33.語り過ぎるとおかしなところへ
これでは姉の入内も取り止めにした方がいいのでは。
そういう話も出始めていたと、中嗣は語った。
身内に、それも妹が問題ある娘として知られていたら、いくら姉自身が清廉潔癖な淑女であったとしても、正妃として相応しい者だと胸を張って言える者もない。
ところが、姉の入内はそのまま何事もなかったように進んでいく。
「正妃の入内を上に押したのは、邑昌殿だったそうだ。今となっては長女を守る意味があったのではと勘繰りたくもなるが」
中嗣はその後邑仙がさらに荒れたことを語った。
方々に願い出たようだが、いくら武大臣の娘が騒ごうと正式に決まったものを覆す力はなく、姉の入内が取り消せないのならと、今度は自分を側妃にするようにと願い出た。姉より劣る立場は不満だが、寵姫となり後宮の権力を掌握しようと考えたのである。
それもあらゆる方面から断られたが、邑仙は皇帝が自分を知らないからそう言うのだと信じて疑わなかった。それで皇帝に会わせろと、またしてもあらゆる方面から断られる願いを口にするようになる。
「目通りなど、本来は次官以上にしか許されていないことなのだよ。だから通るわけもなくてね」
中嗣が協調した部分を汲み取り、華月は心底同情しながら頷いた。
「そうだったのね」
「あぁ。彼女だけでなく、邑天も同じことを言っていたが。こちらからすれば、官位も上げずに何を言っているのかという話でね」
「邑仙という人にも、官位があるの?」
「彼女は一応、月桂宮で女官をしていたから、我々と同じではなくも位はあるのだよ」
女官たちの官位は、初級、中級、上級の三種類しかないが。問題はそこではない。
「皇帝へのお目通りが叶うのは、上位の女官なのね?」
「いや、残念ながら女官は許されていないのだよ。女官が謁見出来るのは、後宮の妃たちだけなのだ」
月桂宮が出来たのはもっと後の話だが、先々代の皇帝が色を好み、宮中に様々な問題を生んだことが考慮され、女官は皇帝への謁見を禁じられている。
それは色を好まぬ現皇帝であろうと、規律として守られていた。
そしてまた、逆も然り。男性である官たちも、後宮にいる妃たちとは目通りすることが出来ない。
これには後宮の女性たちが皇帝のものという意味もあろうが、こちらの規律にも過ちやその疑いを僅かにも生じさせない配慮があった。
「邑仙も兄と同じく学びが足りなくてね。宮中の決まり事には疎いのだよ」
「それで皇帝には会えないし、後宮にも入れないと分かったから、中嗣だったの?」
「いいや、それも違う」
中嗣は首を振り、頭を下げて癒されることを一時忘れるほどに熱心に語った。
「あの頃は有難いもので、私には一切の興味もなく。出世しそうな良き家の若い男たちに次々と色仕掛けを始めたところでね。始めただけで成就したことはないとも言っておくよ。狙われた者たちがあまりにも可哀想だからね。まぁ、いくらか危うかった者もあったそうだが」
「……何をしたかは、聞きたくないなぁ」
「私もこれに関しては、君に仔細を知らせたくはないのだが。そのうち私が順当に官位試験に合格し、彼女が狙っていた者たちよりも上位となっただろう?あのときほど失敗したと思ったことはなかったよ」
「いつからだったの?」
「三位になった直後だったね」
華月は邑仙との僅かの会話、というより一方的な宣言を思い出した。
彼女はどこで、どうやって、中嗣と結婚の約束をしたと思い込んでしまったのか。想像しても無駄なことを考えているうちに、華月の肩に中嗣の顔が乗っていた。
仕方ないと華月が撫でれば、中嗣の心底疲れた顔は、すぐに幸せそうな微笑みへと変わる。
もちろんこれは、背中を向けている華月には見えていない。
「急に擦り寄って来た日の不快さは、鳥肌が立つほどだったよ。その上、ありもしない婚約話を吹聴されて。今までの傲慢な態度を知った私が、どうして今さらに靡くと思うのか。そもそも、たとえ彼女が全くの別人で素晴らしき女性であったとしてもだ。私には華月という心に決めた人がいるのだから、他のどの女性にも惹かれるはずがないだろう?それをいくら説明しても、あれには何も伝わらないのだよ。会話がまったく成立しない相手というのは、それは恐ろしくてね」
「……今は私のことはどうでもいいかな」
「……どうでも良くはないが、すまない」
中嗣は頭を下げて、一度小休止を挟んだ。
華月は迷いながらも、渋々と中嗣の頭を撫でていく。今までとは違い、それがどこかぎこちない動きであっても、中嗣は嬉しそうに微笑んで、また顔を上げるのである。
「何度も邑昌殿と掛け合い、ここしばらくはおとなしくしていると思ったが。君の元に通っているという噂を広め過ぎたことが気に障ったのだろう」
「……本当に噂になっているんだ?」
「本当に?」
「うぅん。その噂が出るまでは、あの兄妹には振り回されなくなっていたの?」
「いや……どのみち問題はあちこちで起こしてくれていた。それも勝手に私の婚約者だ、その兄だと名乗り、それが嘘だと周知されていようとも、そのたびに私まで呼び出され……」
華月は中嗣の続く愚痴に耳を傾けながら、かつて胡蝶とした会話を思い出し、中嗣の言葉が止まったところで何気なく聞いてしまった。
「中嗣には、縁談の話がいくつも舞い込んでいたのよね?それなら、他の良き家の人と結婚して、その家の人たちを後ろ盾にしつつ、あの人たちから逃れるか、あるいは家を気にせずに厳しい対応を……」
ぎゅうっと抱き着かれて、華月は焦る。間違えたと思ったが、もう遅い。
「私には君しかいないよ」
「待って。昔の話だから。それも仮の話だよ」
「どの頃だろうと私には君だけだったのだから、仮定の話など考えなくていい」
「……それはおかしくない?」
僅かな時、焦りを忘れ、華月は冷静に疑問を呈するのだった。