表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第五章 はたらきもの
111/221

22.楽しそうに過ごされておりますけれどね

明けましておめでとうございます。

今年もこつこつ更新しますので、よろしくお願いします。

良い一年になりますように。


 今日もまた紅玉御殿の一室にて。いつもと異なる質の笑顔を纏った中嗣は、文机に積んだ大量の書類を選別しているところだった。

 次官に相応しい部屋に引っ越せと言われているが、中嗣は変わらず今までの部屋に居座っている。

 前の次官は早々に部屋を空けたにも関わらずだ。中嗣が急がなかったのは三位文官の部屋が余っていたこともあろうが、周りはこれに落ち着けず困る者もいた。


「何かいいことでも御座いましたか?」


 気になって仕方のなかった宗葉が、追加の書類を手渡すついでに聞いた。宗葉としては自然に問えたと喜んでいるが、それも分かって中嗣は一段と深い笑みをその顔に滲ませた。


「先日、素晴らしい贈りものを受け取ってね」

「はぁ。贈りものですか。どなたから何を?」


 宗葉は聞かずとも贈り主が誰か分かっていたが、あえて聞いてやった。中嗣が満足そうに頷けば、ほっと安堵する。


「華月から素晴らしい栞を貰ったのだよ。挟み込む珍しい型をしているのだが、書類に使えるものをと、よく考えて選んでくれたそうなのだ。その礼は何がいいかと考えていたところでね」


 嬉しそうに微笑んでいた理由はそれかと、何か一言伝えてみたくなる宗葉だが、羅生ではないので口にはしなかった。

 宗葉はまだ、中嗣という男を掴みかねている。

 あの羅生の酷い揶揄の言葉を許容しているかと思えば、祝いと称してほぼ嫌味を伝えに来たとある官には、相手が震え上がるほどに恐ろしい言葉を返した場を目にすることは一度や二度ではなく。

 宗葉には、中嗣が冗談をどこまで受け入れられる男なのか、未だ理解出来ない。口に出す言葉を聞いている限り、最も酷い言葉を発しているのは羅生だったからである。


 しかし羅生に対しても、華月のことになると、許されているかどうかは怪しい。

 いずれ羅生が本気で痛い目を見るのではないかと、宗葉ははらはらしながら見守ってきた。

 近頃はその機会も減ってはいるが、宗葉の気苦労は絶えない。



 宗葉という男は、実は、いや、特に隠されているかは怪しいが、大きな体に似合わず気が弱いのだ。



 この場でも話題が華月のことになると分かって聞いたはずの宗葉であったが、間違えのないようにと、中嗣の指の先を追い、慎重に視線を落とした。

 文机に積み重なった書類の端からは、銀色の物体が覗いている。


 中嗣は宗葉が興味を持ったと思ったのか。ただ自慢をしたかったのか。


「見てごらん。美しい細工だろう」


 中嗣は書類から抜き出して手のひらに乗せたそれを、宗葉に見えるようにした。

 仕事中も目に入れておきたいだけで栞として使ってはいないのではないか、と思う宗葉だったがやはり口には出さず、中嗣の手の上にあるそれをまじまじと観察する。触れなかったのは、繊細ではない自分の手で壊しでもしたら大変だと思ったからだ。


 銀杏の葉を模した形をしたそれが銀細工であるならば、それなりの値段はしそうだ、というのが宗葉が真っ先に思ったことだ。

 そして次には、写本師というのはどれくらいの儲けを得る職業なのだろうか、と下世話なことも考えた。あのように妓楼屋で飲む金があるならば、かなりの利益を得ているのではないか。


