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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第六章 したうもの
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34.砂糖を足した後はお約束です


 どの頃も華月一筋だった、というのはあまりにもおかしな話だ。

 仮に、邑仙が結婚相手として迷惑にも中嗣を選んだ頃を想定してみよう。三位に上がった頃と言えば、華月はまだ十四、五程度で、確かに少女から大人へと変容しつつあるときではあったが、成長が遅れていたこともあって、六つ上の中嗣からすれば、小柄な華月は十分に幼い少女に見えていたはずである。

 まさか、その頃から?と疑えば、自然に考えはおかしなところに行きつくもので。


 中嗣はこれを察知して、素早く華月の考えを訂正するのだった。


「どうか間違わないでくれ。私は過去のいかなるときも、幼い君に欲情はしていない」

「どの頃もだって、中嗣が言ったんだよ?」

「そうではない。そうではなくて。私は心のどこかで、妻にするなら君がいいと考え続けてきたということだ。他の者との結婚は、想像することさえ難しかったのだよ」

「……うーん?」

「かつての私の想いなど分からなくてもいい。今はただ君という人を心から愛しているからね。それだけはどうか、分かっていて欲しい」

「あ、あいして……?」


 華月は赤面すると、矢継ぎ早に言葉を足した。

 こうなってしまえば、最早頭で考えて発言していない。


「そ、そんな頃から私がいいなんて。結局は私と会う前から私を妻にすると決めていたということになるよ?」

「そうだとも」

「それはおかしいよ。いくら中嗣が赤子の私を知っていたとしても、その後はどこでどんな風に育っているかなんて、分かったものではなかったでしょう?」


 赤子は素直で可愛いものだが、そのままに成長する保証は確約されていない。

 それはどの子どもでも同じことだろう。

 かつて、想像は出来なくも、邑天や邑仙に起きては泣くばかりの可愛いときがあったように。

 その心温まる記憶が、親や周りの大人たちを縛り、目を曇らせてもいるのだが。


「どこで育とうと、君は必ず素晴らしき女性になると思っていた。確かに私は、今ここにある君に恋をして、慕っているよ。けれども、まったく別の君に成長していたとしても、私はまたその君に恋情を抱くのだと分かっている。結局は同じ君だからね」


 おかしな男は、どこまでもおかしなことを言い、華月を困らせた。


「こ……れん…………そ、外側がいいということ?」


 変わった好みをお持ちで、と思った華月はそれを口にしなかった。

 ここで過剰に容姿を褒められたところで、困るだけだと分かっている。


「外側もだよ、華月。外側も内側も、私は君のすべてが愛しい」

「い、いと…………それより、話のあった縁談の中で、少しも良い人はいなかったの?」


 慌てたことで、触れるべきではないところへ話を戻したことは、華月の失敗である。

 この娘も大分頭が回らなくなってきた。


「良いかどうかの以前に、よく話もしていないからね」

「それは中嗣が臆病だったことと関係がある?」

「いや、本当に興味がなかったのだよ。それ以前に、私はその類の話に対し、辟易していたこともあってね」

「縁談が沢山舞い込むなんて、そう悪い話とは思わないけれど。そんなに嫌だったの?」


 中嗣は少々むっとして、眉間に皺を寄せたが、華月には見えていない。

 眉間の皺を解いてから浮かべた微笑も質が変わっていたが、華月はこれを感じ取ることが出来なかった。


「……君を困らせる気はなかったのだが。これは困ったな」

「え?どうしたの?」

「出世すると共に、今まで私には目もくれなかったような者たちが、娘を、姉妹を、姪を、従姉妹を、妻にどうだと言ってくるのだよ。いつもの君ならば、彼らの意図などあまねく分かろう」

「そ、それはごめんなさい」

「問題ないよ。だが、喜ばしいことのように言わないでくれ」


 華月が頷くと、中嗣はしばし元の会話に興じることにする。

 内心は、もうそんな気分ではないのだが。


「ここに邑仙が加わると、さらに大変なことになってね」

「あ、それは分かる気がするよ」

「あぁ。まだ私にも話が通っていない段階で止めようとするのだが。止めることは別に構わないのだよ。どうせ断るのだからね。私には君しかいないのだから」


 客間の空気が変わりつつあって、なるべく自分に触れない話をしようと、華月も必至だ。


「あの人は、どんなことをして他の縁談話を妨害したの?」

「何故邑家は、あれまで鍛えてしまったのかと責めたくなるようなことを多々ね」

「え?あの人も強いの?」

「女性としては、宮中で最強かもしれないね。なかでも強烈に覚えている件は、とある御仁の娘の顔に怪我をさせたときのことで……あのときは私も大変だったな」

「もしかして、責を取ってその怪我をした人と結婚しろと言われちゃった?」

「それが逆で」

「逆って?」

「そちらはいいから、いい加減に邑仙を引き取ってくれと懇願されたのだよ。妻にして、調教なり、洗脳なりしてくれと。君なら出来ると簡単に言ってくれたのだ。そう言えるならば、自分の息子を邑仙の夫にと差し出して、調教とやらをしてみればいいものを」

