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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第七章 ふれるもの
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6.誰も予期せぬ甘いとき


 窓からはさんさんと陽光が入り、写本屋の二階は明るかった。

 利雪もまた色白の男で、華月ほどではないにしても、光の中でその肌の白さは際立っているのだが、己ではそれを見ることが叶わないから気付けないのか。

 利雪の視線は華月の頬に留まり、どうやら利雪はその真っ白い陶器のような肌に見惚れているようである。


 一方視線を受ける華月は、もしや至極話しにくいことを相談しに来たのではないかと、掛ける言葉を選んでいたのだが――。



「あなたは存在そのものが、字のように美しき人なのですね」



 利雪が突然に発した言葉がこれである。

 もちろん華月は、「はい?」と少しの間を空けて問い返した。


 利雪はこれではっと我に返ったような様子を見せたのだが、続いたのは先とあまり変わらない言葉で、華月の救いにはならない。


「あなたの白い肌を見ていたら、この白さがあるからこそ、その黒い髪と瞳の美しさがよく映えるのだと感じまして。そうしたら、まさにあなた自身が紙の上に並ぶ美しき文字を体現されているようだと思えたのです」


 利雪からすれば、極上の誉め言葉かもしれないが、華月がこんなことを言われて嬉しいはずもなく。


「利雪は文字が好きね」


 華月の返せた言葉がこれである。

 呆れた顔も見せていたが、利雪は何故か嬉しそうに美しく微笑んだ。それはもう、華月とは比較にならない、誰が見ても美しき微笑である。


「ようやくすっきりしました。以前から何か引っ掛かっていたのです」

「えぇと……それは?」

「あなたが文字を書かれるときのすべてが美しいと思っていましたが、まだ何か足りない気がしていました。それはあなた自身の美しさだったのですね」

「……知る限り最上位に美しい人に言われてもなぁ」


 利雪が不思議そうに首を傾げる。それがまた、可憐で美しく、切り取った絵のようなのだ。

 しかし華月もすでに利雪には見慣れていたので、この場で見惚れるようなことはない。


「私が字だと言ったけれど、それなら利雪は絵画のように綺麗だよね」


 はたして字に例えられた女は美しいのか。甚だ疑問であった華月だが、利雪には訴えたところで伝わらないだろうと思い、この疑問は呑み込むことにした。

 その代わりではないが、利雪の美しさに言及しておく。


「絵画のよう?私がですか?」

「そうだよ。言われたことはない?」

「いえ。絵画とは一体……」

「そうだねぇ。整い過ぎているというか、何もかもが完璧過ぎて。絵画だとか、彫刻のように、作られた美しさを凌駕する天然の美しさを感じるよ」

「絵画を凌駕する美しさが……私からですか?」

「うん、利雪の話だね」


 利雪の耳が薄っすらと紅く染まった。

 それを解せないというように、華月は目を細める。


「綺麗だとよく言われてきたでしょう?」


 今度は華月が首を傾げた。


 はて、宗葉もそのようなことを妓楼屋で訥々と語っていたことがなかったか。

 幼馴染である男を好いていながら、それでも見目の違い、賢さの違いに、どこか不満を溜めているようで、言いにくそうにしながらも、少しずつ愚痴を零すようなことがあったのだ。

 それもすべて酔いの席だからこそなのだろう。宗葉はあれで優しい男である。それにしては妓楼屋の姐さんたちの覚えは悪いが。

 この点も華月は解せない。


 華月が宗葉を思い出していることなど知らず、利雪は大仰に首を振るのだった。


「そのようなこと。言われたことはありません」

「本当に?」


 とすると、絵画のように遠くから観賞されるばかりなのだろうか。

 確かにこうも美しいと、なかなか声が掛けられないのかもしれない。


 華月は考え、一人納得しつつ、思考を進める。


 宗葉の言うところ、利雪もまた、宮中の女性たちに人気があると聞いていた。

 だが利雪は女性が苦手だと言っていなかったか。

 あぁ、そうか。ぐいぐいと距離を詰める強気な女性だけが、利雪に近付いて来るのだろう。だから苦手を感じたのだ。

 大半の女性は、あまりの美しさに引け目を感じて、近付けないものではないか。己の美しさを気にしている女性ならば、なおのことだ。

 自身を客観視出来るような視野の広い女性がそれであるなら、利雪に熱心に近付いて来る女性など知れたものである。


 それは利雪も大変だな、と知らぬ女性に失礼極まりないことを考えながら、何とも勝手に利雪に同情する結論に至る華月だった。


「悪い気分にさせていたらごめんね」

「とんでもありません。悪い気分など。華月は私が美しいと思うのですね?」

「私だけでなく、ほとんどの人は利雪を美しいと思う気がするよ」

「他の人は気になりませんが、華月に言って頂けることは嬉しいです」

「え?嬉しいの?」

「えぇ。お互いにお互いを美しいと思えるなんて。こんなに素晴らしいこともないでしょう?」


 華月は首を捻りながら、「美しいのは字ではないの?」と呟いたが、利雪はうっとりと自分の考えに魅了されていて聞いていない。


 華月は腕を組んで、この男をどうしたものかと考えた。

 どうも字に関わる話になると、利雪の扱い方が分からなくなる華月である。

 いや、おそらく誰もがそうだ。


 華月が対応を迷っている間に、利雪はなおも目を輝かせて華月に問い掛けた。


「華月は、美しいものがお好きですか?」

「え?うん、そうだね。綺麗なものはいつも見ていたいと思うよ」


 他意はなかった。華月には本当に何もない。


 だが利雪は違った。また耳を染めては、「私のことも見ていたいのですか?」と問うのである。

 こういう面で、利雪は凄い男に違いない。ここに宗葉がいたら、この様を絶賛していたはずだ。もはや、崇めていたかもしれない。


「利雪を?うーん、そうだなぁ。利雪の顔はもう見慣れたけれど、芸術的な観賞という意味でなら、いつまでも見ていられるかもしれないね」

「それは素晴らしい。私で良ければ、いくらでも見てください!」

「え?いや、えぇと。今のは冗談のようなもので」


 嫌がってくれると思ったのに、これである。

 この会話が打ち切られる予定だった華月は、戸惑いながらも「えぇと。それで。話は?」と利雪にここに来た目的を強制的に思い出させるのだった。


 利雪は頷くと、すっと姿勢を正し、また美しく微笑む。

 もう耳はいつもの色に戻っていた。





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