綺麗な人は……
「僕のギフトは『勇気』です!」
言った。言ってしまった。
一度口に出した言葉はもう戻らない。
嘘をついたという罪悪感が、じくじくと僕の胸を苛んでゆく。
慣れないことはするものではない。そもそもからして、普通の会話ですら難しいのに、嘘を交えて人間関係の円滑化を図ろうとするなんて、そんな高等テクニックが僕ごときに扱えるはずがなかろうに。
ばれていないだろうか。気づかれないだろうか。
そんなことばかり頭によぎるが、よくよく考えてみると、僕のギフトが『勇気』だなんて、冗談みたいな話で、しかし、もっともらしくもある。
ならば、そのあたりをネタにして誤魔化せば、少なくともこの場は切り抜けられるだろう。
そんな皮算用をしていた僕だったが、結果をみれば、彼女らの反応は非常にあっさりとしたものであった。
「へぇ~」
「はぁ」
「ふーん」
むしろあっさりしすぎだった。
あ、こればれてるわと、僕が悟るのにそう時間はかからなかった。
かからなかったのだが、だからと言って追及されることもないので、弁解や誤魔化しもできず、ただただ生暖かい視線にさらされることになり、ちょっとした生き地獄である。
どうしたものか、と進退窮まっていると、
「おおーーー!!」
と、何やら騒がしい様子。
声のもとは、先刻見ていたスキルギフトのグループから、僕達を挟んで反対側、センスギフトのグループ。
居心地の悪さに耐えかねた僕は、これ幸いにと、顔ごと動かしてそちらの方へ目をそらす。
人は他の人の視線を追ってしまうもので、加えて、その視線の先というのは、今注目を集めている場所であるために、自然とメイドちゃんたちの視線もそこへ誘導される。
ふっ、作戦通り。
「ふふふ……、この程度……私には造作もないことです……」
そこには、称賛の声をあびて不敵な笑みをうかべる男がいた。
男の笑みはその青白い顔色と相まって、どことなく不気味に感じる。
「……あんな人居たっけ?」
目を細めて訝しげな様子のメイドちゃん。
「集められたギフト所持者の方じゃないですか?少なくとも城に勤める人ではありませんよ」
集められた?
「あれ?ケートス神父から聞いていませんでしたか?」
僕の呟きに首を傾げるドレス少女。
そんな不思議そうな顔をされても、この世界に来てから神父に教えられたことは本当に僅かなことだけで、むしろ、今回参加する戦争については知らないことばかりだろう。
その旨を告げると、彼女は「これは予定を変更しなければいけませんね……」と、一寸考え込んだ。
「それに関しては、明日皆さん全員を集めて説明することにします。それより今は……」
そう言って、僕と困ったちゃんへ目線を送るドレス少女。
「お二人がギフトに慣れることが先決ですね」
あかん、全く誤魔化せてへん。
「まぁ、ギフトが何なのかについては聞きません。キャラクターギフトが、明かしづらいものであることは理解していますから」
その言葉にほっと安堵の息をもらす。
どうしてもと言われれば、素直に申告するほかないと思っていたけれど、答えなくてすむのなら、それに越したことはない。
誰だって初対面の、それもこれから友好的に接していこうと思っている相手に、自分が『潔癖』な人間だなんて言いたくない。
「だから、すべてのキャラクターギフトに共通することだけを教えます」
まず、とドレス少女が話し始める。
「キャラクターギフトはその人の性格、個性、適正をあらわしたものである、ということはすでに知っているとおりです」
ここに来た直後の神父の説明で言っていたことだろう。
意識は常にメイドちゃんの方へ向けていたために、ほとんど聞き流していたけれど、その辺はなんとなく覚えている。
「ですから、本来なら生まれ持った自らの性質に、慣れるも何もないのですが、お二人は違います」
『ギフトとはその人の才能を過剰なまでに誇張したものである』
「そのため、この世界に来て初めてギフトを手に入れたがために、お二人の中では何かしらの齟齬が生じているはずです。それが実感として現れるのが、今すぐなのか、はたまたしばらくしてから突然なのかは分かりませんが、近いうちに体感することになるのは間違いありません」
彼女はそう断言した。
けれど、齟齬以前にそもそも僕は、自分が『潔癖』というギフトを与えられたことに納得がいっていない。
