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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第六章 したうもの
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13.乗り越える未来を作ればいい


 中嗣はゆっくりと首を振った。答えないことが答えで、それは華月の胸を締め付ける。


 辛そうな表情を隠さずに浮かべる華月を前にしても、中嗣がまだ彼女を抱き締めなかったのは、内に燻る感情がどうしても消せなかったからだ。

 中嗣にも、伝えずに溜めてきた想いがある。それは恋慕の情だけではない。

 それを今、どうにか顔を見ながら、伝えようと模索していた。


「私たちは確かに似ているね、華月」

「そうかな?」

「あぁ。君もまた、私と同じことをしてきたのだから」

「それは……」


 ここで華月と中嗣の頭に浮かぶ内容は違っていただろう。

 何故なら、直後に華月から安堵の息が漏れたからだ。


「私に相談なく、動いていたことがあっただろう。たとえば、正妃暗殺未遂の件など」


 華月は息を吐くと同時に視線を落としたが、すぐにまた中嗣を見上げた。

 この急に大人びる意思の強い視線が、中嗣の胸を熱く揺さぶり、そうして感情が高まれば、先に仕舞い込んだものまで暴れようとする。


「中嗣のためではないし、中嗣のせいではないからね?」

「私のためになると言われたのだね。それで私が喜ばないとは、思わなかったか?」

「ごめんなさい」


 中嗣は取っていた華月の指にある筆だこを無意識のうちに指を絡めるようにして撫でていたことに気付く。

 同じことをして叱られていた日々を懐かしく想うなんて。あの頃の己が知ったら、どれだけ喜ぶだろう。

 と、中嗣はこの場に関係ないことを考えていた。ある感情が爆発しそうで、これを抑え冷静になるために、意識を愛おしいものへと逸らしたのだ。


 手を繋いでも、たまに恥ずかしがって嫌がることはあれど、払われることは減っている。

 そこに羅賢の不在が大きく影響していることを中嗣はすでに知っていた。すべてが計らわれたことだとしても、それに乗った自分こそが未熟者であると理解している中嗣は、老人に感謝すれども、恨むことはない。

 けれども老人が華月に残した感情に関しては、いつまでも許容することが出来なかった。

 だから冷たくも分析してやる。


「羅賢殿がすべて分かってしたことだから、君が気に病む必要はないのだよ。君は何も知らされず、何も出来なかったと悔やんでいようが、たとえ事前に計画を伝え聞いていたとして、最後の頼みだとなんだと言われたら、優しい君は断れない。羅賢殿は最後の手として、そこまで考えていたはずだ。ことがどう運んでいようと、君は巻き込まれただけなのだから、何の責もないし、私に謝る必要はないのだよ」

「そうだとしても。もっと早く中嗣に言わなかった私が悪いことには変わらないよ」

「それも違う。私に話があったとしても、あの当時の私ならあの老人に良いように使われていただけだ」

「そんなことないと思う。きっと中嗣なら助けられた」

「私とて、もっと出来ることがあったのではないかと考えてきた。だがね、関わっていたところをいくら想定しても、結果は変わらないところに着地してしまうのだよ。今でも私は羅賢殿には遠く及ばないのだと、知らされるばかりだ。こんな私を情けないと思うか?」


 華月はぶんぶんと首を振った。そして不思議そうに首を傾げる。

 中嗣がまったく情けない男の顔をしていなかったからだ。その顔は妙に自信に満ちているように見えて、華月は強い違和を覚え、不思議な気持ちになっていた。


「近頃ようやく分かったことがあるよ。今まで羅賢殿を越える知恵を持ちたいと願ってきた私たちの対応が、間違っていたのだと」

「私たちの対応って?」

「お互いが常に一人で問題を解決しようとしてきただろう。それが相手のためになると思い、それぞれに動いていた。だが、君とよく話すうちに、それが間違いだったのではないかと思うようになってね」


