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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第六章 したうもの
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32.甘くない会話にも甘さが滲むようになりました


 中嗣の口は珍しく止まらなかった。

 華月とよく話すと決めてから、口数が増えてきてはいたものの、羅生のようにぺらぺらと語る男ではない。

 それが今日のように、本心を曝け出して受け入れられた後には、別人のように口が滑らかになるのも、溜め込んできたものがそれだけ多かったということか。

 この男が大分甘えていることは、その行動からも窺い知れた。


「あの二人には幼い頃から酷く迷惑を被ってきた。それは思い出すのも煩わしいほどにね」

「辛いなら思い出さなくてもいいよ?」

「もう吐き出して、忘れたいのだよ」

「ふふ。それなら、どうぞ。いくらでも語って」

「あぁ。君にだけは聞いて欲しい」


 一度言葉を止めると、中嗣は華月の肩に顔を埋め、頭を撫でさせた。

 心地よさをしばし堪能し、満足してから顔を上げれば、また語り始めるという甘え振りである。


「子どもの頃は、当然私にも官位はなく、家もなき身で、宮中に存在していたからね。あの二人にとっては、好き勝手をするにちょうど良き相手だったのだろう」

「あの人たちは、子どもの頃からずっとあんな感じだったの?」

「あれは元の質というものなのかもしれないね」

「二人のお姉さんはどうだったの?」

「それが二人とは真逆の、大変お淑やかな方でね。二人は正妻の子ではないという噂が出るほどの違いがあった」

「邑昌という人には、正妻以外にも妻が沢山いるのね?」

「私には君だけだよ」

「そんなことは聞いていないの」


 甘えて額を肩に凭れても、華月に頭を撫でて貰えず、中嗣は少々落ち込むも、すぐに顔を上げて話し出す。

 今が駄目なら、次を願えばいいと、中嗣はこの短時間でやけに楽観的な思想を備えてしまった。


「邑昌殿には正妻しかいないはずだ。街に良き相手がいるという場合もあるが、これも邑昌殿自身が否定している。だから間違いなく両親共に同じ兄弟のはずなのだが」

「それで子どもの頃からそんなに違っているんだねぇ」

「あぁ。どこか似ているものがあるものかと思えば、まったく質の違う兄弟というものもあるらしい」


 兄弟を知らない二人である。それどころか、華月は肉親を知らないのだけれど。

 ぽすっと下げた中嗣の頭に、今度は華月の手が伸びた。ここで励まされるべきは中嗣だったかどうかは謎であるが、華月が柔らかく微笑み、上げた腕を曲げたので、二人にはこれで正しかったのだろう。


「あの邑天がとかく面倒だったのは、邑昌殿の息子ということで、幼少期から周りの者たちの手で鍛えられてしまっていたことにあってね。それで相手をするには、こちらにも相応の対策が必要となったのだよ」


 華月は邑天という男を思い出しては、驚いてしまう。


「鍛錬は出来たんだ」

「それも周りは大分苦労したようだね。剣を振り回すことだけは好きだったから、そこを上手く利用して育てたという話は聞いたことがある」

「偉い人の子どもを相手にするのは大変そうね」

「まったくだよ。幼い頃は、何度勝負を挑んで来たか。それも一方的に戦うと宣言し、突然現れるものだから。こちらは邑家の長男ということで、ぼろぼろにしてやることも出来ないし」

