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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第六章 したうもの
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22.不信の種を撒くものなのか


 太陽が最も高くある時間でも、枯れた樹々が風を止めないこともあって、頬に冷たさが痛く沁みる日だった。

 瑠璃川を逆流する形で河原を歩けば、頼が小石の上に立ち、川面を覗いている姿が見える。


「釣りをするの?」


 なるべくいつも通りに語り掛けたつもりだった。

 けれども、声が少し上ずってしまったかもしれない。


 頼は振り替えると、いつもと違った顔で笑った。

 それで私は気付き、どうやって説明しようかと悩んでいた考えも吹き飛んでしまう。


「ついに連れて来たか」


 私から伝える言葉が沢山必要なのだと分かっていたけれど、頼がおかしなことを言ったので、私はまずそれについて聞かずにはいられなかった。


「ついにってどういうこと?前から私が今日のようにすると思っていたの?」

「絆されるときも近いとは感じていた」

「嘘」

「俺は白に嘘は言わん。いい暮らしをしているみたいだな」

「違うよ。この間のあれは特別で。いつもはあんな衣装なんて着ることはなくて」

「別に着たらいいではないか」


 頼の言葉に棘を感じて、返事も説明も出来なくなった。


 あの日会ったことで、もう嫌われてしまったのだろうか。

 南大通りなんかで、みたらし団子を食べるのではなかった。

 隣の醤油屋も覗くものではなかったのに。

 それより出掛けなければ良かったのだ。 

 いつもだったら新年の祝日中は、大人しく家に留まっていたところである。


 近付いてきた頼に、こつんと額を小突かれた。痛くもなんともない軽さは、撫でるように優しい。


「別に怒っとらんよ。挨拶をすればいいか?」


 これには驚いてしまった。頼にどうお願いしようかと策を練ってきたのに。


「してくれるの?」

「白の頼みは断れん」


 まだ頼んでいないのに。頼から言ってくれるなんて。


「嫌なことをさせてごめんなさい」

「別に嫌でもない」


 嘘ばっかり。嫌そうにしか見えないよ。

 やっぱりこの場所には他の誰も連れて来てはいけなかったと思う。

 私は近頃浮かれていておかしいから、判断を誤ってしまったんだ。


 それでもまだ浮かれた私が、玉翠のことを伝えたいと願う。

 これ以上、頼に嫌なことはしたくないのに。


「あのね、一緒に来た人は官ではないの。だから……」

「家の人か」

「そう。私を引き取ってくれた人でね。写本屋の店主だから私の雇い主でもあるよ。写本師としては師匠でもあるね」


 結局、本当に伝えたい、父親という言葉は出せなかった。


「たまに聞く人だな。ため息ばかりの」


 つい笑ってしまった。だって最近、玉翠のため息を聞いていない。


「どうした?」

「うぅん。ため息が懐かしく感じたことがおかしくて」

「最近はなくなったのか」

「そうなんだ。最近はよく話すようになったから、ため息が必要なくなったのかも。それでね、私が頼にはとても助けられたと言ったら、挨拶してお礼も伝えたいと言うからね」

「俺は礼を言われたいと思ったことがない」

「ごめんなさい。頼の気持ちも考えないで」

「だから怒ってはいないと言っている」


 また額を小突かれた。子どもの頃に戻ったみたいだ。


「今日だけにするから、許してくれる?」

「怒っていないのだから、許すも何もないが。一度で済むと嬉しいな」

「うん。ありがとう。今日だけにする」


 頼はもう怒っていないと思って、安心したのに。

 身を屈めた頼は、私に耳を寄せると、恐ろしいことを言い出した。


「信用されていないぞ」

「え?」

「連れてきた男とは別に、あの木の陰に一人いる」


 まさか。


「私は知らないよ?本当に一人しか連れて来ていないからね」


 頼は体を元に戻すと、私を見ながら頷いた。


「確かにいつも探っていた男ではないな」

「え?いつもって?」

「少し前から官の奴らが俺を探っていた」

「嘘」

「俺は白に嘘を付かんとも言った」

「ごめんなさい。頼を疑ったわけではなくて」


 どちらかと言えば、官を疑ったんだ。


 頼を探る理由が私だとしたら。

 あの人は初めから頼のことを知っていて、あの醤油屋に私を連れて行ったの?


 今まで信じてきたものががらがらと音を立てて壊れて行く気がした。

 それは遠く感じたあのときの絶望……あのとき?


