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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第六章 したうもの
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21.これぞ政ですな


 言われた邑昌は意外なことに冷静だった。


「それについては感謝をしておる。中嗣の屋敷で騒いだと聞いた時は、失うことも覚悟した。だが助かった命だからこそ……」

「邑昌様。当初の予定通り、お二方を地方へ飛ばしたところで、どうなりましょうか。あるいは今の状態でどこかの屋敷に閉じ込めておくことが本当に可能ですか。その答えは、邑昌様もお分かりでありましょう」


 関幸がまたしても口を挟んだとき、中嗣は軽く眉を上げていた。どうせ静観するのだと思っていたが、関幸という男を見誤っていたのかもしれないと知り、もっとよく観察したくなった中嗣は、この場で最も若いものらしく、しばし黙って聞き役に徹することに決めたのだった。


 同じように黙り込んだ邑昌に、関幸は情けを掛けない。


「邑昌様はよく子育てをされていたと思います。けれども彼らももう立派な大人と言える歳になりました。そろそろ子育てを終えて、手を離すときなのですよ」

「されど、息子はまだしも、娘は若い女なのだぞ。何をされるか分からぬところになどはとても……」

「それはよく話し合い、選定したところでございましょう。これで駄目なら、もっと悪いところへと落ちていただくことになります」

「されど、されど……せめて家名だけは残してやれぬだろうか?家名なしであのような場所へと送り込まれては、どのように扱われるか分かったものではなかろう」

「家名を残せば、丁重に扱われるとも限りませんよ。あのような場には官嫌いの者も多いものです」

「そうは言っても、邑の名があれば、おいそれと悪いことも考えられまい」


 この考え方が、子らに強く伝染したのだなと、中嗣は思った。

 邑昌個人は身分で人を分け隔てることはないが、邑という名から得る利を子らには存分に与えたいと願っている。それは結局、身分で人を分け隔てていることと変わりない。

 家名で伸し上がったわけではない男が、望まずにその位にあり続ける男が、子を持つとこうも変わるかと思えば、中嗣は少し怖くもなった。羅賢から昔話として、邑昌について聞かされていたことがあったからだ。


「そうでしょうか?家名など残せば、先ほど邑昌様が心配なされたように、お二人の浅き考えを利用しようと近付く者たちにいいようにされて、はては国家転覆まで謀るやもしれませんぞ。何せお二人とも、今のままでは確かに武大臣の子どもであり、正妃様の弟妹でございますからね」

「そうですとも、邑昌様。ここで甘い顔を見せれば、正妃様にまでご迷惑となりましょう。これまでも色々と御座いましたし、主上さまが自らお裁きを与えられる前にこちらから厳しい対応を取っておいた方が賢明かと。もちろん、私たちは()()()()()()には何も言いません」


 露愁にまで言われたとき、邑昌の最後の戦いは終わった。

 父親として出来る限りのことをした事実は、邑昌自身を助けるためにこそ、必要だったのだろうか。


「醜い真似もここまでか。皆、時を奪い申し訳ない。我が子たちのためにこれまで手間取らせたことも、改めてお詫びを申す。申し訳なかった」


 邑昌は中嗣がこの部屋に現れたときとはまた違う慇懃な態度で、床に手を付き頭を下げた。

 ぴしりと伸びた背中が傾いていく様は、立派に武大臣のそれである。



 中嗣は失礼にも、謝罪を受けながら、もし華月が全く違う性格で現れていたらどうだったかと考えていた。

 それでも愛しいという結論にすぐに至ったが、華月をどれだけ甘やかしてみたところで、邑仙のような娘には育たなかっただろうとも思う。

 いくら過酷な環境を知っていたからと言っても、そこから脱し、いくらでも甘えられる環境を与えられたなら、そこで人はこれまでの反動として欲を満たすべく行動するものではないか。

 急に大金を得た者が、破産するまで豪遊するように。あるいは、愛されたことのない者が、より深い愛を欲して国までも傾けてしまうように。


 華月にはこれが当てはまらなかった。

 貪欲に求めたものとして書はあるが、それでも無償で何冊も提供すれば、幼くも戸惑い、辞めるように伝えてくる。

 それは自分の価値を低く見ているせいかもしれないが、こういう遠慮がちな態度こそが、周囲の大人たちを魅了して、さらに与えたくなるという、華月の望まぬ効果を与えたものだ。


 望むものをさてどうやって受け取らせようかと考える日々は楽しく、そしてまた華月が望む限りの知識を与えられるようにと自己研鑽と称して書を読む日々も楽しくて……。


 仮想から追想へ進み、場違いに顔がにやけそうになった中嗣は、すっと息を吸い込んで、表情を消しておく。

 ここで涼やかに笑ってしまえば、邑昌に頭を下げさせて喜んだという要らぬ誤解を与えるからだ。


「では、邑天殿、邑仙殿の処罰に関しては、当初の予定通りでよろしいか?」


 関幸が問うと、邑昌は下唇を噛み締めたあとに、「異論なし」と呟いた。

 他の官たちから同じ声が続く。


「ではそのように奏上しましょう」


 露愁が言って、この場は納まった。話題は別件にも移り、その後は和やかに時が流れる。

 邑昌も我が子の処遇が決まった後とは思えないほど、落ち着き払って談笑する姿まで見せていた。




 ◇◇◇



 時を待ち、大臣、次官らは謁見の間へと移動する。

 この煌びやかな御簾のある部屋で、皇帝が御簾の向こうから発した言葉は至極簡潔だった。


「そなたらの決めた通りに」


 事前に用意しておいた書面は部屋付きの従者によって御簾の向こうへと丁重に運ばれると、皇帝はこれらに玉璽を与えていき、これにてこの日の御前会議は終了となる。


 邑天、邑仙は、今この時を持って家名剥奪のうえ、三年の労働義務が課せられた。

 もちろん三年後に晴れて放免ということにはならず、その判断は三年間の態度でもって見極められるため、期間が延びる可能性は高い。


 もしも二人が労働から逃げ出すようなことがあれば、今度こそ武官に捕えらえ、軽々と首を撥ねられよう。

 家名を失えば、庶民と同じ扱いを受けるのだから当然だ。

 たとえ幸運にも邑の所有する屋敷に匿われることが出来たとしても、二人は生涯、宮中はおろか、街にも出ることは叶わないだろう。逃げた時点で、この世から消えた者となる。



 中嗣はほっと胸を撫で下ろし、紅玉御殿の自室へと戻った。

 そこで待ち構えていた羅生への第一声は、これである。


「やはり今日は辞めておくよ。先にすべきことがあるからね」


 あの煌びやかな部屋で書面が出来上がるのを待っている間、中嗣が羅生の言った用事について考えていたことなどは、さすがの邑昌でも全く気付かぬことだった。

 若き文次官は、最初から心ここにあらずだったということだ。




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