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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第一章 おくりもの
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10.これまでと違う遊び方をしましょう


 宴の刻は流れが早い。

 日が暮れ始めた頃、三人は茶屋でこの後をどうするかについて相談を始めた。


「共に写本屋に参りましょう。玉翠殿から、送り届けて欲しいと頼まれているのです」

「気にすることはありません。忘れてください」

「約束してしまったからには、そういうわけには」

「私も美鈴と約束してしまいましたので、破ったらそろそろ刺されます」


 利雪も宗葉もぎょっとしたが、華月は笑っていたから冗談なのだろう。


「お暇があるなら、一緒に参りますか?」


 利雪と宗葉が目を見合せる。

 華月に渡すはずの礼を使って良いならば、遊べないことはなかったが、さすがにそれは憚れたし、二人とも今日はその礼となる金を持って来ていなかったのである。


「いえ、逢天楼は遊女なしでも飲めるんですよ。一階の広間なら、酒代と少しの場所代で済みます。えぇと、場所代は確か……」


 華月は逢天楼の料金制度を説明してくれた。

 華月の奨める一階広間での場所代は、少々高めの居酒屋といった程度の料金だった。これは利雪ら文官にとっては問題なく支払える額だ。

 酒の質も選べると言うから、高額な酒を飲まない限りは、困ったことにはならない。

 これまでのように個室を使う場合には、部屋や時間によって料金が代わり、さらに個室は遊女の同席が必須だから、その料金も必要となる。

 遊女もまた、料金に幅があって、高額な遊女となると文官でも怯えるような金額を用意しなければならなかった。しかも断る権利も選ぶ権利も遊女側にあるのだとか。金を払って、相手をして貰えない事態となったら、最悪だ。三大妓楼屋というのは、それを受け入れられる余裕ある者が遊ぶ場所なのだ。

 ちなみに一階の広間でも遊女を呼べるが、こちらは個室に遊女を呼ぶよりはずっと安いもののやはり高額で、宗葉の顔には無念さが現れていた。

 あまりの悲痛な表情に、華月がこれを慰めたくらいだ。


「そう落ち込まないでください。私が広間に居ると、姐さんらも合間に顔を出してくれることがあるんです。胡蝶は分かりませんが、今日は私が美鈴を呼びますし、他の誰かもやって来るやもしれません」


