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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第六章 したうもの
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24.揺れ動くこころ


 どきりとしたのは、図星だったからだ。

 私は周りのせいにして逃げようとしている。


『逃げる振りを続けるのはお辞めなされ』


 またあの老人の言葉が聞こえて来た。


「今は受けたくないのなら、そのようにお伝えしてもいいのですよ。大丈夫。あの方は、これまでも待ってくださったのです。あなたの気持ちを言えば、必ず分かってくれます。けれども言わずには伝わりません。私たちもそうだったでしょう?中嗣様とよく話してみることです」


 話したいとは思っているんだ。

 だけど困ったことに、おかしなことを辞めてくれないから話せない。


「そうですね。父親として言いたいことが沢山ありますから、その辺りは任せていいですよ」


 まだ何も言わないうちに、玉翠はそう言った。

 はて。もしや私は、存外に考えが顔に出ているということか。

 私の周りに、私の心を読む人が沢山いるのは、単に私が分かりやすいだけかもしれない。


 分かってしまうなら、少しくらい玉翠には愚痴ってもいい?


「玉翠が言ってくれたら、話せるようにしてくれるかな?中嗣ってば、私が前からずっと普通にしてと言っているのに、何にも聞いてくれないんだよ?」

「大丈夫ですよ。きつく言っておきますからね」


 にこりと笑った玉翠の顔が、不思議なことに少し怖かった。

 取りなすように手を握り締めれば、いつもの優しい笑顔に戻りほっとする。



 それからはほとんど周りを見ずに、玉翠とのお喋りを楽しんで歩いていたのだけれど。

 まもなく帰宅というときだった。


「あ!」


 思わず声が出たのは、中嗣が写本屋の軒先に立っていたからだ。片手に荷を持ち、呑気に空を見上げている姿は、偉い文官様とはとても思えないが、私はそう悪いものではないと思う。

 私たちの姿を見付けて、手を上げて笑ったかと思えば、中嗣はたちまち眉間に皺を寄せながら歩み寄ってきた。


 外で待っていたから、機嫌が悪いの?


「どうしたの?鍵を忘れちゃった?」

「いないのに上がるのも悪いかと思ってね。少し待ってみようと思ったのだよ」

「別に構いませんのに」

「そうするのは、本当の意味で身内になってからにするよ。二人で食事か?」


 またおかしなことを言い出したけれど、玉翠が助けてくれた。


「そのようなお言葉は少々早過ぎるのではないでしょうか?」

「……あぁ。それでどこへ行ってきたのかな?」

「父娘で楽しみたいときもございます。さぁ、入って急ぎ温まりましょう」


 玉翠の手が離れたとき、なんだか寂しい気持ちになったのに、すぐに中嗣に頭を撫でられて、痛みも寂しさも消えていた。 



 玉翠が鍵を開けて、皆で中に入ってからは、それぞれが温まるために動いた。

 と言っても、実際に動いたのは、二人だけだ。

 玉翠はお茶を淹れると言って台所に行き、中嗣はあちこちの火鉢に火を入れて歩いているのに、何故か私だけは客間に座ってじっとしている。

 中嗣までが動いているのに、よく歩いたから休めと言われたままに大人しく従っている私もおかしいと思うも、お言葉に甘えることにした。

 少しだったけれど、痛みを感じたのは、久しぶりだ。

 中嗣に会ったことでその痛みもすぐに引いたけれど、まだ足が重たく感じる。

 ここ最近は寝てばかりだったし、上流の足場の悪い河原を歩くのも久しぶりだったからだろうか。

 出掛けないにしても、しばらく鍛えようと思った。


「外は寒かっただろう?」


 客間に戻ってきた中嗣が、また頭を撫でる。だけど触れ方が何かぎこちない。どうしたのだろう?

 顔を見たら、困ったような顔をしていて、自ら頭から手を離すと隣に腰を下ろした。


 なんだかおかしい。冷えて辛いのだろうか。


「平気だよ。中嗣は長く待っていたの?」

「ほんの短いときだったよ」

「それでも寒かったでしょう?今度から家の中にいて」

「それも問題ない。寒さに耐えられなくなる前に家に上がらせて貰う気ではあったからね」

「そんなこと言って、風邪を引いたらどうするの。湯浴みをする?」

「君に言われて着込んでいたおかげで、平気だったのだよ。それにもう部屋も温まってきたところだ。先に君とお茶をして話したい」


 そういえば、今朝は冷えていたから、中嗣がおかしなことを始める前に沢山着るようにと言った気もするね。 


「君のおかげで、いつも助かっているよ」

「口を出しただけで何もしていないよ。また書類を持って帰ってきたの?」

「あぁ。少しね」


 先に抱えていた荷の量を思い出す。そこまでの量はなさそうだ。

 利雪や宗葉が頑張っているのだろうか。


「あのね、中嗣。書類は手伝うから、そのあとで少し話せないかな?今日は話したいことがあって。だから、普通にして欲しくて」


 中嗣の眉が下がったとき、決意が揺らぎそうになった。

 この胸のざわざわと落ち着かない感じは何なのだろう?


「書類など後回しでいいが、一度抱き締めるのはいいかな?痛まぬようにしておきたいのだよ」

「それはずっと前から聞かずにしていたよね?私が言ったのはそういう意味ではなくて……」


 私は何を言っているのだろう?

 辞めてと言えばいいのに。

 前から?前からはしていなかったでしょう?


 私が先を言い終えられなくて困っていたら、言葉なくぎゅっと抱き締められた。

 驚いたけれど、それがいつもの感覚に戻っていたから、ほっとする。


 そう、これならいいの。これなら、ちゃんと話せる。


 目が回ることも、心臓が飛び出そうになることもなくて、ただただ落ち着いて、体中が緩んだこの感覚ならば、私は好きだ。


 こんなに安心するのに。こんなに落ち着くのに。

 どうして変わろうとするのだろう?


「このままでいたい」


 言うつもりではなかったのに。中嗣の腕の力が増して、また心臓が飛び跳ねた。






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