Icy memory 3
雪に覆われた斜面を、以前より随分背の伸びた子供が下ってきた。すらりと伸びた手足はいかにも健康そうで、雪の積もった斜面を下ってきても、もう以前の様に埋まったりはしなかった。
器用に雪の深い場所を避けながら身軽に扉の前に立った。幾分背が伸びたとはいえ、まだまだ幼い顔立ちではあった。そして、あいも変わらず、勝手に扉を開ける。
「やっほーぅ。」
大きく扉を両側に開け放つ。
「なんじゃ、お前か。久しぶりじゃな。大きくなった…いや、前とは変わらんか。」
老婆は変わらず不機嫌に応じる。
「ひさしぶり?この間寝る前に来たじゃん。ていうかばあさまは老けたね。前より。」
「お前が地下で眠っとる間もわしは起きとるんじゃ。」
老婆の顔はますます不機嫌そうになり、さらに老ける。
「そいで老けるの?」
子供はうれしそうだ。
「相変わらず口の減らん奴じゃの。」
「まあ、それはどうでもいいとして。」
「わしゃ良くないんじゃがの。」
「わたしはいいの。」
老婆に出してもらう前にさっさと敷き布を2枚重ねて取ってくると、老婆の正面に座り込んだ。
「で、さぁ。わたし、この間街行ったじゃん?」
何の前置きもなく話し始めた。
「そうじゃったかいの?」
老婆も腰を据えて話を聞くつもりのようだ。
「行ったよ。起きてから。んでさ、聞きたいんだけど、人間じゃないひとってどんくらいいるの?種類とか。」
「ん?誰ぞ人間じゃないやつにでもあったんか?」
老婆は驚いた顔をするが、以前よりさらに分かりづらくなっていた。もはやそれは表情と呼べるのか微妙なところである。
「今目の前にいるじゃん。」
にこにこ笑って子供は首をかしげた。
「ああもうわかったわい。なんじゃ、種族とか、そういうんでいいんかいの?」
苛立たしいげに老婆は頭を掻いた。
「そうそう。」
「そうじゃの、エルフとか、ドワーフ、ギガンテスそんな感じじゃのぅ、有名どころとしては。」
「いるの?」
「たぶんの。」
明後日の方を向く老婆。
「え?」
身を乗り出しかけて止まる子供。
「わしゃ、会ったことないしのぅ。」
「会ったことあるのは?」
噛みつくように子供は尋ねる。
「氷の一族かのぅ、記録と伝承の。」
「そんなの私の前にも座ってるじゃん!」
「どうかのう、違うかもしれんぞ?」
老婆はにやにやと笑う。
「で?ばあさま、他のにあったことって?ないの?」
頬を限界まで膨らまして子供は老婆に尋ねる。
「いや、ある…。ヴァルキリーの一族の一人にあったことがあるのぉ。わしがもう少し若かった頃じゃが。」
ぷしゅう、と子供の頬から空気が抜ける。
「ヴァルキリー?」
そして、今度こそ身を乗り出す。
「うむ…。伝説とあんまり変わらん一族じゃがの。わしもあって初めて実際におったことを知ったぞ。」
「どんな一族?」
「女ばかり、というか女しかおらん一族じゃの。じゃが、まぁ、わしゃ奴らより強い種族は知らんのお。」
じゃあ、と子供はさらに身を乗り出す。もうほとんど敷き布の意味はない。
「ブリュンヒルデ、っている?」
「なんじゃ、知っとるじゃないか。」
「あのね、こないだ町に下りた時ヴァルキリーって名乗る人に逢ってね…。んで、ばあさまのことを言ってたから、何なの?って思ってさ。」
乗り出し過ぎた体を元に戻しながら首をかしげた。
「ほぉ!そいつぁ、珍しいの。あやつらは元々少ないうえにいつもどこかをふらふらしとるし見た目は人間そっくりじゃからの。見つからん。ほいで、伝説になっとるが。」
今度は老婆が少し身を乗り出した。
「うん。久しぶりに会いに来た、って。ばあさまに。で、白い奴を見つけたから声をかけてみたとか言ってた。」
