調律5
「おはよう」
目を開けた僕に、春さんが声を掛ける。
僕の目の前に春さんがいた。数日前と似た状況だが、既視感は全くなかった。場所が僕の部屋ではなく、洞窟に近い砦の一室であることも理由の一つだ。しかし、最大の理由は、春さんの体勢が数日前とは全く異なっていたからだ。
春さんが僕の下腹部のあたりに乗っかっている。かなりまずい体勢だと思うのですが。明確に言うつもりはないけれども、はたから見たらあの行為の最中にしか見えないと思う。なんでか、春さんは顔を赤くして、少し呼吸を乱しているし。何してるのこの娘?
「何をしてるので?」
状況が全く理解できず、思ったことをほぼそのまま、変な語尾で問いかけてしまう。
「静止世界で、あなたへの攻撃がどの程度可能なのかを試していた」
そういえば、世界が止まっている。あまりの状況により、止まっていることに全く気がつかなかった。そうか、もし今何かが起こってしまっても、誰にも見られないのか。
攻撃という言葉が聞こえましたが、精神的な攻撃でしょうか。見事に効いていると思います。大混乱中なので。
「用事があったので、起こそうとした。でも、しばらく呼びかけても起きなかった。ちょうどいい機会だったから、観察の指令を遂行していた」
昨日は、体力的にも精神的にも疲れていたので、眠りが深かったようだ。無事に洞窟最寄りの砦に着いたのはいいが、結構遅くなってしまった。黒河さんが考えた秘密兵器の内容を聞いて、僕は率先して協力しようと思い、荷物を半分請け負った。その疲れもあっただろう。
「まず、接触ができるか試すため、顔を触ってみた。特に問題なかった」
ほう。
「次に、そのままつねろうとしてみた。でもできなかった」
なるほど。
「その後、思いっきり、はたこうとしてみた。これもできなかった」
それは良かった。
「次に足で踏もうとした。これもだめだった」
春さんが、色々と試した結果を教えたくれたが、全く頭に入らない。心の中での返答も適当になってしまている。
やはり、この体勢はまずすぎる。大きい動きではないが、春さんは身振り手振りを交えて説明してくれた。春さんが動くたびに、いろいろと見えてしまったり、春さんのやわらかい太ももやその少し上のものとかが、僕の身体にこすりつけられることが起こっている。
「でも、なぜかこの体勢はとれた。マウントポジションって、結構攻撃的な体勢だと思うのだけど」
マウントポジションか。確かにこの体勢はそうも呼ばれる。ただ、僕はこの体勢から別の言葉を想像していた。その言葉の場合、傷つけられるのは、春さんの方だと思う。僕の方はきっと気持ちいいだけだ。
「この体勢のまま、少し動いたり、大げさに動いたりしたけど、特に問題無かった」
何その素敵な光景、見たいんだけど。何で僕起きなかったし。
後悔しつつ、今もそのときとあまり変わらない状況であることに気付く。そろそろ、本当に煩悩が理性を圧倒しそうなので、僕から降りて欲しい。本心からそう思っていた訳ではなかったのか、その思いは僕の口から発せられることは無かった。
本心からかどうかすら定かではない思いが通じたのか、はたまた偶然か、春さんは僕からどいた。あまりにもあっさりとどかれたため、それはそれで名残おしかった。
「観察に関連することはここまでにして、訪ねた当初の目的について話す。蟲に関する指令が来たから、準備のため、世界が止まっている今のうちに洞窟へ行く。蟲を倒す仕事に協力して欲しいので、一緒に来て欲しい」
僕を観察する指令以外に、僕に蟲を倒す協力をさせるという指令が来ていたことは覚えている。だが、僕の身体能力や魔術では、洞窟につく前に世界が動き出してしまう。
「どうやって?」
僕は春さんに、答えを半ば予想しつつ、問いかけた。
「私が抱き抱える」
「それは断固拒否する」
予想通りだったため、春さんの発言にかぶせるくらいの勢いで、即座に断った。
身体能力を上げる魔術を春さんが自分自身に掛け、僕を運ぶということだろう。だが、さすがに春さんに抱きかかえられ、運ばれたらへこむ。
「……うん、わかった」
僕の言葉に、春さんは少し考え込んだ。その後、何かを思いついたらしく、了承の言葉を返し部屋から出ていく。
一体何を考えついたのか。この後の依頼に影響が出なければいいのだけど。