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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第六章 したうもの
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4.あの影響がこんなところでも役に立っているようです


 昨年の暮れの長雨が終わってからは、穏やかな天気が続いていた。

 風は冷たいが、陽射しは心地好く、出掛けるには絶好の日和である。


「人が多いね」


 華月が呟いたように、桜通りから南大通りへと右折すれば、それまでの雰囲気が一変する。

 桜通りは休暇中の店が多く、人の往来も通常の半分程度といったところで閑散としていたが、南大通りはまるで違った。

 大店ばかりが並ぶこの大通りではどの商店も営業中で、よく人も流れ、店からの声掛けもあって賑やかであるが、これでもいつもより人が少ないのだと中嗣が説明すれば、華月は「さすがだねぇ」とまた呟く。


「手を繋ぐより、腕に掴まるか?」


 どうして分かったの?という顔の華月に、中嗣は柔らかく微笑んだ。


「腕の方が支えになろう。その代わり、手を離してはいけないよ」


 華月もこんな通りで中嗣とはぐれる気はないのか、言われた通り中嗣の右腕に手を絡めた。

 こうしておけば、転げそうになったとしても、安心である。




 その書店は宮中の南門からほど近い場所にあり、すでに辿り着く前から多くの官が中嗣の姿に目を止めていたが、華月はそれらが目に入らない様子で、書店に入るなり感嘆の声を漏らした。


「わぁ、凄い」


 ただの書店とは思えないほど広い店内には、入ってすぐの場所に初売り本という札が掛けられた棚が増設されている。

 どうやらここに珍しい書を並べ、普段よりお買い得に買える値段で売っているようだ。


 そこに群がる官たちには目もくれず、華月は中嗣の腕から手を離して、さっそく棚の書に手を掛ける。

 急に割り込んできた華月に視線を向けた官たちの方が、こんなところに若い娘がいるぞと湧き立ったが、隣にある中嗣の姿を認めると一斉に顔色を悪くして、急ぎ場所を空けたことにも華月は気付かない。

 新年の儀式を終えたところだから、中嗣の顔を知らない官は少なく、よく注目されているが、中嗣といると華月も油断してしまうのだろうか。


「こんなに沢山あるよ。どうしよう?」

「ゆっくり見るといい」

「ありがとう。わぁ、これは西のあの国の……あぁ、これは!」


 華月が手に取った書を持って、中嗣に微笑み掛けた。

 今日の華月は娘らしく、この場にいた若い官などは簡単にこの笑顔に魅入られてしまったが、中嗣の視線に怯え、すぐさま店を出て行った。

 華月はしかし、周りが目に入らないようで。今は書への興奮が勝っているのだろうか。


「見て、中嗣。まだ読めない国の書と同じ字なの」

「ほぅ。これは珍しいな。私も探してきたのだがね」

「あ、これも凄いよ、中嗣。ねぇ、見て」


 初売り本として棚に並ぶ書をくまなく確認したあとには、二人は店内を見て回ることにする。

 その間も、中嗣は片時も華月の側を離れなかったから、店に多くいた官が話し掛けることもない。若く、位の低い官からすれば、新しき文次官とお近付きになる機会とも言えたが、いつもとは違って、心からよく笑う中嗣に、話し掛ける勇気のある官はいなかったのだ。

 中嗣としては、邑家のあの兄妹の噂が功を奏していることを実感出来て、とても満足している。羅生はその意味でも、南大通りなどへ二人を送り出したのだろう。


 華月はそれからも、中嗣に見付けた書を見せては、よく語った。

 こうも嬉しそうな顔をされると、中嗣はこの店を丸ごと買い取りたくなってしまうし、華月にいつか宮中書庫の内部を見せてやりたいと願ってしまうのだが。

 その気になれば出来なくはないが、そんなことをしたら華月に嫌われると分かっているので、しないだけである。

 羅生の危惧は正しかった。華月が強欲な娘だったら、中嗣は今頃何をしていたか分からない。



 すべての棚を隅々まで見ることは広過ぎてとても叶わなかったが、また来るという約束を取り付けて、二人は外に出た。変わらずの晴れて穏やかな天候は続き、陽射しが二人の体を温める。


 中嗣の左手には、大きな風呂敷包みがひとつ。

 もちろん中身は書の山で、今日も肩に下げられる布袋を持っていたのだが、書を包むこの大判の風呂敷は書店が用意してくれたものだった。沢山買うと貰えるものだと言うが、華月はその柄に驚いている。


「これは絞り染めだよね?」

「あぁ。よく流行っているようでね。これを扱う染物屋が、このように大通りの店に協力を仰ぎ、良さを広めたようだ」

「そんな方法を使うんだ。面白いね。そういえば、あのときの布はどうしたの?」


 それは純粋な疑問だったのが、中嗣はばつの悪そうな顔を見せて、華月に気を遣わせる。


「もしかして失くしたの?私は別に怒らないよ?」

「君と染めた布を失くすものか。君は絞り染めの布を見て、嫌な気分にならないか?」

「それで隠してくれていたの?」

「隠していたわけではないが……どうしたものかと考えていたところでね。気にならないなら、あとで帰ったら見てくれるか?」

「うん?いいよ」


 華月は中嗣が何かを誤魔化すように頭を撫でても何も嫌がらず、頬も赤らめなかった。

 いつもの調子が戻ってきたのは、書に夢中になって過ぎる考えを手放せたことと、外では縋る相手もなく逃げられない状況にあって向き合う覚悟を持てたからだろうか。

 本人は何も考えていないだろうが。


「荷を分けようよ。少しは持つよ」

「任せていい。君は病み上がりだからね」

「んもう。そう言っていつも少しの荷も持たせてくれないんだから」


 このように、文句を言う元気まで戻っている。

 これに中嗣は破顔して喜んだが、その顔にぎょっとしている官は一人や二人ではない。道行く官たちは、決して近付いては来なかったが、中嗣と、そして隣にある華月をよく見ていた。


「まぁまぁ。ほら、腕に掴まって。他の店も見たいだろう?」


 不満そうだが、華月は中嗣の右腕に手を絡め、二人は南大通りを歩き出す。




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