「中嗣って、そんな前から強かったの?」


 何故ここで頭を下げたのか、華月には分からなかったが、とりあえず頭を撫でておく。

 中嗣はひとしきり頭を撫でられた後に、満足そうに顔を上げて微笑んだ。


「宮中にいても暇だろう?非番の武官などに稽古の相手をして貰っていたのだよ」

「それで強くなったの?」

「それだけではないがね。強ければ、厄介事も自分でなんとでも出来ようと考えたのだ」

「中嗣も大変だったんだねぇ」

「そんなことはない。結局のところ、私は宮中でぬくぬくと守られ、それに甘んじて育ったからね」


 華月は反応しなかった。育ちという部分は、二人が話題にするにはあまりにも繊細さが求められるからだ。

 それで別のことを問う。


「あの人は、正式な官だったの?」

「武官だね。確か初級の官位試験に何度か落ちて、官になったのは十五からではなかったように思うが。その後は十位に留まり、少し前にようやく九位に上がったと聞いている」


 まだ九位であれほど横柄な態度を示していたのかと、華月は悪い意味で凄い男だと感心していたが、これには触れないことにした。

 今は、中嗣の話したいように話をさせてあげたいと思っている。


「そんな人もいるのね」

「いや、あれは特別だよ。良き家の者で最初の試験に落ちる者はまずいない。幼い頃から対策を取って、学ばされているものだからね。市井の者には厳しい試験でも、学ぶ環境があって準備期間が十分にある者には簡単なもので……それでも落ちる男なのだよ、あれは」

「落ちた後には荒れていそうね」

「一人で勝手に荒れているならば良かったが。年下の私が先に官になったものだから、当時は言い掛かりを付けてきて大変だったよ。落ちたのは私が受かったせいだそうだ。翌年にも他の者に同じ言い掛かりを付けては困らせて、その年は問題になっていたがね。邑昌殿にいくら叱られても、己の未熟さを理解出来なかったようだ」


 邑天という男が、碌な者ではないことは、十分に分かった華月である。

 そして中嗣がこの男に大層困らせられてきたということも、よく分かった。


「宮中も大変なんだね。ごめんね、中嗣」

「どうした?」

「何も知らなくて。大変だったのに、当たったりして、ごめんなさい」

「まだ気にしていたのか」

「うん。自分のことしか見えていなかったなって」

「気にすることはないよ。それは私も同じだからね」


 何故か、どうしてか、中嗣は頭を下げ、華月がこれを撫でる。

 中嗣としては、抱きしめて可愛がりたいところだが、華月から触れる方が華月が安定していられると分かった今は、この形を重宝することに決めたらしい。

 どんな形であれ、触れ合えば、心も通じ合う。


「最も大変だったことを言っても?」

「もちろん。いくらでも聞くから話して」


 中嗣はそっと顔を上げて、また語り始めた。


「あの愚かな女狐……すまない。邑仙は、初めこそ、邑天と同じように私を蔑み、嫌っていたはずなのだが」

「え?そうだったの?」

「あぁ。それは酷いものだったよ。家なきことを笑い、己の身がいくら尊いかを語っては、無理難題を命じ……まぁ、すべて躱してきたがね。まず彼女は、姉上の入内が決まったときに荒れに荒れて手が付けられなくなった」

「うわぁ。お姉さんも大変そう」

「あぁ。姉を亡き者にしようと画策していた話もある」

「えぇ!実のお姉さんなのよね?」

「そういう女なのだよ。父親である邑昌殿にも、何故自分ではないのかと詰め寄ったそうなのだが。あぁ、上からはね。邑仙なら要らぬとはっきり突っ撥ねられていたよ」

「皇帝にまであの人の話が届いていたの?」

「宮中では知らぬ官はいないほどに、もう何年も前から彼らの悪名は広まっていてね。それもまだ子どもの内は、成長すれば変わるだろうと重ねる罪を赦されてきた。ところが二人は、一向に改善する様子を示さないどころか、年々悪化していくように見受けられてね。これはまずいと誰もが思ったのだろう。上が面白がって内部に取り込まないようにと、かねてから彼女の悪評に関しては進言があったと聞いている。上が拒絶するほどとすれば、それは余程の内容だったと思うがね。彼女はよく知らないからそんなことを言うのだ、自分も後宮に入れろ、そうすれば上は喜ぶと大騒ぎしたのだよ」


 宮中に詳しくない華月でさえ、呆れて言葉を失うのだった。




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