後編
§時代・・・もう一つの主役
雅枝はパリに立った。 暑い夏の日、正にこの8月は1944年8月25日の「パリ解放」から10周年だった。
時代。 これは大切な要素だった。 雅枝のリラの季節、日記は70半ばの女性の、20代前半の記録だ。 あの時代、フランスは激動の時を迎えようとしていた。
本格的な戦闘状態僅か1ヶ月にして敗戦、傀儡政権により辛うじて国家の体面を保ったドイツ占領時代。 その後、ドゴールという不屈の愛国者(というより頑固者か)と、その下で血を流した自由フランス軍によって連合国側としても認められ、大戦終了を「戦勝国」として迎え、国連5大国の一国として、世界の大国の地位をギリギリで踏み止まっていた・・・っと、まあ、興味の無い方には全くつまらない話だ。
歴史的事実はネットでいくらでも詳しく調べる事が出来るので、興味のある方はどうぞご自分で調べて頂く方が良い。
ここでは、リラ咲くの背景で、隠然としていた存在、シャルル・ドゴールの話をしたい。
ドゴール・・・下級貴族の父アンリはイエズス会の一学院の校長も務めたという。 曾々祖父辺りはルイ16世の法律顧問を務めたらしい。
第一次大戦から戦間期、常に軍にあり第二次大戦では、40年5月のいわゆるドイツ軍の電撃戦(フランスの戦い)の前に仏英軍が総崩れとなる中、機甲師団を率いて反撃、わずかな時間だったが成功を収めている。 その後敗戦によりイギリスへ亡命、自由フランスの指導者となり・・・と、この辺りもさらっと流すが、大戦終了時には国民の圧倒的支持で臨時政府首相となる。
なのに僅か数ヶ月(46年1月)で首相を辞任、これは首相になると同時に、独裁的な政策を強行した首相ドゴールに対し、議会の社会主義や共産主義勢力が反発、次第に政権運営が困難になって来た事、議会の政争に嫌気が差しての辞任と言われる。 どっかの国でもあったよね、正に政権投げ出し。
この後執筆活動を続けながら半隠居生活を送り、58年、第4共和制の崩壊状態―アルジェリア派遣軍の公然とした反抗・彼らによるコルシカ島の占拠、本土進攻の危機の中、首相に指名(共和制だから首相は大統領が指名する)され、直後、反乱状態の派遣軍から熱狂的支持を得て、大統領の権力強化の憲法改正を国民投票に掛ける。 これも国民から熱狂的支持を受け、大統領に就任、現在のサルコジさんまで続く第5共和制となるのだ。
駆け足で略歴を辿ったが、これでお分りの様に雅枝がパリにいた54年8月から59年5月、この間ドゴールは殆ど隠居状態だった訳だ。 第4共和政は政争と失政、海外領土の騒乱が相次いで国民もドゴールを待ち望んでいたのだろう。
この時代に舞台がなったのは、もう、偶然だった。 最初に70代後半のお祖母ちゃんとして、50年前からパンを焼いていた、と書いたから、自動的に50年前となった。 本当は、ドゴールが大統領だった60年代の方がずっと面白い。 5月革命なんていうのもあるし、世界的な学園紛争の時代、雅枝もおちおち絵を描いてなどいられなかったろう。 クロードも5月革命で活躍したかも知れない。 でも、実際はドゴールの影が強く感じられた50年代になった訳だ。
さて、興が乗ったので、もう少しドゴールと歴史の皮肉を書いて行きたい。
歴史で面白いのは、時折、何かの意志によって動いているのではないだろうか、と見えること。 その際たるものは「英雄」とか「救国の〜」とか、反対に「傾国の〜」と呼ばれる人々だ。
最初からそうなるだろう立場にいる者はまれだ。 大抵が目立たないポジションにいて、何かのきっかけや、運としか呼び様のない出来事や出会いによって歴史の表舞台に登場する。 実はこれを起動点として次の企画、「空想科学祭09」に挑戦する予定だ。
それはさて置き、第二次大戦の指導者の中でも、ドゴールは良い意味(ある方には悪い意味かも)面白い。 チャーチルは彼を嫌うし、ルーズベルトはもっと嫌ったが、その灰汁の強さと頑固さは天下一だ。
しかし、勇気に関しては悪役達(ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンなど)を入れてもトップクラスだろう。 何しろ狙われた数がハンパなく、ヒトラーといい勝負だ。
ヒトラーは、最近映画になった「ワルキューレ」の一件などでガタガタ真っ青になっているし、一見勇気と見えるものはエセ占星術とカミに選ばれたとの思い込みだったと言われる。 彼もごく普通の人間だった。
ところがドゴールは、暗殺未遂にも超然とし、弾が飛び交う中でもつっ立っていた。 危険だという側近を振り切って外出することも多かったと聞く。 ナポレオンも若い頃、突撃の先頭に立ったと言うが、ドゴールはそんなエピソードだらけ、あの背の高さだ、標的としてはナポレオン以上に最高なのに、狙った狙撃手たちは何していたのだろう?
