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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第六章 したうもの
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26.まだまだ甘い小娘のようで


「すまない。また困らせたね」


 華月はぶんぶんと首を振ったが、声が出て来ないのだった。

 どうやらとても悩み、言葉を選んでいるらしい。


 中嗣は柔らかく苦笑すると、拳から力を解いて、そっと隣に座る華月へと手を伸ばした。

 座卓を前にして並び座っているのだが、軽く触れられる距離にあるも、中嗣は華月の前に手を差し出しただけである。


「どうしたの?」

「その都度確認する方がいいと思ってね。まずは手を繋いで話すことはどうだろうか?」


 華月が考える間さえ愛おしい中嗣である。

 即答しないことが、どういう意味を持つのか。そこまで考えられないほどに戸惑う様が可愛らしく、手を繋ぐどころか抱き締めてしまえと逸る気をどうにか制圧して、中嗣は優しい男の顔で「団子を食べるなら辞めておくよ」と提案するのだった。


「中嗣はもう食べないの?」

「そうだな。君は?」

「うん、あと少し食べたいから、その後でもいい?」


 この答えには中嗣も笑ってしまったが、華月も気が付いたようで共に笑った。


「手はいいのだね?」

「今さらだよ」

「今さらと言うと、すべてが今さらになるが」

「……その考え方は狡い」

「分かっているよ。君が嫌がることは言わないし、しないようにする」

「本当だよ?」

「あぁ。触れないから、ゆっくり食べるといい」


 みたらし団子を前に、華月の食べる手が止まっていたことこそが奇跡だと思い、おかしな男は満足そうに微笑むと、伸ばしていた手を引っ込めた。


 それからしばらくは無言のときが続くことになった。


 食べぬと言った中嗣も結局は団子を頬張り、二人揃って仲良く無言で味わっていたために、あっという間に団子が山盛りだった皿も空となる。


「食べ終えちゃったね」

「おかわりを貰うか?」

「うぅん。さすがに辞めておくよ。今日はもうお腹がいっぱい」


 玉翠は幼い華月にみたらし団子を作ってやらなくて正解だった。

 危うくかつての少女は、みたらし団子だけで成長するところだったのだ。

 などと想い、中嗣はまた一人微笑んでしまうのだった。


 それから中嗣は、玉翠や羅賢がみたらし団子の件を知らせなかった理由も悟る。毎度買っていき、他に何も食べないようになるのを避けるために、中嗣は華月の好物を教えて貰えなかったのだ。よく買っていた煎餅くらいなら、好んでいても食事を取らないほどには食べることがない。


 記憶にそう古くない可愛いらしい姿を思い出しながら、中嗣はそっと手を差し出した。


「では手を繋いでもいいか」

「家の中なのに繋ぐの?」

「少しでも触れていれば、より落ち着いて話せるようになると思うのだが。駄目かな?」

「仕方ないなぁ」


 許しを得るとすぐに中嗣は華月の手を奪い、そのまま自身の膝に乗せてしまった。

 手を繋いで心が安らぐのは、華月も同じなのだろう。ふわりと軽やかに微笑むと、中嗣の手を握り返してきたではないか。

 これでもなお、話をしてからじっくりと考えて中嗣との今後について結論を出さねばと思っているのだから、普段は聡い娘がどうしてこうなるのだろう。


「先の話を蒸し返してもいい?」

「あぁ、すまない。正しく答えられていなかったね」

「私がまだ子どもだった頃は違ったということだけは、分かったよ」

「それだけは間違えないでくれるね?」

「分かったから。それで?きっかけは何だったの?」

「きっかけか。気付くきっかけのようなものならば、あったかもしれないが、君を慕うきっかけと言うと……つまりね、いつからという明確なときがあったわけではないのだよ。気が付いたらすでに、という形でね」

「気が付いたら?前は違ったのに、気が付いたら変わっていたということ?」

「徐々に、少しずつ、君を想うようになっていたのだろうね。君は約束があったからそういう目で初めから見ていたと思っているかもしれないが、それは違う。確かに幼い頃から私は君を妻にするのだと思い、君と接していたよ。だがそれは幼い頃の話で、当時の私には妻にすることがどういうことか、本気では分かっていなかったはずだ。子ども心に、私の妻になってくれる大事な子をずっと側に居て私が守っていこうと、それくらいの気持ちだったよ」


 何にも覚えていない華月は返事も出来ず。

 中嗣に指のたこを撫でられて、くすぐったさを感じていたが、大人しく耳を澄ませている。


「再会したときも、ただただ君が戻ったことが嬉しくて、また君と過ごせることに対する嬉しい気持ちだけだった。当時は君を守りたい一心でね。出来れば側で。それが叶わないにしても、遠からずいつまでも見守れるようにと願っていたものだ」


