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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第五章 はたらきもの
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27.あらゆることが片付く予感です


「中嗣さまも色々とお考えがありましたのに、先を越すような真似をして申し訳ありませんわ。ですがわたくしはもう待てなかったんですの」


 邑仙の言葉の意味を理解出来た者はないだろう。

 特に中嗣は聴く気もないのか、さっさと靴を脱いで上がり框を越えていく。


「大丈夫か、華月」

「うん。私は平気。でもね、玉翠が刀を向けられていたんだよ」

「それは申し訳ないことをしたね。怪我はないか?」

「いえ。どこも何ともありませんから」

「そうか。羅生。それから磁白。説明してくれるね?」

「説明なら、わたくしから致しますわ!その前に、そこの女がわたくしに無礼を働きましたの。どうかきつく叱ってくださいませ」


 聞いたら負けだと言うように、中嗣は華月の頭に手を伸ばして、どうにか玉翠から奪おうとしたのだが。


「中嗣!早く着替えて。うぅん、湯浴みをした方がいいよ。あぁ、それに、そこの……磁白様?も酷く濡れているから、良かったら着替えを……」


 中嗣は優しい笑みを零して首を振った。心配した華月が、玉翠の腕から自ずと離れ、側に駆け寄ってくれたからである。


「傘をさしてきたから、そう濡れていないよ」

「でも、外は寒かったでしょう?」

「終わってからゆっくり湯に浸からせて貰うよ。それに磁白は勤務中だ。そうだね、磁白?」

「はい。私のことなどをお気遣いいただき嬉しく思いますが、このあとは宮中に戻りませんといけませんので。また濡れますから、どうかお気になさらずに」

「それならせめてお茶でも飲んでいって。ねぇ、玉翠」

「そうですね。助けて頂きましたし、すぐにご準備を」

「いえ。本当にお気遣いなく。私はこの二人を連れ、急ぎ宮中に戻ります」

「お待ちになって。どういうことかしら?」


 土間に座りっぱなしの状態で、邑仙は問い掛けた。

 隣でようやく転がっていた邑天が目を覚まし、バタバタと音を立て体を起こそうと試みる。


「むっ。これはなんだ?どうして縛られている?」

「嫌だわ、お兄さま。やっと起きたのね」

「どういうことだ、邑仙。むむっ。貴様!何故ここにいる!」


 上半身を起こし座り直した途端、兄妹揃って同じ言葉を繰り返すとは。磁白はしかし淡々と「邑昌様の元へお連れするために拘束させていただきました」と答えるに留めた。


「またお父さまの勘違いなのよ。お兄さまからも縄を解くように言ってくださいな」

「うむ。おい、貴様。父上のそれは間違いだ。早く縄を解け」


 なんと虚しき会話だろう。あの羅生が揶揄する気が起きないほどなのだから、これは酷い。

 しかし今は中嗣がいる。中嗣はくるりと振り返ると、そこに何も無きような乾いた瞳で邑家の兄妹を見やった。


「悪いが君たちの処遇を邑昌殿には任せておけなくなった」

「なんだと?どういうことだ?」

「ついに責任を取ってくださるのね!」


 兄と妹で顔色が全く違うことは、華月には印象的である。


「まさかここで問題を起こすとは。君たちの地方送りは取り止めとなろう」

「まぁ!素敵だわ。ねぇ、お兄さま」

「取り止めとは有難いが、お前が味方になるとはどういうことだ?」

「磁白。二人は邑昌殿の元ではなく、宮中の無色人屋へと連れて行くように」

「なっ!」

「なんですって!」


 さすがにこの兄妹にも意味が分かったようだ。

 無色人屋とは、宮中の端にひっそりと建つ罪人を閉じ込めるための場所なのだから。


「それから磁白」

「はい。申し訳ありません」


 中嗣が先を言う前から、磁白は頭を下げた。華月が不思議そうに中嗣の顔を見上げているので、中嗣は一度華月に微笑んでから、磁白に尋ねる。


「君なら二人をここに連れて来ないように出来たはずだ。あとでよく説明をして貰うから、そのつもりで。場合によっては……」

「分かっております。どうか、厳しいお裁きを」


 華月は首を捻った。確かにそうだと思うも、では何のために磁白はあの二人をここに連れて来て、暴れさせたのか。

 より厳しい罰を与えるため?