 中嗣は取っていた華月の手を一度ぎゅっと掴み、頬を緩めてから先を言った。


「私たちがこうやってよく話し合い、共に問題に向き合えば、あの老人を超えることも出来るような気がしてこないか?足りぬ知恵も集めれば大きな力になると言われようが、私たちにもこれが当てはまると思ってね」


 瞠目した華月は、気付いたのだろう。中嗣がまた一歩自分に近付こうとしていることを。


 華月は中嗣に指摘されたように、問題を解決するのはいずれか一人だと思っていた。

 羅賢のことを中嗣に相談した時点で、当時の華月は自分の手から問題が離れていくと思い、躊躇ったのだ。それは蒼錬や問題を起こした領主、そして傷痕のこともそうで。その考えをもとにすれば、相談事は中嗣だけに重荷を押し付けることになる。


 華月がどうして共に考え、解決しようと思えなかったのか。それは羅賢のせいであり、中嗣のせいでもあった。玉翠の責任もあるだろう。

 周囲の大人たちは、華月の知らないところで勝手に手を回し、華月が良いようにことを運ぼうとしてくれた。そして自分をも良きように導こうとしてくるのだ。

 そんな男たちが常に側にあって、どうして個人的な問題を相談出来よう。


 これを善としてきた中嗣が自らこれを変えたいと言い出した。それは華月にとって、重たい覚悟を聞かされたようなものである。

 自然身構える華月に、この優しい男は逃げ道を塞ぐようなことはしなかった。

 優しい声で言葉を付け加える。


「とは言えね、それぞれの立場が消えるわけではないし、私とて宮中に関する問題のすべてを君と共に考えることなどはとても出来ない。それでも君に関わることは出来る限り話そうと思うのだよ。そうして君に相談しながら、二人で考えていきたいと願う」


 今日は特にそう願ったよ。とまでは、中嗣は言わなかったが。

 邑家の兄妹の襲来から、今日の醤油屋での一件がなければ、中嗣は華月に知らせる覚悟をまだ持たなかっただろう。

 知らせる覚悟はすなわち、知る覚悟でもある。


「もしかして、私のことで知っていることを話してくれる気になったの?」

「あぁ。そして君が抱えていることに関しても、共に考えるために話を聞かせて欲しい」


 聞きたいことは山ほどあった。

 言いたいことも同じほどにある。

 だから同意したくとも、華月は思い出してしまうのだ。言えないことも同じくらいに沢山あると。


 途端に曇る華月の顔は、中嗣と同じように左半分が紅く染まり始めていた。

 この季節の河原は日暮れまでいる場所ではない。気温も急激に下がり、そろそろ帰宅時間だ。


「こういうことも一方的に決めるのではなく、ゆっくりと語り合い、共に決めていくといいだろう。だから今ここで私に話すかどうか、答えなくてもいい」


 一度逃がすような様を見せるのは狡いと思いながら、華月のすっかり安堵した様子をも知りながら、中嗣はついに言った。


「帰る前に、ひとつ伝えたいことがある。聞いてくれるか?」


 耳を塞ぎたくなるような話ではありませんように。と、華月が願ったかどうかは知らないが、中嗣は華月が視線を逸らしつつも頷いたことを確認して先を言った。


「私にもどうしても嫌なことがある。それを辞めて欲しい」

「私は中嗣に嫌なことをしていたの?」


 華月の声が今にも泣き出しそうに震えていても、中嗣の瞳は揺らがなかった。


「言えないことがあるのは仕方がない。それは私が不甲斐ないだけだからね。だが――」


 夕陽よりも強い熱を帯びた視線は、まっすぐに華月の瞳に注がれている。それはようやく中嗣が気持ちを言葉に表したあの日よりも、ずっと情熱的な瞳だった。


「君に偽られることだけは耐えられない。どうかこれからは、私を偽ること()()は辞めて欲しい」


 華月は体を回しながら足を踏み出すと、中嗣に向かい右手を伸ばした。

 その手は一度も躊躇われることなく、夕陽を背負う向きとなった中嗣の頬に辿り着く。


 不思議と風が凪いだ。



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