3.どうしてそんなに変わってしまったのかって
こうして羅生に上手いこと取り計らわれて、中嗣と華月は二人だけで出掛ける運びとなった。
すると一同、何故か揃って写本屋の店先へと移動する。
羅生まで見送りのために出て来るのは珍しいことだ。
いつの間に用意したかは知らないが、華月には帯とお揃いの美しい白地に金糸で刺繍を施した羽織が玉翠の手によって重ねられた。もちろん綿がたっぷりと詰まった、温かく上等な品物である。
さらには綺麗な衣装に合わせた新しい靴も、土間には置いてあった。こちらもつま先まで刺繍が施されていて、娘のものとしては一級品と言えよう。
羅生はそれらを見ながら思う。
よくぞまぁ、祖父は華月からこの約束を取り付けたものだと。
さらには祖父の人となりを思い出し、羅生は苦笑いを浮かべた。
華月が拒絶しなければ、祖父と共謀した目の前の二人は、尋常ではない数の衣装を作らせ、靴を作らせ、髪飾りを買い、その他あらゆる高級な調度品を用意して、せっせとこの娘に贈ったのではないか。
初めての贅沢に浮かれ、散財を願うような子どもであったら、ここは写本屋ではなく、衣装屋へと変わっていそうだし、華月は働かずに暮らしていただろう。
思い出してみれば、祖父は羅生の従姉妹である孫娘たちにも甘かった。
かつて誰かに対し、便宜上それらしいことを伝えたが、さて、羅生が幼い頃はどうだったかと言えば、祖父は頻繁に従姉妹たちに対しても贈りものをしていたように思う。
二人の従姉妹が側妃として後宮に入るときなどは、これが最後とそれはもう沢山の衣装を作らせ、後宮に持参させたものである。もちろん彼女らの親たちの計らいもあったが。
ちなみに男の羅生には興味がないのか、贈りものを受け取った覚えはない。その代わりに羅生は他の沢山のものを受け取っていることを知っているため、不満もないが。
いや、どうだろう。少しは不満かもしれない。
靴を前にしても、華月は戸惑う様を見せていた。
普通の街娘なら嬉々として新しい靴に足を入れるところだが。
「慣れた靴の方が歩きやすいよ?」
「疲れたり、足が痛くなったりする前に、私が抱えてあげるから問題はない」
「そんなことになる前に、いつもの靴を履いていった方が……それより外で汚したら大変だから、着替えた方がいいと思うの」
中嗣も己の欲のためとはいえ、よく頑張った。華月の頭を撫でながら、こう言うのだ。
「そのようにのんびりしていたら、いい書が売れてしまうかもしれないな」
「そんなに人が沢山来るの?それなら辞めた方がいいかな?」
「三日目だからそうでもないはずだが、早く行くとしよう」
「三日目なら、いい書はすべて売れてしまっているかもしれないよ」
「まぁまぁ、病み上がりの散歩だと思って。初売り以外にもあの書店ならば良き書が見付かろう。では、少し出て来るよ」
中嗣が玉翠を向いて言えば、玉翠は深々と頭を下げて返答した。
「娘をどうか、よろしくお願いします」
華月の頬がほんのりと染まるも、明らかに中嗣に対してのそれとは違う色を見せている。
これが中嗣を悔しい気持ちにさせるのだが、華月はとても嬉しそうな顔で玉翠に微笑んで、さらに中嗣を悔しくさせた。
「行ってきます。玉翠もゆっくりしていてね」
「俺には一言ないのか?」
「何も言われずとも、君はいつもこの家で勝手にゆっくりと過ごしているではないか。さぁ、行こうか、華月」
手を取られると、華月は少し前よりも色濃く頬を染めたが、嫌がらずにそのまま手を引かれて、二人は写本屋を出て行った。
「玉翠殿も幸せそうですなぁ」
羅生はくつくつと笑いながら、玉翠に言う。
ようやく調子が戻ったのは、華月がいなくなったせいだとは気付きもしない。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね」
「何を仰る。あの通り本人が嬉しそうにしているのです。いくらでもそうしてやったら良いではありませんか。父上と呼ばせたら、なお喜びましょうぞ」
「それはもう、私には過ぎる幸せですから。今のままで十分です」
「華月は玉翠殿のそういうところを真似てしまったのでしょうな」
「私を真似ているように見えましたか?」
「おや、お気付きでなかったと?父娘らしく、お二人の考え方はよぅ似ておりますぞ。華月は玉翠殿から世の生き方というものを側で見て学んできたのでしょうな」
玉翠は、何の陰りもなく、笑うようになった。
淡い瞳の男の笑顔の質が変わっていることを、羅生は目の前で実感する。
客間に移動しながら、羅生は呟いた。
「今日はどうなりましょうな。また熱がぶり返さないと良いですが」
「体には問題ないのですよね?」
「安心してくだされ。あれはどう診ても知恵熱ですぞ」
「理由が何であれ、熱が出ないようになるといいのですが」
「熱が出ても痛くないと泣いておったのですから、あまり気にしないことです」
「それは傷が改善してきていると思って良いのでしょうか?」
「状態は良くなっていると思いますがな。診てもいないことにはなんとも言えぬのですぞ。中嗣様には早う説得するようにと伝えておるのですが、どうにも甘くてなりませんな」
「申し訳ありませんが、華月がいいと言えるまでお待ちくださいませんか?まだ私にも嫌がっておりましたので」
「おや、聞かれたので?」
「えぇ。少し触れてみました」
照れを含んだ笑顔にも、やはり一切の陰りはなく。
笑っていても仄暗さを共存させている男だと、羅生はこれまで感じてきた。それはまるで、何度も玉翠から吐き出された溜息の暗雲を自らの意志で体の周りに纏い続けているように見受けられたのだ。
自信が玉翠を変えたのだろうと羅生は分析しながら、客間に入ると元居た場所に座って、すぐに酒を煽った。
あの傷、いずれ必ず直接に診てやろう。
あのような面白い怪我の痕を逃すものか。
自然口角が上がっていたことに気付いた羅生は何食わぬ顔をしてこれを戻し、それからは華月の話で玉翠を喜ばせつつ、忘れてしまいたいあの邑家の兄妹の話などを玉翠に聞かせていった。
昨年のあの件は、誰もが忘れてしまいたいと思う騒動だったが。
写本屋に集う者たちが変わったのは、確実にあの邑家の兄妹が来訪した日からである。