 考えてみれば、地方へ飛ばしたところで、素直に地方に留まる者らではないだろう。そもそも本当に地方へと向かうかどうかも怪しい。地方の役人など二人の顔を知らないから、身代わりの者でも立てたのではないか。父親である邑昌も同じように考え、二人をどこかの屋敷に幽閉する手はずだったのかもしれない。


 華月はここで大問題に気が付いた。

 この二人が命に従い地方での任に着いたところで、その地にいる者たちにとっては迷惑極まりないことであろう。

 宮中から地方への嫌がらせと捉えられる可能性もある。

 宮中での地位を失脚したものが地方送りとなる処分はこれまでにも多々あっただろうが。この二人なら、地方でも問題を起こし、それが大きな災いとなって宮中に返ってくるかもしれない。


 磁白はそこまで考えて、二人に行動させたのだろうか。


「お待ちになって、中嗣さま。わたくしに分かるように説明してくださるかしら?」


 それは無理難題ではないか。と多くの者が同時に思ったのだが。


「そうだ。高貴な私たちを何故そのような罪人のいる場に連れて行く?もしや私の次の仕事は、無色人屋の見張り役とでも言うまいな?」

「罪人の見張りだなんて怖いわ。わたくしは辞退させていただきますわね。うふふ。結婚したら仕事を辞めるつもりだったから、ちょうどいいわ。そのために怖い場所に移動させるなんて。そんなことなさらないでも、わたくしはいつでも妻として家を守りましてよ」


 結局何も理解していない兄妹の戯言を無視した中嗣が手を伸ばして華月の頬をひと撫ですると、華月は驚いてその手を掴んだ。


「こんなに冷えて。早く温まらないと」

「そうだな。早く終わらせるとしよう。磁白。説明など不要だ。連れて行きなさい」

「何をしていますの!ねぇ、中嗣さま!わたくしというものがありながら、そのような醜い女に触れるなんて、気でも触れてしまいましたの!」


 気が触れているのはこの兄妹の方だろうと、誰もが思ったが。

 中嗣は我慢ならなかったのだろう。

 華月から手を離すと、つかつかと歩き、簡易の靴を履いて土間に下りて行く。

 先ほどまで羅生がその靴を履いていたことは当然知らない。


「磁白。それを」


 磁白は短刀の柄を中嗣に向けた。宝石が煌めく柄には中嗣も眉を顰めたが、握り締めるとその切っ先を、あろうことか邑仙の瞳の前に向ける。


「な、何をなさいますの?」

「これ以上の愚かな発言は許さない。従わないのであれば、私は君たちをここで手打ちにも出来るのだよ」

「妻となるものに対し、刀を向けるだなんて。許してさしあげますから、今すぐにそれを……」


 切っ先を左の瞳の寸前まで近付けられて、さすがの邑仙も黙ったのだが。

 この状況で叫べる男が隣に座っていた。


「おい、妹に何をするんだ!そんなことをして許されると思うのか?」

「君こそ、ここで君たちの自由が通ると思っているのか?」

「何を!庶民の店ではないか」

「この店の所有権が私にあっても、そう言えるか?」

「へっ?」


 華月から素っ頓狂な声が漏れたが、急ぎ側に居る玉翠を見上げれば、にこりと微笑まれ、華月は己だけがそれを知らなかったことを悟る。一体いつからなのか。


「何と。このような庶民の小汚い店が、お前のものなのか?」

「小汚く見えたとしたら、君たちが汚したせいだろうね」


 中嗣がすっと刀を引いたことで、邑仙は許されたと思ったのか。


「おかしいわ。おかしいわよ。おかしいでしょう!何よ、何なのよ。どういうことよ」

「おかしいのは君たちの頭の方だと思うけれどね。君はいつも勝手に私の婚約者であると吹聴し、文官に対して非常識な行いを続けてきたが。私は再三、邑昌殿にこれを抗議してきたのだよ。邑昌殿はいつも処分は任せろと言うが、それがいくら待っても何の改善もされず、先日はついに最後通告をしてきたところでね」

「最後ですって?それに何よ。何が問題なのよ?わたくしはあなたの婚約者でしょう?」

「これまで君が私の婚約者になったことは一度もない。そしてこの先もそれはない。と、いつもはっきり伝えて来たはずだ。これで分からないとは、君の耳と頭はどうなっているのかな?」

「嘘よ!前に約束してくださったじゃない」

「約束した覚えはないし、約束するはずもない」

「どうしてですの?わたくしがあなたならいいと言っておりますのよ?この美しいわたくしが。まさか、わたくしほどに美しい女が他にいるとでもおっしゃるつもり?」

「あぁ。そうだな。()()()ではなく、()()()()()()美しい娘がいる」


 華月が目を丸くしてこれを聞いていた。

 そしてまたこの娘が、やはり中嗣は美しき女性が好きなのだ、とまったくもって見当違いのことを考えていると悟り、玉翠は華月の頭に手を置いた。

 不思議そうな瞳で見上げられると、玉翠は柔らかく微笑んでしまう。

 娘をまだ手放したくはないと思いながら、そろそろそのときがやってくる予感を覚え、娘の幸せを願い、玉翠は胸を詰まらせた。




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