 宗葉は立ち上がると、早く行こうと先陣を切ろうとしたが、利雪は立ち上がることを渋った。

 そんな利雪の様子も気になったようで、華月は気を遣うようなことを言い始める。


「もしかすると、奥方様がお厳しい方で?それなら無理強いは致しません」


 予想外の言葉を受けて、利雪が理解するまでには間が空いた。


「わ、わ、私はまだ、結婚しておりません!」


 宗葉が腹を抱えて笑い出したのに、華月は不思議そうに首を傾げるのだ。


「幼子向けの書のご依頼が多かったもので。それは失礼いたしました」

「あれは姉の子どもたち用です」

「利雪は女人が苦手な変人でね。俺より先に結婚など、あり得ない」


 宗葉が揶揄すると、華月は珍しい生き物を見るように、まじまじと利雪を観察していたが、やがて言った。


「私がご一緒するのも申し訳ないことでした。では、宗葉様。二人で行きましょう」

「いいえ、私も行きます。華月殿とご一緒するのは平気です!」


 沈黙があった。三者三様に気まずさを乗り越えようとしている。

 口火を切ったのは、華月であった。


「まぁ、女らしさの欠片もありませんからね」


 華月は自分の頬を撫でながら言った。この顔は確かに女性らしくないとでも言うように。


「ははは。そんなことはないとも。なぁ、利雪」

「えぇ。その通りです……」


 気まずさはしばし続いた。

 言われた華月が気にしていない様子だったことだけは救いだ。



◇◇◇



 陽が落ちてから到着した逢天楼の一階の大広間は、すでに人が多く、雑然としていた。一人で飲む者もあれば、数人でわいわいと騒ぐ者たちもいる。

 庭に面した広縁に沿うその部屋は、華月が昼間寝そべっていた場所だ。

 その雰囲気は、妓楼屋ではなく、居酒屋に近い。なんと言っても、遊女が一人もなく、男ばかりだ。給仕係として女性が現れることはあるが、男性がこれを行うこともあった。


 利雪には安堵出来る空間であったが、宗葉はつまらなそうである。

 しかし遊女を買う金がないのだからと、三人は広間の空いたところに腰を下ろして、酒を頼んだ。さすがに沢山食べてきたので、料理は注文しない。


 それは、すぐのことだった。

 華月目当てらしい遊女が顔を見せ始める。現れたのは宗葉らの知らない遊女たちだったが、華月と共にいることで、二人もよく話し掛けられた。これが嬉しい誤算で、宗葉は緩み切った顔で彼女らを引き留めようと必死だ。


 遊女らが現れると、利雪は話を振られない限り傍観者に務め、先ほど聞いた逢天楼の料金制度について考えていた。これまで自分たちの払った額が少な過ぎる。胡蝶らを指名してはいなかったから、その代金を求められなかったのだろうか。しかし「どの遊女がいいか?」と宗葉が聞いた時点で、遊女を指名したようなものではなかったか。酒を選んでいないのに、上等な酒を提供された。案内されたのも、いい部屋に違いない。なぜ、あれほど安く済んだのだ?


 利雪が思案するうち、美鈴もやって来た。昼間とは別人の様子に、思わず利雪も感心してしまう。


「まぁ、二人きりじゃないなんて。浮気者なんだから」


 華月は苦笑しながら、「今日はまた一段と綺麗だね」などと美鈴を褒めていく。すると美鈴は、まんざらでもないように、とても幸せそうに笑うのだ。

 美鈴は当たり前のように、華月の隣に腰を下ろし、その腕に寄り添った。

 二人が揃うとどうも恋慕の熱を感じるのだが、華月はここでも「そういう嗜好はありませんからね」と言っていた。

 それなのに美鈴がまた拗ねた顔を作れば、華月は美鈴の耳元に顔を寄せるのだ。

 周りには聞こえないが、何か甘い言葉を囁いているのではないか。美鈴の頬が白粉(おしろい)の上からも分かるほどに、上気していく。

 しかもそれでは終わらず。


「では、お二人様。私のことは気にせずに、逢天楼の夜をお楽しみください」


 華月はそう言って、体を倒すのだ。

 美鈴の膝を枕に寝転がると、どこからか出した書を開き読み始めた。

 美鈴はただ愛おしそうに華月の額を撫でている。


 美鈴の方には、その気があるのではないか?

 利雪も宗葉もそう思った。


「まぁ、華月様。今日もお楽しそうで。こちらの方々は?」


 また知らない遊女がやって来たとき、華月は書の位置を少し変えて目元を見せ、「面白い人たちだよ」とだけ伝える。

 すると遊女は宗葉らにも声を掛けてくれたから、今度こそ長く捕まえようと宗葉は熱心に声を掛けた。


 こうなると、利雪は一人で飲むことになる。

 遊女らと話す気はないし、華月目当てでここに来たのだ。帰りは送り届けるという名目もあって最後まで付き合う予定だが、それまで一人酒を楽しむしかないならば、こちらも読書でもしようか。

 利雪が持ち歩いていた華月の訳書を紐解こうとしたときだ。


「うーん、今日は駄目だなぁ。飲み過ぎて頭に入らないや」


 書を閉じると、華月はゆっくりと体を起こす。


「美鈴、今宵はおしゃべりを楽しもうか?」


 美鈴は嬉しそうに座り直した華月の腕に両手を絡めた。

 それから華月は、利雪に向かい笑顔を見せる。


「お話しますか、利雪様も」


 美鈴が拗ねていたようだけれど、利雪は断らず、有難く誘いを受けた。華月が気を遣ってくれていることは分かったからだ。


「では、書の話でもいかがでしょう?」


 憧れの写本師との時間は、夢のように過ぎていく。

 利雪が華月と共に過ごすことを純粋に楽しめたのは、この夜までだった。



半日は飲み続けていそうですね。この人たち、大丈夫なのでしょうか?

でも薄いお酒なのです。

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