「白。考えても仕方のないことは考えなくていい」

「うん」


 白いもやもやとした何かが、頭の中を支配する。

 何か大事なことを忘れている気がするも、それが何か分からない。

 懐かしい禅の様子が浮かんできたけれど、それとは関係ないはずだ。

 だって覚えている。禅のことは確かに覚えている。


 そうだとしたら、あのときって?

 私はまだ何か大事な……


「白はどうしたい?暴いてもいいぞ」


 頼に聞かれたとき、私はとても後悔した。この数日間のことをだ。

 呆けていないで、慌てていないで、そして浮かれていないで、もっとよく話を聞かなければならなかったのだ。


「害がありそう?」

「いや、そういう気配はないな。だがよく訓練している官だから、本意は分からん」

「どうしたら姿も見ずにそこまで分かるようになれるの?」

「俺の目がおかしいからだ」

「もう。いつもそう言って誤魔化すんだから」


 頼は昔から同じことを言って気配の読み方を一向に教えてくれなかったけれど、頼と私の目に何か違いがあると感じたことは一度もない。

 同じように真っ黒い瞳はこの国らしく、玉翠のような瞳が特別なのだ。

 特別だからと言って、おかしくはないけれどね。だってあんなに綺麗だもの。

 宝石には興味がないけれど、玉翠の瞳と同じ色の宝石があったなら、欲しいなと思う。


 あぁ、駄目。こんなときに、また浮かれてどうするの。


「それで、どうする?」

「官と揉めるなんていや」

「そうだな。放っておくか」

「それより頼は大丈夫?前からって言ったけれど、何もされていない?」

「探られているだけだ。まいているから問題ない」

「誰なんだろう?」

「知りたいか?」

「頼はもう知っているの?」

「まぁな」


 それを言わないということは、私の知っている人なのね?


 不意に手が掴まれて、指先が震えていたことを知った。

 頼の手も冷えている。どれだけこの場所で待っていてくれたのだろう。


「禅のことを忘れたか?」

「忘れるわけがないよ」

「それなら、いつも官を疑え」


 頼の手を握り返した。そうだ。気を許してはいけなかったのに。


 これまでの数日間……数日では収まらず、もう十日も過ぎているだろうか。どうも時の流れがあやふやになっている。

 あんな風に恥ずかしく泣いて、熱に魘されている間、確かに私は疑うことを忘れていた。

 そうでなければ、あのように寝て過ごすことは出来ない。


 まだ疑うことなんて出来るの?

 父親になってくれた玉翠を?中嗣の気持ちを?

 もう一度疑うことが出来るというの?


 心の奥から聞こえてきた声に耳を塞ぐ。

 玉翠も中嗣も嘘を言っているようにはとても見えなかった。


 だけどそうやって私がそのままに信じたことで、禅は……禅は?

 禅は何故あんなことになったんだっけ?

 確かあのときは官が……官?

 あの場に官なんていただろうか?


 ぎゅっと力強く取られていた手を握られた。


「白。俺の目を見ろ」

「うん」

「大丈夫だ。すべてそのままでいい」

「そのままでいい?」

「考えなければ、今のままでいられる」

「考えなければ、今のまま」


 何故か頼の真っ黒い瞳から目が離せなくなる。

 そうして頼の言葉を繰り返していたら、心は落ち着いて、考えも止まっていた。


 しばらくして頼の手が離れ、また額を小突かれる。


「挨拶だったな。行くか」

「うん。玉翠と言うの。呼んできていい?」

「共に向こうまで行く」

「いいの?」

「そろそろ帰るところだった」

「釣りはしないの?」

「冬はよく釣れん」

「まぁね。でも淋しいな」


 せっかく会えたのに、すぐに帰ってしまうなんて。


「では一杯飲んでから帰るか」


 お団子を食べ過ぎてお腹は一杯だけれど、お酒なら平気かな。

 頼と飲むなんて、とても久しぶりだから、どんなにお腹が苦しくても行きたいところだ。


「それなら、玉翠には先に帰って貰うように言ってみるね。お迎えは断れないかもしれないけど」

「一緒でもいい」

「一緒で……え?玉翠と一緒に一杯ということ?」

「官は嫌だけどな」

「分かっているよ。官は連れて来ないからね。頼を探るのも辞めて貰うから待っていて!」

「別に構わん」

「私が構うの!」


 そうして玉翠のところに二人で連れ立って戻ったのだけれど。

 玉翠は酷く驚いた顔をして、それから丁寧に頭を下げてくれた。


()と想う華月が大変お世話になったそうで。怪我のときには助けられたとも聞きました。()()()()()心より御礼申し上げます」


 私は嬉しかったけれど、頼はなんだか複雑そうな声で「礼は要りません」と返すのだった。





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