子供は老婆から身を引く。
「なるほど。それならヴァルキリーとこんなところでお前があったのも納得できる話じゃな。」
老婆は居住まいを正した。
「そうなの?」
「うむ。普通にやっとれば絶対会わんし、分からんからのぅ。なにせ、伝説じゃからな。」
少し老婆の小鼻が膨らんでいた。
「へぇ…。」
「まぁ、氷の一族はヴァルキリーと同じくらい長生きする数少ない種族のうちの一つじゃしの。」
「え?普通に年取るじゃん。」
「お前…寝とったじゃないか。いったいどんくらい寝とったと思っとるんじゃ。」
あきれたように老婆が溜息をついた。
「へ?」
「知らんのか?」
「何のこと?」
「いや、知らんならいいわい。そのうち誰ぞ教えてくれるじゃろ。」
子供が唇を尖らせて身を乗り出す。
「そんなこと言われると気になるじゃん。」
老婆はまた溜息をついた。
「わしらは寝だめできるんじゃよ。」
「知ってるし。」
子供は憮然とした。
「知っとるんかい。」
老婆もそれを聞いて憮然とした。
「長い間寝てるって?一週間くらい?」
「まぁ、そんなところじゃ。」
「適当過ぎでしょ。」
子供の唇がさらに尖る。
「大して変わらん。ほいで、そのブリュンヒルデ、どうしたんじゃ。」
「ああ、それでね、めっちゃ最近どうしてる、とか、好きなやつはいるのか、とか、どんなやつが好きなんだ、とか、いろいろ聞かれて…。」
だんだんと子供の声が重くなっていく。
「ま、まぁ、あやつはいつまでたっても恋愛脳じゃからの…たぶん。」
老婆が困ったように笑った。
「私はいい奴を一人見つけたぞ、お前はどうなんだ頑張れせっかくかわいいのに損してるぞいいとかそんな事言うなもったいないとか…。」
もはや呪詛のようだった。
「うむ…。」
老婆の目は泳いでいる。
「で、これ。ばあさまに渡してくれって。」
2本の棒状のものを取り出した。
「前置きがすさまじく長かったがの。あれいらんじゃろ。」
「わたしだってばあさまに嫌がらせしてすっきりする権利はある!」
子供は顎を突き出した。
「剣、か。あいつらしい。」
受け取った老婆は呟いた。
「無視?」
そして、とても優しい笑みを浮かべた。
「どしたの?」
子供が老婆を覗き込む。
「いや、いい。これはお前にやる。わしゃもうこんなもんは持てんでな。お前は狩の役目をもらったんじゃろ?」
老婆は笑みを浮かべたまま、剣を子供に返した。
「そうだけど。いいの?ばあさまがもらったんでしょ?」
受け取るか受け取らざるか子供が逡巡していると、老婆は益々笑みを深くした。
「わしが貰ったんじゃ。わしの勝手じゃろう。」
「そう…なのかな?」
納得しかけて、子供は首をひねった。
「そうじゃ。ま、奴も怒るまいて。ご丁寧に戦女神の紋章も入れてくれとるが奴も半分はお前にやる気だったんじゃろ。なにせ、わしらは刃物なぞ使う機会にも恵まれん。せいぜい布の切れ端を切るくらいじゃ。それならお前にやった方がよかろ。」
老婆はぐいぐいと剣を子供の手に押し付けた。
「2本ともくれんの?」
「そりゃ、2つで1つじゃし。」
そこで老婆は思い出したように子供の顔を見た。
「おお、そうじゃ、お前に飾り帯を作ってやったんじゃった。」
子供は顔を輝かせる。
「あ、前言ってたやつ?もうできたんだ。」
「あれからどんくらいたったと思っとるんじゃ、全く。」
「そうだっけ?」
えへへ、と全く分かっていない顔で子供は笑った。
「じゃが、そうじゃの、その剣をさせるように直してからお前にやろう。それでいいかいの?」
「いいよ!」
それから、珍しく子供は老婆の家で暫く話し込んだ。月が輝き始める時間になっても。