「調教と洗脳……」

「周りも彼女からは迷惑を被り続けてきたからね。家なき私ならば、責を取らせるのも容易であろうし、私の出世を良く想わない者からすれば、失脚させる良き理由を与えられる、というところだ。邑仙を妻にせよと言う者たちが急増したことは、彼女を増長させてしまったのだろうね。周囲も認める婚約者だとますます勘違いを深めては、会話は一層の混迷を極めることになった」

「うわぁ……」

「そう言いながら、二人目、三人目の妻でいいし、邑仙をすっかり調教した後で構わないからと、娘を宛がおうとする者たちが後を絶たない。こんなことが続けば、辟易してしまうのも分かるだろう?」

「そうだね。先は良いことのように言ってしまって、ごめんなさい」

「いいよ、華月。その代わり、私は彼らに対し、いつも同じ返答をしていたことを覚えておいてくれ。妻とする娘は決まっているし、他に妻は要らない。これだけが私の答えだった」

「そ、それはもう分かったから……ひゃっ」


 首筋に触れているものを察した華月は、指先までも真っ赤に染めてしまった。

 語り尽くしてみれば、中嗣の我慢も共に尽きたのである。


「や、辞めて。普通にして」

「これくらいも駄目か?」

「駄目。どれくらいでも駄目!」

「君に触れたいと願うことは?」

「そんなことは願わなくていいから」

「抱えるのは良く、どうしてこれは駄目になる?」

「そういう話はいいの。お願いだから、それは辞めて?」

「口付けていい場所は?」

「だ、だから、それは……」


 中嗣が瞬時に顔を上げると、その視線の先で、すーっと戸が開き、廊下から玉翠が現れた。


「君はまさか。ずっとそこに?いや、気配はなかったが……」

「お茶が冷めた頃だと思いまして、新しいものをお持ちしたんですよ。そろそろ、ちょうど良き頃合いだったでしょう?」

「ありがとう、玉翠!ちょうどお茶のお代わりが欲しかったところなの!」


 心底救われたという声で華月は叫び、中嗣の緩めていた手の隙をついて、膝から降りた。


「どういたしまして。さぁ、温かいお茶でも飲んで、ゆっくりしましょうね」

「玉翠もそこに座って。一緒に話そう?」

「もうよろしいですかね、中嗣様?ここからは同席しても?」

「……私が決めることではないだろう」

「もちろん、いいよ。ねぇ、玉翠。今日は磁白殿が私たちの後を付けていたんだって。知っていた?」

「いえ。そうだったのですか。さすが武官様は違いますね」


 傍らでは中嗣が酷い顔色を浮かべていたが、これを気遣うこともせず、次に中嗣がおかしなことを始めたら玉翠の元に駆け込もうと固く決意する華月だった。

 そんな娘に注がれるひだまりの中にあるような温かい眼差しは、玉翠からのものである。

 娘の隣にある男への僅かばかりの同情は軽く身を顰め、まだ男一人を受け入れられるところまでは成長出来ない娘を、その淡い瞳で慈しむのだった。

 普段は中嗣に協力的な姿勢を示しながら、こちらもまだ娘を他の男に渡す覚悟が決まってはいないのだろう。


 中嗣は項垂れながらも、淹れ直された茶を飲めば、ただ美味しいと思った。悔しいが、玉翠の淹れてくれる茶は、宮中で出されるどの茶よりも美味しいと感じる。

これでは懐くはずだと、中嗣は歯がゆく想うのだった。初めから己ですべての世話をしたかったと、中嗣は何度そう思ってきたか分からない。

 そうして会えぬ老人に、心の中で恨み言を吐くのである。なんとも虚しい結果になろうと知っていても、これだけは辞められない。


 何故もっと早く、再会させてくれなかったのか?

 それより何故最初から私に引き取らせてくれなかった?


 玉翠に茶が美味しいと伝える華月の横顔に見惚れながら、さてこれからはどうやって妻にしていこうかと、画策していることなど露知らず。

 華月は最近仲を深めた父親に向けて、心から嬉しそうに笑い、話し込んでいた。





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