 華月は一つ頷くと、突然に顔を真っ赤にして、口を開く。


「そうだったの。それでどうして、その……れ、れ……」


 中嗣はくすりと微笑んで、もう一方の手を膝に乗せた華月の手に重ねてみた。

 両手で大事に包み込んで、華月を落ち着かせたいと思うのだが、これはかえって逆効果となったようだ。

 華月の頬はまた一段と深く染まっていく。


「恋慕の情に気付いたのは、大分後になってからなのだよ。たとえば、君に逢うと決まれば嬉しくなって、君に逢ったときには何をしようかと考えるのも楽しくてね。ようやく逢えば、時が止まればいいのにと願い、この瞬間のすべてを逃したくない気持ちに駆られ。そうして、目の前に君がいるのに、別れる前から淋しくなっていた。ひとたび離れれば、もう次に逢う時を考えないと心がどうにかなりそうになる。あるときにそれが他の誰にも起こらないことに気付いてしまってね」

「他の誰にも?」

「心が動かされるときは、私には君だけだ」


 火が付いたように紅くなる頬には触れたくもなるも、中嗣は華月の片の手を抱えることで我慢した。本当は手を持ち上げて、その甲や指に口づけたいし、それどころか、熟れた頬や唇にもと願う。

 この衝動を抑えることは、若いときからよく鍛錬してきた中嗣にも大変なものだった。

 一度許されたことでこの衝動に耐え難くなったことには、誰よりも中嗣自身が驚いている。今まで出来たことがこれほどの苦行になるとは、衝動的に唇を重ねたあの日の中嗣にも想像出来なかったことだ。


 そんな中嗣の苦労など知らない華月は、なお中嗣の衝動を高めるように、指先で中嗣の手の端をぎゅっと摘むようにして、小さく震えた声を絞り出した。


「会いたいと思うことや、別れて淋しくなることが、そういう気持ちなのね?」

「君にも同じ気持ちはあるか?」

「それくらいなら。でも会いたい人なら沢山いるし……え?違うからね?胡蝶とか、美鈴の話だから。そんな顔はしないで」


 胡蝶の名には思わず眉間に出来ていた皺を深める中嗣だった。


「彼女は当時から私が男として君を想っているとでも考えていたのだろうね」

「はい?」

「君がまだ幼いときは、彼女も幼かったはずなのに。なんだってあれほどの猜疑心を持って、あんなにも恐ろしい顔が出来たのか」

「もしかして、また胡蝶の話なの?」

「あぁ。君は何か言われていなかったか?」


 少し白みの戻った顔を傾げると、華月はしばらく記憶を辿っていた。


「そういえば。中嗣に何かされたらすぐに言うのよって口癖のように繰り返していたね。最近は言わなくなったけれど」

「やはりそうか。幼い君に手を出す鬼畜な男だと思われていたわけだ」

「中嗣がそんなことをするわけがないのにね」

「君は信じてくれるのだね?」

「信じるもなにも、事実でしょう?中嗣はいつも優しかったもの。色んなことを教えてくれて嬉しかったなぁ。そんな中嗣が私に手を出すなんて。今でも信じられないし、信じたくなかろうとも、この間からの中嗣は……あ」


 自分で言って思い出し、また顔を林檎のように熟れさせていく華月であった。

 これは自ら自分の首を絞めたというところである。


 そんな華月を見ていたら、中嗣は自分の気持ちの変遷を思い出してきたようだ。


「羅賢殿にも一役買われたことがあったな」

「え?」

「華月が街のどこかで同年代の男と恋をしたらどうする気かと問われたことがあってね」

「はぁ?あり得ないよ」


 中嗣は思わず笑ってしまった。この言葉を久しく聞いていないことに気付いたからだ。


 変わってしまうのが嫌だと泣いて、このままでいたいと呟く。

 口からほろほろと出て来る言葉はこれまでの関係を継続することに繋がっているのに、華月自身の言動がすでに変わり始めている。

 それはつい先日からのことではなく、再会から長い時を経て変化してきたものなのだと、中嗣は今になってやっと分かった。

 幼い華月は、そう「あり得えない!」と叫ぶことはなかったが、それはいつしかよく聞く言葉になって、またあまり聞けなくなっている。

 こうなれば、拒絶もそれほど恐れるものではなく、一時のものと捉えられよう。


 にこりと笑うと、中嗣はしかし、おかしなことを言い始めた。

 この場に止められる者がないことは、とても残念である。




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