています」


 ここでため息を漏らしたのは、玉翠である。中嗣は笑顔だったが、ほんのひととき眉間に皺を寄せていた。


「その者は写本を持って、街の料理屋に入りました。その料理屋で写本は別の者に渡ります」

「それも追いかけたのか?」

「えぇ。その方は羅のお屋敷に入っていかれました。門番の態度と衣服から考えると、羅の家の侍従だと思われます」


 黒幕は、文大臣羅賢なのか。

 中嗣は顎に手を添えたまま、首を捻った。何か気になっている様子で、華月を観察するように見ている。


「まだ言いたいことがありそうだね、華月?」


 中嗣には、華月の考えが分かるのか。

 華月は不本意そうな表情であるものの、さらに言葉を重ねた。


「西国の商船が滞在している期間に、羅の家の者が連れ立って、何度も港まで馬車を飛ばしておりました。これは馬車回りの下男から聞いた話です」


 華月の話はまだ続く。


「西国の珍しい品々だけでなく、聞いたこともない医薬品などもお買い求めになられていたとか。羅半様がうっかりと漏らしたところを、また別の羅の家の下男が聞いておりました」


 玉翠はいつもよりさらに深いため息を漏らした。この後彼女は叱られるのだろうか。利雪は思わず心配になった。


「華月殿は、もしかして最初から……」


 華月は返事をするどころか、誰とも目を合わせようとせず、口をぎゅっと噤んだまま、真横の壁を睨んだ。

 中嗣は一人頷き、この場を引き受ける。


「羅の家ならば、話の筋は通るね。側妃が二人もいるのだから。動機も十分に……()()()()()()()という問題もあるが、羅の家ならば説明が付く。不遇な側妃がいるからと言えば、何でも済む話だ」


 後宮に毒物を運ぶという難題も、文大臣の権威と、側妃二人を通せば、解消出来よう。正妃暗殺の理由として、羅の家出身の二人の側妃の存在は重い。


「老賢人も、少々老い過ぎたようだ。若い者に席を譲っていただく頃だろう。利雪、宗葉、ここからは私の下で働きなさい」


 中嗣の提案に、利雪らは驚き、狼狽えた。


「すでに上からの許可は貰っているよ。心配なら、戻り次第確認するといい。君たちでは、どうにもならないところであるからね。もちろん、ここで手を引いて、普段の業務に戻って貰っても構わない」


 利雪も宗葉も、最後の言葉を強く否定した。


「最後までこの件に関わらせてください。中嗣様の下で働きます」

「私も同じ気持ちです。お願いします」


 中嗣は頷くと、すぐに華月に向き直る。


「もう話すことはないかな、華月?」


 まだあるよね?と言いたげだが、華月は壁を睨んだまま首を振った。


 本当に話すことがないのか、話したくないだけなのか。

 華月の固く閉じた唇は開かない。


「これからどうなさるおつもりですか?」

「簡単だ。直接問おう」

「直接ですか?」

「あぁ。君たちは戻り次第、書類の件で聞きたいことがあるからとでも言って、羅半に私の部屋を尋ねるよう言いなさい」

「そのようなことをすれば、羅賢様が黙っていないのでは?」


 それがどうした?という風に、中嗣は涼やかな笑みを崩さず言った。


「そこからが私の腕の見せ所であろう。君たちは要らぬ心配をせずに、羅半に何を問うかも考えておきなさい」


 尋問をさせてくれると言っている。それは面白そうだと、失礼にも宗葉は思っていた。

 利雪は顔色が良くないが、これも必要なことだと身を引き締める。


 中嗣はそんな若い二人の様子に微笑んだが、すぐにまた顔色を変える。

 宗葉はそこに中嗣の厳しさを垣間見た。


「さて、二人とも。私はもう少しここに残ろうと思うのだけれど」


 帰れと言っているのだ。これは宗葉だけでなく利雪にも分かった。

 宮中の官はこのように遠回しな言い方を好むからだ。


「中嗣様もどうぞお帰りを」


 不機嫌な顔で壁を睨んでいる華月の声は、低く淀んでいる。


「二人でもっと話をしたいよ、華月?」


 それでも華月は動かない。

 中嗣の手がそっぽ向く華月の頬に伸びたとき、彼女はこれを当然の如く払い除けた。それなのに、中嗣は嬉しそうに苦笑を浮かべるのだ。それはとても幸せそうに。




 邪魔になると理解した利雪らは、中嗣を残し、写本屋を後にした。中嗣が宮中に戻るまでに羅半を捕まえよう。

 外に出るとまだ夜空には早く、紅掛空色の淡い色が頭上に広がっていた。用がなければ、羅半も部屋に戻っているはずだ。

 皇帝から呼ばれてから長く時間が経った気もするが、それは今朝のこと。まだまだ今日は終わりそうにない。


「そういう仲なのかねぇ?」


 宗葉が首を捻り言うが、宗葉が分からないのに、この手のことに疎い利雪が分かるはずもなかった。


 年頃の娘なのだから、そういう相手がいてもおかしくはないだろう。しかし街の写本師の相手が、高位の文官であるというのは、何かおかしい。

 官が外に妻を持つことなどよくあることだが、見た限りは中嗣の一方的な想いのようだった。

 けれども華月もまた気心が知れたように話していたことも事実。

 利雪は思い出して、顔を顰める。同じ文官であるのに自分はまだ遠い存在であることを思い知った。出会って少しの時間しか経っていないとしても、それが物悲しくて、どうしてか切ない気持ちでいっぱいになる。

 

 最初から謀られていたかもしれない。

 とすれば、自分は信用のおける側にはないということだ。

 一人では汚名返上することも出来なかった。それどころか醜態しか見せていない。

 あこがれ続けた写本師殿にやっと会えたのに。


 中嗣様は華月を守るだろう。そのために姿を見せた。そうに違いない。

 だから心を許すのだ。

 首が飛ぶかという心配をせずに話せる相手だから……


「どうした?」

「いえ、羅半殿に何を問うかと考えておりまして」


 今は自分が出来ることをするしかない。

 利雪はきゅっと下唇を噛んで、前を向き、足を踏み出した。



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