でも私は思う。 あのジャッカルも失敗したのだ、ゴルゴを雇っても(あの長い話にはそんなエピソードありそうだが、ない)どうだったろうか? いずれにしろカミは彼を守り通した。
閑話休題。
ラテン系の民族は、ローマやカルタゴの時代はさて置き、一般に戦下手と言われる。 民族性で一人だと強いのに群れると弱い。 陽気、自由気ままでやりたいことを優先する気質、これが集団行動や自己犠牲を打ち消すからと思われる。
ところが、ここにたった一人、カリスマが現われると、たちまちとんでもないことになる。
意志強固なカリスマ。 ジャンヌダルク、ナポレオン、そしてドゴール。
三人に共通して、歴史は母国の危機を救わせる。 そして役目を終えると、およそ英雄らしからぬ退場をさせられる。 熱し易く醒めやすい(と言うより、他に目が行ってしまうのだが)気質が、彼らを祭り上げ、信じられない位に強力な力となり、突然放り出す。
別にフランスばかりでなく民主主義国家の戦争指導者は、戦い終われば用済みとばかりに、国民から冷たい仕打ちを受けることが多い。 チャーチルもそう、ブッシュのお父さんもそう、ジョージ・ブッシュ自身もある意味そうだろう。 政権最後の頃、新造空母にお父さんの名前を付けたブッシュ息子。 それ位しか報いる手段がなかったのだろう。 ブッシュという名の空母、なんだかなあ、であるが・・・ちなみにドゴールも空母の名前になっている。 有名なのは空港の方だけど。
日本は何故かそう言う事が無いなあ・・・戦艦「東郷」や護衛艦「やまもといそろく」(宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコはあったかw)、通称や別称はあっても正式名で「吉田茂」通り、「佐藤栄作」空港なんてない。 あったら笑ってしまうが。
はあ・・・大脱線したところで、この項終了。
§人物/アンリ
インドシナ(ベトナム)帰りのフランス人アンリ。 雅枝に謎の貸衣装屋を紹介した、彼自身謎の多い人物だ。
まずは、彼は本科生か留学生か。
これはきっちり読まれた方は迷わず本科生とお答え頂けるだろう。 後の経歴も(現絵画学部長が彼ならば)それを示している。 留学の2年ではなく4年在席しているからだ。
ちなみに、雅枝の友人たちの所属を整理すると、アントワーヌとアンリが4年本科生、ジャンとレイモンが2年留学生となる。
アンリと同じ海外領生まれで生粋の本国人なのに、レイモンは留学生扱いを選んだ訳だ。 この辺にレイモンの主張が隠されているのかも知れないし、ひょっとすると、アルジェリア人の仲間が同じ学校で留学生として学んでいたのかも知れない。
アンリに話を戻そう。 ひょっとして彼は日本語を話せたのではないか、という謎もある。 何故か、って? これも学校の経歴を信じるならば彼が1932年ベトナムはハノイの生まれだからだ。
その後大戦中、一旦フランスに帰国していない限り、彼は日本の仏印進駐(40年北部、41年南部)を経験していた訳で、父がハノイで商いをしていたとすると、相手は現地のフランス人ばかりでなく、日本人とも付き合いがあったであろうと想像される。
日本軍の進駐後は、仏領インドシナ植民地政府が引き続き統治したとは言え、日本人に迎合していなければ商売繁盛もままならなかったはず、反日的ならば本国送還になった可能性すらあっただろう。 アンリの要領の良さや達観した人生観を見ると、彼の父はドイツに占領された本国に帰るより、日本人に頭を下げる方を選んだに違いない、と思う。 するとアンリは十代最初の日々を日本の影響下で過ごした事になり、間違いなく多少は日本語を覚えたはずなのだ。
さあ、彼は雅枝と何語で話していたのだろうか? それについては、彼は絵画学部長と同一人物か、との疑問と共に、答えは読者の方の想像にお任せすることとしよう。
§人物/マリアンヌ
マリアンヌは私がもっとも心を痛め、最も心残りとなった登場人物だ。
