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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第六章 したうもの
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6.ある線を越えた男たちは強く弱く


 茶屋の者が奥の座敷に案内してくれたのは、三人も官がいたからだろうと、華月は認識している。

 自分も外から見れば、いい家のお嬢さんという風貌をしていることだけは、理解出来ない。


「醤油屋さんのみたらし団子なんて。とても楽しみだね」


 華月が嬉しそうにそう言えば、卓を挟んで前に座った利雪と宗葉は、その顔に魅せられた。

 何度も言うが、華月は目尻と唇に紅を入れただけで、他に何の化粧もしていない。

 それだけで、花が咲いたような笑顔を見せられるのだから。薄い顔に施した化粧の威力とは凄まじいものである。


 しかしこれも何度でも言うが、この場で絶世の美女だと思っているのは中嗣一人くらいなもので、華月はよくいる娘が着飾って綺麗にしている状態に過ぎず、今までとの対比がそれを知る人を魅了しているだけだった。

 その証拠に、この茶屋にあった者たちは、一見美しいと思っても、華月の姿に心奪われて目で追い掛けるということをしていない。


 利雪はどうか分からないが、あとで宗葉は気付くだろう。

 多くの美しい女性を追い掛けてきた宗葉だから、華月の美しさがそれほどでもなかったことに。

 それどころか、美しい幼馴染の方が、実はこの場で最も美しくあったことを思い出すかもしれない。客も店の者も、その視線で追い掛けていたのは利雪だった。


「なんだか、久しぶりだね。忙しくしていたの?」

「えぇ。少々することが御座いまして」

「はぁ。大変なんだねぇ。もしかして今も仕事の合間なの?」

「そうですね。そのしていることの合間と言いましょうか」

「新年の祝日なのに?二人だけが大変だなんてあんまりだよ。ねぇ、中嗣。一緒に働いてきたら?」


 中嗣は不機嫌さを丸ごと隠し、華月には優しく微笑んだ。


「おかしいな。利雪も宗葉も今日は休暇ということになっているはずだよ」

「えぇ、もちろん。仕事らしいことはしておりませんよ。ねぇ、宗葉」


 華月が不思議そうに首を傾げれば、いつもとは違って、その仕草が可憐な娘のそれに見え、利雪はすっかり目を奪われていたが、意外にも宗葉は違った。

 とても疲れた顔で、「あの、中嗣様。実は……」と何かを伝えようとする。


「また彼が来たか?」

「えぇ。それも直接ご本人様がいらっしゃるもので」

「気にせず追い返していい」

「さすがに、武大臣である邑昌様を無下には出来ず。とは言っても、お茶をお出しするくらいしか出来ませんが……その……」

「君が相手をする必要もないが、したいならするといい。されど、同情してはならないよ」

「はぁ」


 華月の美しさに早々に慣れるくらいに、宗葉は疲れ切っていた。

 邑昌はかつて中嗣がしたように、自ら紅玉御殿に乗り込んできては、中嗣と話をしたいと願い、それが出来ないと分かると青玉御殿に戻るのではなく、部屋に居座り、宗葉に子育ての難しさという名の愚痴を延々と語っていくのである。

 邑の家は新年を祝う空気ではなく、最悪な状況だと聞いたのは、昨夜のこと。

 それも邑昌が酒を持って紅玉御殿にやって来たせいで、宗葉は付き合わざるを得なかった。


 単にその雰囲気の悪い家に帰りたくなくて、ここにいるのではないか。宗葉はそのように思えてしまい、対応せざるを得ない状況にうんざりしていた。

 何せ、気楽にと言われたところで、気を抜くことが出来ない相手だ。


 そこで利雪も付き合わせようとしたのに、この新年は家に戻らないと決めたくせに、忙しいのだときっぱりと断られ、邑昌が直接声を掛けようともこの誘いには応じず、利雪はさっさと部屋を出て行ったのだ。

 そんな冷たい幼馴染にも、宗葉は少々嫌気がさしていたところで。


 もはや限界を感じているのだが。

 中嗣はどこまで分かっているのだろう。これも部下を鍛える修行の一貫とでも言う気だろうか。


 その中嗣が、華月の気が付かないところで、華月の髪を飾る簪の先に連なる玉飾りを指先で揺らしては、それは嬉しそうに微笑んでいる姿を見て、宗葉は何も思わずにはいられなかった。