 宗葉が今度聞いてみようと思っていたとき、中嗣が手のひらの銀細工をくるりと裏返してみせた。

 なるほど。裏の金具が書類をいくらか挟めるようにしているのだな。

 これが通常の書に使う栞でないことを、宗葉も理解した。そもそも栞と呼ぶものではないのかもしれない。


「洒落たものですし、帯に挟んでも良さそうですな」


 あまり考えずに呟けば、中嗣は晴れやかな顔で頷いた。


「君もそう思うか?」

「えぇ。ただ、少々先が長く細いので、折れてしまわないか心配ではありますね」

「私もそれを心配しているのだよ。常に持ち歩くには最も良き方法かと思ったが、華月にもこれを止められてしまってね。今度強度を上げる加工をお願いしようかと思っているところだ」

「そのような加工が出来るのですか?」

「以前華月の簪を直して貰ったところが、そのような対応に長けていてね。まずは相談してみようと思う」

「……簪ですか?」


 宗葉が不思議そうに言ったのは、簪を使う華月の様子を想像出来なかったからだ。

 いつも髪をひとつに束ねる姿しか見たことはないが、簪を使うために結うようなことはあるのだろうか。


「よく帯に使っていよう」


 宗葉の頭に華月の腰によく揺れていた玉飾りの様子が浮かんだ。

 宗葉にはあれが簪である認識はなく、元からそういう帯飾りだと思っていたが、改めて言われると簪だったように思えてくる。


「そういえば、華月も中嗣様が贈ったようなことを言っておりましたね」


 妓楼屋でそんな話をしていたような。しかし宗葉も酒が入っていたときのことは、うろ覚えだ。


「あれは贈った甲斐があったというものでね。華月も大層気に入って、今でもとても大事に扱ってくれるのだが、それを見ては私の方が嬉しくなってしまい困ったものだよ」


 言葉とは裏腹に、何も困ったようには感じさせない男を見ながら、こんなに話す男だっただろうか、と宗葉が疑問に思う機会も増えていた。

 宗葉は一人の時間が長かった人だからようやく自分たちに慣れたのだと捉えているが、中嗣のこの変わり様は華月と共に過ごす時間が増えた影響だろう。 

 言わなければ伝わらない自覚が、中嗣を変えている。が、宗葉にはそんな理由など関係ない。


「でしたら、それは簪の礼に?」

「これは先に言った通り、祝いとして受け取ったものだよ。だからまた改めて礼をするつもりでね。というわけで、今日も早く帰りたいのだよ」


 何が、()()()()()なのか。

 宗葉は出掛けた言葉を止めるために口を押え、また手を離して、今度は違うことを聞いた。


「何を贈るか決めておられるのですか?」

「まだ決めてはいないが、美しいものを贈りたいと思っているね。また違う簪を選んでもいいのだけれど、華月は簪はひとつで十分だと言うものだから。さて、何がいいか……」


 あまりに不思議で、宗葉は聞いてしまった。


「華月も着飾ることはあるのですか?」

「どういう意味かな?」


 言葉の意味は分かるだろうに、聞き返されたことで宗葉は動揺する。

 笑顔であっても、中嗣の目が笑っていない。

 宗葉は大分中嗣という男が顔色で意味するところを理解してきた。


「深い意味はございませんが、いつも烏の……いえ、濡羽色や墨色といった濃い色の衣装を選んでおりましょう。それに髪もそのままかひとつに束ねるだけで、飾りなども使っていなかったので、着飾ることが好きではないのかと思いまして」

「仕事で汚れるのが嫌なだけで、好まないわけではないよ。華月の帯の色はいつも違っていよう?」


 はて、そうだったか。宗葉は首を捻り、しばらく記憶を辿ったが、華月の腰帯の色などは覚えていない。

 遠くから見たら少年のようだよなぁ、と宗葉が華月の容姿に対していつも思うところはそれくらいだった。


「では着飾るときはあるのですね?」

「それは当然」

「これは気になりますな。一度目にしてみたいものです」


 宗葉はすぐに興味を示したことを後悔する。

 物珍しさからの純粋な興味であって、そこに華月を女として扱う何の情もなかったのだが。


「どうかな。華月が君には見せないように思うね」


 私には見せてくれるよ。私は特別だからね。

 と言いたいのだと分かったが、宗葉は逃げた。


「はは……ところで中嗣様。お部屋に人を増やす予定はございませんか?」

 