かわいそうなマリアンヌ・・・サブロウから密かにマサエの代わりとして愛され、彼女を通してマサエを見ていたサブロウ、そして彼女はマサエに敵わないと見るや潔く身を退いた・・・
からではない。 作者の怠惰により、登場回数と時間を削られたからだ。
本当ならもっと活躍し、少なくともジャン並みに活躍したはずなのに。 作者が締め切り(企画終了日)に間に合わせるため、登場シーンを大幅にカットしてしまったのだった。
まずは三郎とマリアンヌの夫婦漫才の様な掛け合い。 これは幕間劇の様に数パターン用意してあった。 結局このアイデアは、酔っぱらうと「ウシ姉さん」と三郎が呼ぶ、その1行だけになってしまった。
彼女の働く市場の光景と、そこを訪れる雅枝とクロードのエピソード。 パリの下町の活気を書こうと思っていた。 ジャンを含めた二組のカップルがエッフェル塔前であの写真に納まるエピソードや、マリアンヌが三郎と並んで自転車に乗り、パリ市街を走るシーン、なんていうのも予定にあった。
とにかく、雅枝とクロード、三郎とマリアンヌ2つのカップルの愛の行方、そしてそれぞれのカップルの別れから、三郎と雅枝が結ばれる、最初はそんなストーリーだったのだ。 このアイデアも少なくないエピソードも幻となった。
本当にざっくりカットしたのは、それが全て後半のエピソードだったからだ。 そんなものを入れていたら間違いなく締め切りに間に合わなかったし、後5万字は軽く行っていたことだろう。 だから三郎は、たった一回のマリアンヌの爆発で雅枝に告白するはめになってしまった。
あそこは本当なら、どろどろの三角関係に陥る危機の中、マリアンヌと雅枝が対決、マリアンヌは雅枝に激しい平手打ちを浴びせ、雅枝は口を切って血を滲ませるものの、平然と見返している。 動じない雅枝を見てマリアンヌは敗北を意識する、そんな流れを予定していた。 雅枝の代わりに三郎がタコ殴りされ、テメエの女をモノにして来い、と叩き出された訳だ。
マリアンヌには大変申し訳ないが、私は今となってはこれで良かった、と思っている。
三郎の下を去った後、マルシェで三郎以上に彼女にふさわしい男が現われ、その後彼女は幸せに暮らした、と信じたい。
§クロードと雅枝の絵
2人は絵を学んで(描いて)いた訳だが、どんな作風だったのかは、作中で何度か言及しているので、ここでは私がイメージした作風を紹介するに留める。
雅枝は、写実的、現実的な絵画を好み、特に人物を得意にするが、卒業制作は風景画だった様子。 私は現実、写実というと17世紀のオランダ風俗絵画を思い出す。
もちろんフェルメールが有名だが、他にもほっとしたり唸ったりする画家が多い時代だ。 ここに貼り付ける訳にはいかないので、具体的には以下のリンクで参照して欲しい。 レンブラントやホイエンのデッサンを見て、雅枝の日記を想像してみるのも面白いかと思う。
⇒17世紀オランダの風景画と生活画(http://www.site-andoh.com/)
さて、クロードの方は、彼の人物像を固める前にフォーヴィスム(野獣派)を思い浮かべていた。 きっと彼の末路が先に浮かんだからかも知れない。 哀しいが、彼の秘めた性格にこの短命に終わった絵画運動が合っている様に思っていた。
特にヴラマンクとドランが頭に在った。 マチスでは有名過ぎたし。 これもそのまま載せられないので、以下のリンクを辿って欲しい。 私は特にヴラマンクをもっとピカソ風に崩したら、などとイメージしていた。
⇒オールポスターズ
(http://www.allposters.co.jp/-st/Maurice-de-Vlaminck-Posters_c29072_.htm)
§最後に、自分のこと
『リラ咲く』は偶然の産物だった。
ブログを付けて2年以上になるのに、日記らしいものは余り書いて来なかった。 これは連休谷間の出勤途上、モバイルツールに書き込んでいるが、小説以外こんな風に書くのも、しばらく振りだ。
