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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第六章 したうもの
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18.父娘水入らずのときもあり


 二度寝して目覚めたら、陽が高くなっていて、一階に下りると待っていたように番台前に座っていた玉翠が笑ってくれた。


「中嗣は?」

「早朝に出て行かれましたよ。ですから今日はゆっくりしましょうね」


 申し訳ないけれど、ほっとした。

 いつも通り玉翠の隣に座ると、すぐに茶を淹れてくれて有難い。


「仕事は平気そう?」

「大丈夫ですよ。うちのお客様は総じて時間に厳しくない方ばかりですからね。まだ祝日気分でいましょう」

「店は開けていないのね。どうしてここにいたの?」

「帳簿を確認していただけですよ」


 見れば、番台の上には帳簿の冊子が積まれていた。宮中への届け出などもあるためにこの辺りの仕事も玉翠に任せきりだけれど、手伝うことは出来ると伝えてある。けれども玉翠は、得意分野だから任せていいといつも言っていた。昔は帳簿に関わる仕事をしていたらしい。


 というわけで、お言葉に甘え、私も今日は仕事をしない日と決めた。

 最近は集中力が続かず、書も長く読んでいられないのだ。

 こんな状態で写本をしても、きっといい書は出来上がらない。


「華月が嫌なら、私が追い出しますよ」

「え?」

「困るようなことをしつこくされているのでしょう。私からきつく言ってみますからね」


 しつこくされているのは本当だった。

 けれども追い出されたら、今のあの人は泣くのではないか。

 始終ご機嫌で、怖いくらいに笑っていて、こちらは眠いというのに、今日も早く帰るのだと薄っすらと目覚めたときから聞かされて、途中で私は二度寝と称して寝たふりをしなければならず、うぅん、昨日の昼前にはもう言っていた。それでも笑っていたのだから、余程機嫌が良いはずで、こうなると気落ちした時に感情のふり幅に耐えられないのではないか。

 そういえば、朝から手を取って指先に……辞めよう。いないのに思い出して疲れるのは。


「追い出すと言っても、この家は中嗣のものなのでしょう?」

「所有権を預けただけです」

「預けた?元は玉翠の家だったの?」

「そうですね。あなたを引き取る前からこの家で暮らしてきました」

「もしかして私のために家を手放した?」

「いえ。あなたを引き取った後もしばらくはそのままでしたよ。ただ、羅賢様が何かあっては心配だからと、名義を貸すと言ってくださいまして。それが今は中嗣様に移った形ですね」

「そうだったの。玉翠は家の名義が奪われて嫌ではなかった?」

「宮中の登録上のことで、私の家であることには変わりありません。ここは私たち家族の家です」


 駄目だなぁ。朝から顔がにやけてしまう。

 玉翠もにこにこと笑っていて、それも嬉しい。


「というわけですから、追い出しましょう」

「それは……」


 追い出したところで路頭に迷う……ことはないね。あの人は元々、宮中で暮らしていたのだった。

 宮中の部屋に戻るよう言えばいいけれど……泣かないかな。

 泣く人でないと知っているけれど、心で泣いてしまいそうな気がする。こうも嬉しそうな日々が続いていると、なおのこと心配だ。


 私が返事に迷っていたら、玉翠はさらに言った。


「無理にとは言いませんが、もっと怒ってもいいのですよ?」


 そのつもりで対峙するのだけれど、目の前でおかしなことばかりされていると、何も言えなくなるのだ。

 だから今日は中嗣がいなくて……あ、今日ならば。


 ちらと玉翠を見たけれど、先は言えなかった。

 口にすれば、玉翠を困らせてしまう気がする。


 玉翠は察しのいい人だ。

 それなのに淡い瞳は優しいままで、以前はあんなに出ていたため息も聞こえなかった。

 玉翠が本当に父親になってくれたのだなぁと、こんなところで実感するのはおかしいだろうか。


「出掛けたくなりましたか?」


 玉翠から聞いてくれた。

 言わずとも私の気持ちが分かるのは、玉翠が父親だからだと思っていい?


 ここでそうするのは違うと思うのに、私はやはり笑顔になった。

 笑っていたら、不思議と今までは言えなかったことも伝えてみようと思えてくる。


「会って来たい人がいるの。一人で出掛けても平気?」

「私が共にあっては、困る相手なのですね」


 どうなのだろう。

 頼は官に会いたくないと言うし、かつてを知る人たちにも会いたくない人だ。

 そこに玉翠が入るのかどうか。

 