 宗葉に色恋事の何の沙汰もないのであれば、なおのこと。いや、それを世間は逆恨みと言うが、宗葉には知ったことではない。

 宗葉は今、見目の良い幼馴染と上司の二人に、心底嫌気がさしていた。


「そうです。邑天様と邑仙様のお二人が写本屋に参られて、大変な騒ぎになったとお聞きしました。華月は大丈夫でしたか?」

「私は何もされていないよ」

「いや、大変だったのだよ。そのせいで、華月は体調を崩し、今も病み上がりでね」

「なんと。それはいけません。どうか、よく休んでくださいね」


 華月が口を閉ざし頬を赤らめたことで、宗葉は何かあったのだろうなぁと悟る。

 女心にまったく聡くない宗葉でも、いつもと違う見目の華月であるとしても、少しくらいは察することが出来た。これがまた、宗葉を苛立たせることになるのだが。

 しかし利雪は。


「まだ熱があるのではありませんか?無理をしては、仕事にも支障が出ます。今日は早くお帰りになられた方が――」


 利雪がそこで言葉を止めたのは、額にさっと置かれた中嗣の手に、華月の頬が一層と赤らみ、それに魅せられていたからである。


「まだ平気だね。今日は誰に言われずとも早めに帰宅するが、辛くなったらすぐに言うのだよ」


 余計に赤くなると知って、こういうことをする中嗣を叱りたい華月は、しかし声が出なかった。

 それで話を変えようとする。


「そ、そうだ。それよりね。利雪に前に貸して貰った異国の書があるでしょう?あれと同じ字の書を見付けたから、前より解読出来るようになるかもしれないんだ」

「あの指輪の書ですね」

「指輪の書と呼んでいたの?」

「えぇ。印象的なお話だったので。では、またあの書をお貸しいたしましょうか?」

「うぅん。もう写してあるから平気だよ。解読出来たら、また教えるね」


 せっかく気を逸らしているのに、中嗣が頬を撫で、卓の下では手を握るので、華月は顔色を戻せない。

 必死に冷静になろうと努めているのだから、そろそろ中嗣は進んで自制しなければ……


「んもう、辞めて。どこも触らないで!」


 怒られるに決まっていよう。

 華月にいつもの調子が出ないと言っても、利雪、宗葉の前である。


「すまない。君があまりに可愛くてね」

「二人の前だよ?普通にして」

「あぁ、そうだね。二人の前では気を付けよう」

「二人がいなくてもそうして」


 にこにことご機嫌の中嗣とは対照的に、真っ赤になった華月の機嫌は急降下だ。

 いい書を沢山買えたあとで、せっかく好きなみたらし団子を待っているというのに。

 

 しかし二人の言い合いを何の憂いも持たず中断させる男がいた。


「お待ちください。あなたは読めない字でも写本が出来るのですか?」


 驚かれたことに驚いて、華月は目を丸くする。


「急にどうしたの?」

「出来るのであれば、私にも同じように異国の字のまま写本をして頂きたいのです!」

「え?利雪は原書を持っているのでしょう?」

「あなたの書いた字なら、異国の字でも読めるようになるのではないかと思いまして。他にも原書の写本をいくつかお願いしても構いませんか?」

「それはいいけど、読めない異国語の場合は、そのまま真似るだけだよ?」

「いえ、あなたの字がいいのです」

「う、うん。分かったよ。だけど読めるようになりたいのなら、自分で写本をしたらどう?」

「自分でですか?」

「子どもの手習いと同じだよ。ねぇ、中嗣」


 ついうっかりと中嗣に語り掛けてしまったことを、華月は後悔する。

 緩み切った顔で笑う男は、すでに華月の頬を撫でていた。

 頬ばかり撫でるのは、華月の頭が綺麗に結われているせいだ。


「懐かしいね。華月もそうやって異国語を覚えていたな」

「そんなことより、触らないで?」

「あぁ。では手をこちらに」

「意味が分からないよ。とにかく触らないで」

「団子が届くまでは手も空いているし……」


「そうだったのですか!華月もその方法で」


 空気を読まない男は強かった。


「確かに字を学ぶ上で書くことは有効な手段ですね。されど、やはり華月の字を見て写した方が私はよく学べると思います。写本をお願いしても?」

「う、うん。分かったよ」

「では後で店に伺い、玉翠殿を通して正式に依頼しますね」

「今は休業中だから、新年の祝日が明けてからにしてね」

「分かりました。ではまた改めて。あぁ、どの書からお願いしましょうか」


 今度は利雪がご機嫌となったが、中嗣は華月が見えないところで、眉間に皺を寄せていた。

 しかし華月が顔を向ければ、にこりと微笑み、そのような負の心情は一切感じさせないようにする。

 宗葉はまた顔色が悪くなった。短期間のうちに沢山の官の汚い部分に触れていると、最も怖いのは中嗣のような人間なのだと気付いてしまったのだろう。


 美しく皿に盛られた団子が届いたとき、最も喜んだのは宗葉かもしれない。食べ終われば、この場から解放されるのだから。


「わぁ。さすが南大通りのお店だね。見目から違う!」


 それぞれの心の内など知らぬ華月の嬉しそうな声は座敷に跳ねた。




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