調律8
僕は燃えていた。感情が高まるとかではなく、物理的に。
ニ体のドラゴンに挟まれた時、一瞬のうちに、ここ数日の主要なことを思い出した。この状況に関連する可能性があることと言えば、止まった世界での春さんの行動だと思う。ただ、先ほど彼女が横たわっていたのを確認している。そうなった経緯は見ていないが。
結局、現状を打開する策を思いつくには至らず、目の前に現れたドラゴンの攻撃に襲われた。そのドラゴンは口から炎を吐き、僕を燃やし続けている。
そんな僕とドラゴンの間に、壁が出現する。
「観察の指令を一時中断。もう一つの指令、蟲の解決をこれから行う。ただその前に」
春さんのそんな言葉がしたかと思うと、僕の頭上に大量の水が出現する。重力に従って、水が落ちてくる。僕は、地面に立ったまま溺れそうになるという不思議な体験をした。
せき込む僕に、ドラゴンを完全に無視したまま、春さんが近づいてきた。そして、僕と春さんの四方を囲むように、壁を出現させる。
あれ、春さんさっき倒れて横になっていなかったっけ? それとこの壁、結構狭くて身体が密着してるんですが。いくつか疑問に思うことや言いたいことはあるのだが、どれも心の中で思うだけで、実際に言葉として口から出ることはなかった。
春さんは、おもむろに僕の顔をつかむと、自分の額に僕の額を引き寄せた。相変わらず、二匹のドラゴンに囲まれているという非常事態ではあるのだが、突然春さんの可愛い顔が目の前に来たため、顔を赤くしてしまう。
「やっぱり、そう」
春さんは何かを納得したようにつぶやいた。すみません、僕には全く状況がわかりません。とりあえず、この体勢はかなり恥ずかしいので、離してもらえないでしょうか。身長差があって微妙な前屈みでつらいし。
「アキヒコ、あなた、いやあなた達の能力は低すぎる」
僕の顔から手を離した春さんがそう言った。どういうことだろうか。魔術的な意味で、僕一人の能力が低いということなら、まだ理解できるのだけど。あなた達ということは、美夏ねぇや黒河さんも含まれているはずだ。
春さんの発言の意図を汲み取れず、考え込んでいる間も、二匹のドラゴンは壁に向かって攻撃し続けている。春さんが作ったこの壁がいつ破られてしまうのか、僕は少し不安であった。
「この程度のドラゴン、上位種でもないただのドラゴンに手間取られても困る。蟲はこれより遙かに強いことが多々ある」
僕は春さんの発言が理解できなかった。
そんな僕の理解をさらに越えるような現象が起きた。
春さんが使った魔術により、ドラゴン一体の上半身が吹き飛んだ。黒河さんのものと同じく、炎の魔術だと思う。しかし、その威力は黒河さんのものよりも高い。
もしや、春さんが使う魔術の威力について、大きな勘違いをしていたのでは……? そう言えば、魔物に対する春さんの魔術を見たのは、今がはじめてだ。でも、実技試験の判定では、Cだったはず。魔術の威力は調整可能なので、全力を出していなかった可能性は確かにある。ただ、低くても良いことは全く無いので、全力を出さない理由は本来無いはず。僕は今まで、わざと試験の結果を悪くしていた可能性なんて思い付きもしなかったし。
「実技試験の判定や学園の実技訓練、身体検査をした学園長の様子から、もしやとは、思っていた。さっき実際にあなたの能力を見てはっきりとした」
どうやって僕の能力を見たのだろうか。もしかして、さっき額をくっつけた行為が、その方法だったのだろうか。
「現在の私とアキヒコの能力の差は、学園の訓練回数換算で、四億二千万回くらい。ゴブリン撃破換算だと三億体くらい」
途方も無い数字が出てきた。とても一生のうちに埋められる差ではない。そもそも能力を、訓練回数や魔物の撃破数から計算できるということ自体が良くわからない。
僕はなんとか質問しようと機会をうかがっていた。しかし、春さんから与えられる情報が、僕の常識からかけ離れすぎていて、頭が追いつかない。せいぜい心の中で、質問したり、感想を述べたりするのが関の山だ。
春さんから、ドラゴンに向けて魔術がはなたれる。壁を攻撃していたもう一体のドラゴンが跡形もなく燃え尽きる。
「今回、この差をできるだけ埋めることも同時に行う」
そう言って、春さんは何らかの魔術を使った。
僕は、いつも朝四時頃に味わうあの感覚、世界が止まる感覚におそわれた。