 醤油屋での頼の様子を思い出せば、頼にも今の暮らしがあって、その人達とは普通に接していることが分かった。頼だって世を生きるための人付き合いはするのだ。

 そうであるならば、私を引き取ってくれた玉翠に対しては、そう悪い反応を示さないように思う。


 けれども、いきなりあの場所に連れて行けば、気分を害する可能性もあった。

 二度と会わない……とは言わないと思うけれど、それでも頼に嫌な気持ちを与えたくはない。


「分からないの。あのね、とてもお世話になった人で、私のこの火傷のときに助けてくれた人なんだけど、世の人が苦手というか、人付き合いには一家言あるというか……」


 うーん。上手いこと言える表現が見付からない。頼は頼だ。


「お世話になった方であれば、なおさら父親として、お話しさせていただきたいところですね。その場まで同行し、挨拶とお礼を伝えることは叶いませんか?」


 それくらいなら頼も許してくれるだろうか。

 玉翠に父親だと言われると、冷静な判断が出来ていない気がして不安だ。


「先に頼の……相手の許可を取ってもいい?」

「頼殿と仰るのですね。もちろん構いませんよ。こちらが勝手に会いたいと申しているだけですからね」

「挨拶が出来ても、その後は二人で話してもいい?」

「えぇ、邪魔もしませんよ。けれども熱の後ですし、お迎えには上がりますからね」

「それは悪いよ」

「どこか近くの店にでも入っておきましょう。刻を指定して頂ければ合わせて迎えに行きます」

「うーん……それも聞いてから決めていい?」


 頼は機嫌を損ねて、すぐに帰ってしまうかもしれない。

 そこで、はて、頼が機嫌を損ねたときなんかあったかな?と記憶を探るも、一度もないことを思い出した。

 でもそれは二人だけの話だ。

 誰かがいると、頼は途端に素っ気なくなる。ということは、玉翠がいても駄目だろうか。


「それほどに気難しい方ですか?」

「うぅん。とても優しい人なんだけど、人見知りと言えばいいのかなぁ?私とは立場が同じだったから気楽にしてくれるけれど……あ、そうだ。帰りに妓楼屋にも寄りたいな。それもいい?」

「そちらも付き合っていいですか?」

「玉翠が逢天楼に行くの?」

「久しぶりに皆様方にご挨拶をしたいと思っていたのですよ。いつも娘がお世話になっておりますからね」


 またにやけてしまった。玉翠は分かって言っている気がして、狡いと思うが、まったく責める気にならない。


 二人でこうやって話していると、玉翠と長く話し合ったときのことが思い出された。これに関しては、もう何度も思い出しているのに、いつまでも嬉しくなってしまうのだ。

 一方で中嗣とのことは、思い出すとこうはならない。なんたって中嗣は今朝も……辞めよう、今は忘れておかないと疲れる。


「さて。まだ出掛けるには早いですよね?みたらし団子を食べませんか?」

「作ってくれたの!」

「餡は出来ていて、あとは団子を焼くだけです」

「食べたい!すぐに食べられる?」

「もちろん」

「あの醤油を使ったの?」

「えぇ。いつも使っている醤油でも作りましたから、食べ比べてくださいね」

「わぁ。ありがとう!嬉しい!」


 嬉しさのあまり、勢いで玉翠に飛びついてしまった。

 これはいい歳をした大人としては、少々恥ずかしい行いである。


 ところが玉翠はこれを咎めず、抱きしめ返してくれたので、有難く甘えておいた。

 包まれて優しい気持ちになるこの感じは、とても安心する。

 子どもの頃からこうしておけば良かったと思えば、この歳になって甘えることも許されるかな?


 私は抱き着いたまま、それでも少し恥ずかしいので顔を隠して、言葉を足した。


「そんなにすぐに作ってくれるとは思わなかったよ」

「みたらし団子は、意外と簡単に作れるんですよ」

「そうだったの?」

「えぇ。家でも作って出してあげたかったのですが」

「まさか、あえて作らないようにしていたの?」

「あなたがそればかり食べて、他に何も食さなくなる気がしたので」

「うっ……そんなことはない……と思う」

「成長期の頃は、それは困ると思いましてね。そうしたら、あなたはすぐにみたらし団子とは外で食べるものだと認識してしまいましたので、作ると言う機会を逃しておりました」

「そんな理由だったなんて」


 まだ知らないことは沢山ありそうだ。

 今まで出来なかった分も、玉翠とはもっとよく話したいと思う。


「大人になりましたけれど、毎日は辞めておきましょうね」

「はーい。今日は沢山食べていい?」

「昼餉はなしでもいいですよ」

「本当!」

「えぇ。好きなだけ食べてください。それから出掛けることにしましょう」


 許可を得た私は、お腹に詰まるだけのみたらし団子を食した。

 玉翠の言った通り、今日は他に何も食べる気がしない。だって美味しいんだもの。


「どちらの醤油でも美味しいよ。それに、どこのお店で食べるよりもおいしい!まさか玉翠の作ったみたらし団子が最高の味だったなんて。玉翠がお店を開いたら、この街一のみたらし団子屋になれるよ」


 おいしい、おいしいと言い続けていたら、淡い瞳は照れたのか少しばかり揺れていた。

 私はこの玉翠の優しさを表したような淡い色をした瞳を眺めることが、昔から大好きだ。




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