19.御前会議とは何ぞや
御前会議というものがある。
その名の通り、皇帝の御前で各大臣、次官が集まり、国に関する重大事項を話し合う会議と周知されているが。
実はそんな重々しい会議ではない。
まず御前会議の前に、本殿のとある部屋に文官、武官、神官、そして医官の大臣と次官が集まるのだが、この時点ですでに話はまとまっていて、ここでは「問題ありませんよね?」という最終確認をするだけのこと。
そうして、集まった面々がぞろぞろと揃って謁見の間に移動すれば、皇帝の御前にあらかじめ作っておいた書類を提出して、玉璽を頂戴することになる。
ここで皇帝が否、ということも、現皇帝になってからは一度もない。
普段なら、この国の重鎮たちが主要な会話を早々に済ませ、謁見の時間まで茶を飲みながら雑談に興じる気楽な場であったのだが、今回は違っていた。
それは文大臣、文次官が揃って入れ替わってからの初会議ということで、前文次官の覚栄から引き継ぎが行われていたとしても、新しく加わる二人に改めて挨拶やこれからの流れなどを確認する予定だったのだが。
この日はそういう意味でのいつもと違う場にもならなかった。
何もかもすっ飛ばして、新しき文次官が部屋に現れるなり、頭を下げる大柄の男が一人。
この場に関して言えば、最後に頭を下げるべき男が床に頭を擦りつけて言うのである。
「中嗣よ。頼む。もう僅かばかりの恩情を与えてくれ。あれでも可愛い我が子たちなのだ」
部屋に入った中嗣は驚きもせず、流れるように空いた場所に腰を下ろすと、いつも通り冷ややかに微笑んだ。
すでに全員が部屋に揃っていて、一番若き、それも新しく文次官となった者が、最も遅れてやって来たことは褒められたものではない。しかしそれを責める者がないのは、中嗣が忙しい理由の一端はそれぞれにあると知っていたからである。だからまさか、一人の娘に懸想していて遅れたなどと、誰が思おうか。
「その我が子たちを説き伏せることも出来ず、野放しにしては、各方面に迷惑を掛け続けてきたのは邑昌殿ですよ」
「それは申し訳なかったと思っているのだ。二人にはよく反省させる。わしがよく観ることも約束する。だから頼むから、考え直してくれ」
中嗣は冷徹な視線をもって、口元だけで笑ってみせた。
「すでに決まったことをこの場では確認し合うだけだと聞いておりましたが?違いましたかな、露愁殿?」
関わりたくないものだと誰もが思っていたが、さっそく話を振られた露愁もまた、中嗣のようにすんなりと作り笑顔を見せた。
武官をまとめる武次官の割に、背も低く、体の線の細い男で、文官の方が似合いと言える容姿だ。
「そうですねぇ。邑昌様にも一度はご納得いただけたように思っていたのですが。文官として対応を変える気はございますか、関幸様?」
官の誰にも様を付けないのは宮中では中嗣くらいなもので、次官ともなろうと、基本的には上位の官を敬うものである。
あるいは年齢差も含めて、様を使う者も多い。
そういった慣習から、いずれかの官位が上がると、立場の逆転が起こって、呼び方に混乱が生じることもあるのだが。それは今この場でも起きていた。
「何を他人行儀なことを。今まで通りの呼び方で構わぬぞ、露愁」
関幸も邑昌ほどではなくも長く官をしていただけに、周囲から様を付けて呼ばれることは多く、今回の文大臣就任に当たって、呼び方で弊害が出るところはほとんどなかったのだが。
しかし、同じだけ長く官をしている者たちを戸惑わせてはいた。この武次官の露愁がそうで、関幸とはほとんど歳が変わらず、よく知った仲なのだ。
「形式的にそう呼んだのですよ。お許しがあるのであれば、これまで通りにいたしましょう」
露愁は一息つくと、表情を一変させた。それは慣れ親しんだものに向かう笑みである。
「では関幸よ。中嗣殿がこう言っておられるが、どう思うのだ?」
「私は中嗣殿の意見に賛同しておるな。むしろよくぞここまで罰を軽くしてやったと褒めたいくらいである」
関幸に敬称なく、若い中嗣に殿を付けるのはどうなのかと思うのは、神大臣と神次官。