最初は企画に参加する意思などなかった。 リアルでも十分余裕のない毎日だ。 何かを書いてブログへ載せる。 日記の様な雑文(正に今書いている)や注目記事や掘り出しニュースを伝播する、そういう目的でなくブログを使っているから注目もされない。 ただ、書いている。 読者を自分として。 正直これはネガな、と自分で思う。
仲間を求めている訳でもない。 誰かに褒めて貰えるのを期待する訳でもない。 本当なら、忍の様に誰知らず『白い本』にでも書いて隠しておく、その方がずっと良いはずなのに、こうして世間に晒している。 自分で言うのもなんだが、ナルシストと言われても否定のしようもない。
ブログは外に向かって発信するものなのに、読んでもらう工夫もしない、宣伝もほとんどしていない。 ただ、好みが非常にタイトな域にある、別世界ものを書いている、それだけだ。
ずっとよく分からない世界の事を書いて来た。 こんなマニアック(自分がFANの)ものを書いているのは、普通のモノを書くのに抵抗があるからだった。 ブログ開設当初は意気揚揚、毎日更新する勢いで書いていたが、やがて、それも止めた。 書く事に疲れた(=飽きた)。 最近はもう、殆ど惰性になっていた。
春・花小説企画は『企画の地引網』で見た。 何か刺激になるものはないか、と思っていた(と思う)。 なかなか人数が揃っている(その当時、15人ほど)。 リアルでも仕事が惰性になりつつある。 人が創作活動(とボカスが)をするサポートを生業にしているが、こんな内向きな事ではいけないな、と常々思っていた。 だから、およそ自分に向かない企画に飛び込んだ。
春・花と言えば、恋愛が出てくるだろう。 ファンタジーを書いている、とか言っているが私は非現実なパラレル世界を書いているからそう呼んでいるだけ。 本来皆さんが期待するファンタジーなど書ける訳がない。 だから、春・花は恋愛テーマで行く、と決めた。 これも無理やり自分に与えたハードルだった。
人は恋愛に何を求めるか。 随分哲学、だ。 このテーマは名立たる文学・哲学・医学・民族学、風俗研究者などの立派な肩書きを持つ諸先生方が格言や研究、考察を述べられているから、平凡な一市民がどうの・こうの語るのはどうだかな、である。 だからその辺をぼんやりと考えていた話は流そう。 とにかく、暖かな春向きの恋愛を・・・と思ったが、苦手なものは苦手だ、やはり私が書くものには何か悲劇的な要素が入っていないと。
物語を淡々と語って行けない=文章力及び文体で人を引き込む力はないから、エピソードと展開、緩急で見せるしかないからだ。 この場合、出来事は悲劇的要素か喜劇的要素を加味することで変化を付けられるが、これまた喜劇的要素に自虐臭が漂うクセがある。 だから悲劇的要素は私の書くものに、BGMとして流れている。
喜劇的、といえば、私は『アイスランドポピーの神』を喜劇(一歩下がってブラックユーモア)として書いたのだ。 ジャンルもコメディにしようか、と思ったほどだ。 文学としては軽い、だから恋愛だったが、やはり読んだ方の反応は、特に若そうな方ほど悲惨な話と映ったらしい。 自虐臭漂う小田中の本領発揮、である。
いくら時間が無いと書き走った作品とは言え、自分の力の無さを確認させられ、嘆息仕切りだった。
だからリラ咲くを悲劇、と呼んでも差し支えはない。 悲劇的だろうと、喜劇的であろうと、どうでもいい、これはサーガだ。 英雄もなく戦争もなく美姫も吟遊詩人もいない、しかも短い年記だが、私にとってはサーガだった。 こういうものを書いて行きたかった。 それがようやく適った感じがする。
企画終了から半月、最初にリラ咲くをUPして一ヶ月、今年もリラの季節がやって来る。 札幌では連休中に桜が見ごろだろう。 その後にリラの季節がやって来る。
最後に・・・
企画を主催された文樹妃さん、企画参加の皆さん、本当にお疲れ様でした。
また、どこかでご一緒出来たら宜しくお願いします。