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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第六章 したうもの
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30.ある男にとっては女神だったそうです


 中嗣が浮かべた自嘲気味な笑みも、膝に乗せられ後ろから抱かれている華月には見えなかった。


「優しさなどではないよ」

「中嗣は優しいよ?」

「優しく見えているだけで、私は君が思うよりずっと利己的な男だよ。ただ失うことが怖く、回避しようと動いてきただけだからね」

「それは……」


 一度失ったから?という声がなくとも、中嗣には華月の言葉の先は伝わった。


「元からの質かもしれぬが、その件からは多大に影響を受けているだろうね。大事なものを持つことがとかく怖くなったのもそのときからだった」

「今も怖いの?」

「あぁ。君に関しては格別にね」


 中嗣はかくんと頭を下げると、また華月の肩に顔を埋めた。

 自然、華月の手は中嗣の頭へと伸びて、これを撫で始める。


「君だけは……君だけはどれだけ怖くとも、側にありたいと願った。だが以前と同じように、離れている間に何かあったらと思えば。有無を言わさず君を匿いたくなるのだよ。その衝動をなんとか抑えてきたつもりだったが、それも羅賢殿がいるという安心感に支えられたものだったようでね。羅賢殿を失ってからは、もう……。また触れて悪いが、蒼錬という男のこともあっただろう?あれで私は君を一人で自由にさせることが出来なくなった」


 自由を奪われたと、華月が憤ることはなかった。

 静かに頷くと、中嗣の頭から手を離し、すぐに落ち着いた声で問い掛ける。


「その頃から、羅生には私を守るようにとお願いしていたの?」

「いや。少しの世話を頼んでいただけだよ。君も知っていようが、彼は逢天楼がお気に入りだろう?だから、華月がいたら様子を見ておくようにと頼んだり。あとは暇そうにしているから、ここに来て医者らしいことでもしてくれと願ったり。そういうことから始まったものだから、いずれにせよ私の責任なのだよ」

「羅生とはやたら会うなぁとは思っていたけれど、そういうことだったのね。事情は分かったよ」


 華月は四方どこから見ても分かるほど力強く頷くと、その振動が項垂れていた中嗣にも伝わった。

 その動きに引き上げられたように、中嗣はそっと顔を上げる。


「中嗣が不安にならないようにしてみようか」

「してくれるのか?」

「あ、もう最善策の実現を期待させていたらごめんね。一人で出掛けないことが一番の策だとは分かるけれど、それは私が嫌になりそうだから、そうするとは言わないでおくよ」

「そうだな。すまない」

「謝らなくていいから、対策を一緒に考えて」

「この件で私が共に考えることを許してくれるのか?」

「中嗣が安心出来る方法を考えているのに、他の誰と一緒に考えろと言う気なの?」


 中嗣から今度は長めの息が吐かれた。

 これは擽ったかったようで、華月は身を捩る。


「君はもっと……」

「なぁに?」

「君はもっと怒ると思っていたのだよ。ここから追い出されるくらいに怒鳴られ、嫌われる覚悟をしていたからね」


 華月はくすっと笑うのだった。

 中嗣は照れを誤魔化すように、元から回していた手で華月の腹を撫でたが、これも擽ったかった華月は、さらに身を捩って、今度は声を上げて笑った。


「中嗣はとても怖がりだったのね」

「あぁ。だからと言って、勝手をして許されることではないと分かっている。本当にすまなかった」

「私はいいとしても、私の周りの人たちまでを探っていたことに関しては、どうかと思うよ?」

「申し訳ない」

「私に謝ることはないよ。気付いた人には、今度一緒に謝ろう。それより教えて」


 一緒にと言われて感動した中嗣の顔は、すっかりと綻んでいる。

 この男、華月にさえ許されてしまえば、他はどうでも良いと思っているのだが、華月はこれに気付いてもいないだろう。

 中嗣の膝の上で、また一段と優しい瞳で微笑んでいるのだから。


「それで?私や、私の周りの人たちを調べるようなことをして、心配は減ったの?」

「……それどころか増したね」


 華月は玉翠並みの長い溜息を吐くと、体の前で腕を折り、中嗣の髪をくしゃりと掴んで笑った。


「それならもう、一人で無駄なことをするのは辞めて。心配になったら、私にそれを伝えてくれていいから。そこから一緒に考えようね?」

「すまない。私も反省していたところでね。何でも話そうと約束してばかりいて、私は何をしているのかと。それで今日は辞めておいたのだよ」


 中嗣の方が六つも年上であるはずだが、褒められようとする辺り、そこらの少年と変わらない精神を保っているようだ。

 それも、褒められたことでもないことを、どこか得意気に語り出す。


「今日って?今日も何かする予定だったの?」

「せっかく外に出たから、帰りに彼と会うことを検討していたのだよ。前々から話してみたいと思っていたからね。されどやはりこれは君の許可を得てからにしようと、考えを改めたのだが……それなのに、今日も磁白がすまなかったね」

「別にいいよ。中嗣は知らなかったことなんだから。それより彼って誰のこと?」

「先日醤油屋であった彼のことだ」

「頼に一人で会うつもりだったの!」

「すまない」

「謝らなくていいから、教えて。私も聞きたかったことだから。中嗣はもうずっと前から頼のことを知っていて、あの日私を醤油屋に連れて行ったの?」


 中嗣が再び顔を肩に埋めてから、力ない声で「そうだとしたら、君はどうする?」と問い掛けたとき。

 華月がすぐに「んもう!」と怒ったのは、言うまでもない。


「怖がらなくて大丈夫だから。怒って追い出したりしないから安心して答えて」

「すまない。つい」

「あぁ、もう、謝らないで。私は本当のことを聞きたいだけなの。頼があの店にいることは、知っていたのね?」

「あぁ」

「でもあの日は故意ではなかった。違う?」

「違わないな」

「あえて連れて行く気はなかったけれど、それでもせっかく行ったからには、私から少しでも何か話を聞き出せないか、という気にはなっていたということね?」

「……君には敵わないな」

「そうだよ。中嗣は私に敵わないんだから。もう隠さずに、全て言ってくれたらいいの」


 中嗣がそっと顔を上げれば、先までと様子の違う、気の緩み切った顔があるも、これも華月には見えなかった。なんとまぁ、幸せそうな顔で笑うのか。


 しかし声色も変わっているから、中嗣の安堵は華月にも伝わっているだろう。この男は先からずっと、不安気に揺れる情けない声を出していた。


 調子が戻れば、中嗣もこの通りだ。


「それは私からも言いたいな」


 自信たっぷりの声で言われ、今度戸惑うは華月の方である。





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