 しかし宗葉は、話を変えるためだけにそう言ったのではない。

 何せ宗葉がこのように問うことは、もう三度目だ。


 宗葉は苦労していた。ある見目美しい男が、今は別室で夢中になっていることがあり、仕事はしてくれるものの、毎日僅かな時間しかこの部屋に姿を見せない。

 おかげで宗葉は、得意としない者たちと二人きりになってしまうのだ。二人同時に現れていたときには、いや、利雪が常に共にあったときには、不得手だと感じたことはなかったのだが、今やそれぞれが得意としない者となってしまった。中嗣はまだしも、羅生とは気安い仲になっているのに、一度生じた苦手意識はそう容易くは消え去らない。


 そして山のようにやって来る仕事を一番に対応するのも、宗葉だった。

 少し前までは利雪も共に対応していたので気楽なものだったが、いざ自分一人で受け取った書類の選別や、直接頼まれた仕事の振り分けを行うことは、至難の業だった。

 ただ仕事を分別するだけと思えば、誰よりも楽な仕事であろうが、宗葉はまだどの仕事が重要で、そうでないのか、分かる段階になく、今もこうして中嗣に一度分けた書類を見直して貰いながら指導を受けている。


 中嗣のいないときには、利雪を頼るほかないが、忙しいからと今までのように親身に考えてはくれないのだ。己より多くの書類を短時間で処理している利雪に、それくらい出来るでしょうと言われてしまえば、言い返すことも出来ず。だからと言って羅生に聞けば、医官に聞くのかと鼻で笑われ悔しい想いをすることになる。


 簡単に言えば、宗葉には能力を超えた仕事を与えられているのだが。

 中嗣はどこまで分かっているのだろうか。


「今は時期ではないね」


 涼やかに微笑まれると、宗葉はそれ以上願えなかった。

 中嗣と論じ合える自信もまた宗葉には存在しないが、最後の頼みと聞いてみる。


「その時期とはいつ頃になりましょうか」

「君たちが育ってからだろうね」


 宗葉は項垂れた。この仕事から逃れられそうにない。

 どうしてこんなことに……宗葉は利雪と共にいたことを後悔していた。幼い頃からの付き合いがあって、仲良くしてきたが。官になったところから、公私を分けておけば。


「利雪の調子はどうかな?」

「よく話すようになったようですな。羅生とは相変わらずですが。利雪とならば、共に食事もするようになっています」

「それは素晴らしいね。彼の根気には目を瞠るものがあるよ。一度写本屋に集まりたいと言っておいてくれるかな?もちろん、あの子はまだ連れて行けないけれどね」

「あ、はい。利雪は納得するでしょうか?」


 何のために写本屋へ?と思った宗葉だったが、紅玉御殿のこの部屋に一人残されるよりはずっと良いと感じた。

 訪問者から与えられる官の醜さや汚さ、厭らしさに触れ過ぎて、宗葉はそういう意味でも心が折れそうだったのである。利雪のように分からないほどの清らかな心が欲しいものだと、宗葉はいつも思った。

 その利雪も今や、少し変わっていて、人の悪意を理解し始めている。


「納得しないのであれば、私が話すよ。こちらの書類は君たちで処理するように。それからこれらは、出したところに戻しなさい。では、いつも通りこの場を頼むね、宗葉」

「……お任せを」


 またしても宗葉は紅玉御殿の一室に残された。

 利雪が顔を見せたのは、中嗣が出て行ってからである。羅生にはこの日会うことはなかった。


 羅生が戻れない事態が発生していたことを宗葉と利雪が知るのは、なんとそれから何日も過ぎて、ついに年が明けてからである。二人が話を聞いて気が動転したように騒いだときには、すべてが片付いていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=809281629&s
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