特別キレイ好きなわけではないし、何かに対してこれといった拘りがあるわけでもないのだから、『潔癖』なんてギフトを持っているということ自体に違和感を禁じ得ないのだ。
しかし、そんな僕の内心には関係なく彼女の説明は続く。
「こんなこと言うと、良いことなんて全くないようですけど、そう悪いことばかりではありません。いくら誇張されようとも、その性質はもともとあなたのものですから。ギフトに慣れない内はそれまでとの差異に戸惑うこともあるでしょうが、うまく使いこなせさえすれば、プリムが『アイドル』として歌と踊りで観客を魅了したように、絶大な効果が期待できるでしょう」
ドレス少女の言う通り、メイドちゃんのライブは凄かった。
観客の熱狂具合は、文字通り熱で狂ったのかのようであったし、辺りに響く歓声は、普通のアイドル一人に対するものとしては、明らかに過分なぐらいであった。
僕はてっきり、あれはメイドちゃんの超絶的な可愛さゆえの盛り上がりだと思っていたけれど、そうか、あれはギフトの効果だったのか。
なるほど、それなら僕のギフトにも希望がもてる……んなわけない。
メイドちゃんと僕たち―――僕と困ったちゃんとでは話が違う。前提が違う。
僕のギフトは『潔癖』で、困ったちゃんのギフトは『陽気』。そして、メイドちゃんのギフトは『アイドル』である。
そこには、はっきり色合いの違いが見て取れる。
性格と職業適性では、まるっきり別物なのだ。
職業適性が高いメリットは分かるけれど、性格が尖っていたところで、ちょっとキャラが立ちやすくなる位しか恩恵はないんじゃないか?
そんな考えを伝えようとしたが、僕よりも早く困ったちゃんが口を開いた。
「うーん……でも、アイリスが言ってるようなことができるとは思えないよ……。だって、わたしのギフト、『陽気』だよ? どんなに明るく振る舞っても、ただ一人で空回ってるだけ……。そんなんじゃ、みんなの役になんて立てないよ……」
驚いた。
困ったちゃんが僕と同じことを考えていたことに、ではない。
彼女が「空回ってる」だなんて、そんな、まるで今までの自分のことを否定するようなことを口にするとは、夢にも思わなかったのだ。
いや、彼女からしてみれば、今だからこそ出た言葉なのかもしれない。
この世界に来て、受験を目前としてバラバラになっていたクラスは、新学期当初のように、再び一つにまとまることができた。
異常な状況が後押ししていた部分がなかったとは言えないが、あれはやはり、クラスのことを人知れず憂えていた霧ヶ峰くんの、心の底からの叫びがあったからだろう。
あの叫びは、霧ヶ峰くんがどれほどクラスのことを想っているのかを全員に知らしめるには十分だった。
しかし、だからといって、クラスのことを想っていたのが彼だけだというわけではない。
学校生活を振り返ってみれば、そこには、いつでも元気な様子を見せる困ったちゃんがいた。
それは、新学期が始まってから現在に至るまで変わらない、ある意味、当たり前と思っていたことだったけれど、今考えてみれば、どれほど困難なことだっただろうか。
受験を控え、テストや模擬試験の結果にばかり目がいき、周りを敵であるかのように意識していたクラスメイト達の彼女に対する態度は、明らかに邪魔者へのそれと同じであった。
にも関わらず、どれほど疎まれようと、どれほど避けられようと、彼、彼女らの視線にも動じず、教師からの叱責にも耳を貸さず、彼女は決して態度を変えなかった。
僕はそんな彼女のことを空気の読めない奴だと、半ばバカにしていたのだけれど、実際バカだったのは僕のほうで、もっと言えば、困ったちゃんを除くクラスメイト全員がバカだった。
彼女は空気を読めないのではない。
読んだ上で、そのどうしようもないほどにまで広がった空気を書き換えようと、賑やかで和やかなあの教室を取り戻そうと、一人戦っていたのだ。
だから、変わらなかった。
頑なに変化を拒んだ。
そして現在、クラスは団結し、あの頃の姿を取り戻した。
霧ヶ峰くんの行動によって。
ああ、なんて無情。
彼女は見せつけられたのだ。自分の成し得なかったものを、たった一つの叫びが成す様を。
彼女の無念は如何ほどのものだっただろうか。
