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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第七章 ふれるもの
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5.若輩者は猜疑心を持つ


「君は元気だと、華月にはよく伝えておくよ」

「ははは。そろそろ機嫌を直してくだされ。今日の留守役は磁白殿に一任しましょう」


 手に持っていた書類を切りのいいところまで読み終えた宗葉は、やはり我慢ならず口を開いた。


「そ、その磁白殿なのですが……」


 発言しようと意を決したものの、出て来る声は頼りなく、宗葉は至極言いにくそうに先を紡いでいくのだった。大きな体をして、なんとも惜しい男だ。


「大丈夫なのでしょうか。その……これは悪口ではなくてですな。磁白殿はあの子との相性がとても悪いように……それは私の主観でしかありませんが……その、とても心配をしておりまして……」

「あ奴らは何も通じ合えてはおらぬだろうな。それでなんだ?」

「だから、それで良いものかとお伺いしているのだ。あの子に悪影響となっては困るだろう?」

「ははは。宗葉も心根の優しき男だな。別にあれがどうなろうと構いませんな、中嗣様?」


 宗葉は「なんと、酷いことを言うのだ」と思い切り顔を歪めたが、中嗣は微笑みながら「さてね」と答えるだけだった。

 これには宗葉も隠さずにむっとして顔を歪め、半ば中嗣に睨むような視線を向けてしまう。


 それでも中嗣は、宗葉に向かい微笑み続けた。それは己より若い者を慈しむ笑顔に違いない。


「それほど気になるならば、今日は君が留守番をしているか?」

「いえ、それは少々……」


 磁白に任せて良いものかと切り出したものの、皆で出掛ける時に仲間外れにされるのは嫌だと思う宗葉である。心配しておきながらあっさりと己を優先させる宗葉に、羅生は隠さずに呆れた顔を向けていた。


「代替案もなく、否定するものではないよ。今日のところは磁白に任せておくといい」

「まさにその通りだと思いますがな。惜しいですぞ、中嗣様。そこで終わるから、いつまでもこ奴らにさえ、意図を理解して貰えぬのです」


 中嗣が変わった要因の多くは華月にあるが、一端はこの羅生という男が担っているのではないか。

 なんと珍しいことに、中嗣は羅生の指摘を素直に受け入れ、宗葉に向けて発言を足したのである。


「ふむ。では、こう問おう。宗葉は子ども時代、周囲には手厚く相手をしてくれる、子どもに合わせる大人しか存在しなかったか?」


 宗葉はこれだけで、中嗣の言わんとすることが伝わった。

 己の幼い頃に周囲にいた者を思い出してしまうと、磁白はあの子どもにとってさほど悪い大人とは言えなくなる。

 宗葉はその境遇を知って、強く同情していたことを、今になって知った。それはとても無礼なことかもしれないと思ったとき、何故か宗葉の頭には華月の特徴なき顔が浮かんでいた。

 彼女は怒るだろう。そして信じられないくらいに言葉を並べ立て、宗葉を叱るのだろう。

 宗葉は勝手にその場面を想像し、腹を押さえた。胃の奥をぎゅっと掴まれた感覚になったのだ。


「確かに彼は少々気難しいところはあろうが。任務以外であえて人を傷付けることはないし、誰に対してもあの態度だからね。その上任務には忠実だから、逃がしてやるような甘さもない。だから、磁白で問題ないと()()()()()()()()。さて――」


 ここで終わらせておけば、いい上司であったのに。

 羅生は強く想うのだった。いや、宗葉も同じことを想った。


「早いところ仕事を終えて、華月の元に戻らねばならない。君たちもいつも以上に急いでくれるね?明日以降で問題なき書類はすべて後回しとしよう。今すぐに処理すべきものだけを対応しなさい。君たちは華月も言うように、とても優秀だからね。今こそ、その能力を遺憾なく発揮して、いつも以上に早く書類を捌いてくれたまえ」


 羅生と宗葉の中嗣を見る瞳から、すっかりと覇気が失われていた。


「そこは利雪のために、ゆっくりと時間を掛けて仕事をしようと言うべきところでは?」

「何を言う。もう十分に時間を与えただろう。四半刻でも多過ぎるくらいであるのに、彼が出てからどれだけ経ったのだ?どうせ私が会議に出向いた直後には出掛けたのだろう」

「なんと狭量な。恥もなく、よくそのようなことが言えましたな」

「当然のことを言って、何を恥じることがあると?」

「少しは恥を知ってくだされ。聞いているこちらまで、恥ずかしくなってくるのですぞ」

「そんなことはいいから、とにかく今は黙って仕事をしたまえ」

「はじめにこの場をおかしな空気にしたのは、中嗣様ですぞ。それでいて黙っていろと言うのは、無理な話です」

「おかしなことを言い始めたのは君だろう?」

「いいえ、中嗣様からですぞ!」


 どんどん大きくなる声には、宗葉は堪らず叫んでしまった。

 いくら慣れて来たとはいえ、こうなると宗葉は書類を読んではいられない。


「急ぎ仕事をするのでしょう!揉めないでくだされ」 


 ここにいない利雪を改めて恨めしく想う宗葉だった。

 美しき幼馴染の男は、多くの仕事をこなしてはいるが、いつも上手いこと面倒事からは逃れている。いや、もしかすると。意思を持って逃げているのではないか?

 中嗣には及ばずとも、あの幼馴染の男もまた、自分には遠く及ばないほどに賢い男だ。

 とすると、中嗣と同じことでは?

 こちらの苦労を知ったうえで好き勝手にしている?


 そこに考えが思い至ると、宗葉は今までになく強い憤りを感じ、いつもより格段に速く書類を処理していくことが出来た。


 ひとつの書類を終えて、次の書類に手を伸ばしたときに、さらに宗葉は気付く。

 あれほどこの部屋に訪問して来た者たちが、中嗣がいる間には不思議と現れない。先の会議中も、書類を持ち込む文官たちが幾人もいたが、今は誰も来ないではないか。

 それがどういうことかと考えると、忌々しさから、宗葉の書類を処理する能力がさらに上がった。まさにこれこそが八つ当たりである。宗葉はここで、嫌な気持ちを大嫌いな書類に向けて発散することを覚えた。


「ぬっ。これは不備がありますぞ。こちらはすぐに差し戻すとしましょう」


 というように、宗葉は鬱憤に任せて、普段は書類作成者やその次の承認者に気を遣って出来なかった厳しい対応まで見せていく。まさに八つ当たり。宗葉という()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を紅玉御殿はこの日失ったのかもしれない。


 時折中嗣と羅生がこの様子を感心して見ていたことにも気付かず、宗葉は夢中になって仕事をこなした。こうして宗葉は、上司に成長した姿をはっきりと誇示出来たのである。


 このときから、中嗣が宗葉を見る目は変わっていった。宗葉に与える仕事の質も同様に少しずつ変化していったのは、自然の流れであったと言えよう。

 それを宗葉が望んでいたかと言えば、否と言えようが……変化する環境に身を置くうちに、宗葉は斯様にして自身でも知らぬ間にぐんぐんと成長していくのだった。




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