名はそれぞれに魏琉、円憐と言う。
二人とも三十代で、この場では中嗣に及ばずも若き者たちだった。
基本的に祭祀を取りまとめる仕事をしているが、裁定のときには、神職者として意見を行う立場にあって、しかし中嗣は彼らにも根回し済みだ。
「な、なんと。関幸までも……魏琉らも助けてくれぬのか?」
神大臣は表情を変えず、「これまでの経緯を踏まえれば、今回の裁きは妥当なところだと思いましたよ」と言うのである。
邑昌は床に手を付くと、がっくりと肩を落とし項垂れた。これはこれで、とても武大臣には見えないが。
体だけは大きく、この齢でもよく引き締まり、強面の顔も伴って、武官の象徴とも言える男であるが、今はなんとも頼りない爺にしか見えない。
この邑昌という男は、まだ他国との軋轢があった当時、武功を立てて認められ、それからずっと武大臣をしているような男だ。同じ席に何十年と座り続けるこの男に、本来は誰も頭が上がらないのだが。
良き家だからと出世した男とは違い、官位への執着もなく、本当はいつだって、武大臣の立場から解放されたいと願ってきた男である。
偉そうに椅子に踏ん反り返っているより、自ら出向いて暴れている方が性に合っていた。つまるところ、大臣に付きまとう書類仕事が大の苦手で、これを補うために、文官のような見目をした露愁もまた、邑昌に次いで長く次官を務めている。
おそらく露愁は大臣になりたいと願ったことはないのではないか。
事情を知らぬ若い官たちが好き勝手に想像して楽しんでいるせいで、利雪らさえ、そのように疑ってきた。
何せ邑昌自身が、過去の武功を語ることを厭い、正妃がいるから武大臣になれたのだと嫌味のように言われてもこれを否定することもなく、露愁もまた邑昌が好きに言わせておけと命じるので噂を消さずに放っておいた。邑昌としてはそれで失脚出来たら有難いくらいに思っていたのだ。露愁の方もまた、大臣が失脚するほどの事態になる前に対応すれば良いと楽観的に考えていたし、対処が出来ないほどの事態になれば、己が責を取って失脚すればいいと考えていたのである。
権力に執着のない二人が、まさか武大臣、武次官の座に長く留まっていると下々の官の誰が思おうか。
そうして好き勝手な噂が蔓延し、この弊害は予期せずに子どもたちや孫の代へと引き継がれていくのだが。
さて、本人たちは周囲が知らずこのように肩を叩いて気楽に話す仲だった。
露愁は躊躇いもなく邑昌の落ちた肩に手を置き、諭すように言う。
「仕方ありませんよ、邑昌様。そろそろ腹をくくりましょう」
「く……わしが鍛え上げると言ってもならんのか?」
「鍛え上げてきてあれなのでしょう。もう諦めてください」
武大臣、武次官を見もせずに、中嗣など置いてあった茶菓子を頬張っている。
どうしてこう寛いでいられるのかと、疑う眼差しを向けたのは神大臣、神次官で、この二人はたとえば文官に祭祀に関わる経費の申請をする際にはもっと下位の官たちを使うので、直接中嗣に関わることが少なかった。
さて、忘れ去られていたのは、医大臣益良と医次官安朋である。
彼らも無関係ではなかったが、裁きに口を挟むところにはなかったので、こちらも茶菓子を味わっていた。
「皆にも娘や息子がいよう。何故そのように冷たく出来る?中嗣もあの子らとは知らぬ仲ではなかろうに」
茶を飲んでいた中嗣の眉がぴくりと動いたとき、関幸などは苦笑いを浮かべていた。
湯呑みを盆に置いた中嗣から冷え冷えとした声が出る。
「それが良くないと分かりませんか?」
「何が良くないのだ?」
「そのように、知らぬ仲ではないなどと言えば、あの二人がどう捉えるか」
「何だと。どういうことだ?」
部屋の温度が随分と下がった気がして、身震いをする神大臣と神次官だった。
邑昌が出す大きな声は、それだけで凄みがあって迫力があるので、その空気が邑昌の作ったものだと二人は信じていたが。
他の者たちは違うように捉えていた。神官を除く大臣、次官の視線は、一様に最も若き文次官へと注がれている。