霧ヶ峰くんと彼女の想いに優劣があった、とは思わない。
成し遂げた者と、成し得なかった者。あるのはその差のみ。
目的は同じだった。なら、どちらが達成しようと同じこと。
そんなはずがない。
彼女からしてみれば、数か月間にわたる自らの行動が無意味であったと言われたに等しい。
いくら割り切ろうとしても、割り切れるものではない。
心に残ったわだかまりは澱となり、やがて―—―
と、ここまでが僕の想像である。
自分勝手で無遠慮な、知ったかぶりの妄想だ。
実際のことなんて、そんなのは彼女にしか分からない。
とは言っても、僕が彼女の言葉に並々ならぬ感情を感じたのは事実である。
それは、おそらくドレス少女も同様のはずで、だから、続く彼女の声はとても柔らかだった。
「役に立たないなんて、そんな悲しいこと、言わないでください」
ドレス少女が困ったちゃんの手を包む。
「私はマツリに助けられましたよ」
「えっ……?」
「私は今回、王である父からみなさんの対応を任されました。父にそんな大役を任されたのは、とても嬉しいことでしたが、それ以上に不安がありました。予め、いらっしゃるのは同年代の方と知ってはいたものの、それでも、異世界から来た人たちです。文化が違い、常識が違う。仲良くしていけるのか、心配はみなさんが来る当日まで続いました」
そんな時のことです、とドレス少女が微笑みかける。
「会食のときのマツリの天真爛漫な姿は、私の不安を吹き飛ばすには十分なものでした。みなさんだって私達と一緒で、美味しそうな料理があれば喜ぶし、笑ったりするんだ、って。そんな当たり前のことに気づけたんです」
だから
「マツリは絶対に必要です。今回の戦い、きっと数多の困難が待ち構えていることでしょう。ときには、不測の事態や圧倒的不利な状況に陥って、勝負を諦めかけてしまうかもしれません。そんな時、みなさんの諦観をなくせるのは、あの時私を不安から救ってくれたマツリしかいません」
「でも、わたし……」
「でももだってもありません。それとも、私のこと、信じられませんか?」
「い、いや……」
「まあ、出会ったばかりの私のことを、無理に信じてとは言いません。でも、知っていてください」
誰がなんと言おうと、
あなたがどう思おうと、
「私はマツリを信じています」
その言葉は、静かなものだったけれど、なぜだか、とても胸に響いた。
「ううっ、うっ……うわ―――ん!!!」
ドレス少女の胸に顔を押し付ける困ったちゃん。
美しい光景だが、男が見ていて良いものではないだろう。
そっと、視線を外す。
「マツリはさ……」
いつの間にか隣に来ていたメイドちゃんが、こちらを見ないまま、言った。
「マツリは、純粋だよね。それも、とびっきり」
「え、えぇ、そう思いますけど」
脈絡のないメイドちゃんの問いかけに、少し戸惑う。
「それにさ、アイリスだって、綺麗なんだよ。見た目もそうだけどさ、なにより心が」
まったく、意図が読めない。
いったいメイドちゃんは何が言いたいのだろうか。
「そんな彼女を見てるとさ、ちょっと嫌になるよね、自分のことが。あんなに綺麗なものを見せられたら、自分はひどく汚れてるんだって、そう思っちゃうよ」
そんなことはない、と思わず口を開きかけたが、彼女を見て、言うのをやめた。
ついさっき知りあったばかりの僕の言葉なんて、何の慰めにもならないし、そもそも彼女は慰めなんて求めていないのだと、そう感じたからだ。
「綺麗なままでいるのはさ、それだけで大変なことなんだよ。なかにはさ、何の不自由もなく生きてきたからだろって、言う奴もいるけど、そういう奴ほど現実に我慢できず、安易に汚れてくことを選んできたんだよ。本当に心の綺麗な人はね、それ相応の苦難を乗り越えてきてるんだ」
そこで、はじめてメイドちゃんは僕の方を見た。
彼女はどこか困ったような表情をしていたが、その瞳には、はっきりと決意の色が見て取れた。
「ユウキのギフトは『勇気』なんだよね。だったらさ、誰よりも勇敢じゃなきゃダメだよ。どんな理不尽があっても、どんな不条理があっても、ユウキだけは止まっちゃダメ。ユウキが道標になるんだ。そうやって、マツリやアイリス、それにみんなを引っ張っていってね」
その言葉を最後に、メイドちゃんがそれ以上口を開くことはなかった。