ツィガーヌの兎は赤い帽子をかぶる
なにゆえの生の点描かとアルタ・コジンスキーは自らに問う。金曜日のウキウキとした花の絵は彼女の弱弱しい視線に散らばり、ツィガーヌ‥。1つの呟きに落ちてゆく。
『ツィガーヌ』。以前は然程感情に食い込まなかったラヴェルの放浪民族音楽のヴァイオリン曲だが、近頃は心に潜む感情の蓋が次々開け放たれてゆくのを感じ、彼女は密かに旅行鞄を抱え込んでいる。彼女はロム(放浪者)ではない。否、むしろ部屋の囚われ人である。大学の授業にも真面目に出席し、金曜日の夜には友人たちと行きつけのパブで陽気なアヒルのように騒いでは、靴は失くさずシンデレラの帰宅。そんなことの繰り返しで2年目の春学期が夏の匂いを漂わせ始めても、まだ何も人生の遷移を見せてはいなかった。この土曜日はいつものように掃除と洗濯を済ませた後、手作りのフルーツケーキを隣国に赴任中の両親に送り、姉たちに頼まれた買い物。盛り上がりは、血の繋がらない従兄アレックスの油彩画の個展。
「アレックス、個展成功おめでとう!」
「ありがとう、僕のかわいいおチビちゃん。」
栗色の髪の長身の青年は木管楽器のような少しくぐもった声でソフトに話す。アルタの心に忘れていた淡雪が降る…。初恋の相手とはいつまで経ってもそうしたものなのだからとアルタは自分に言い聞かせる。
展示されている20点の作品の中でひときわ目を惹くのは、ギャラリーの壁中央に掛けられた『ツィガーヌの少女』だ。幾層にも塗り重ねられた抽象画の物悲しい色彩。絵の少女は泣いているのだろう、恋心に…。
うっとりとその絵に見惚れたまま時を忘れて佇む、少女アルタ。
赤葡萄酒色のスカーフを黒髪に編みこんで。
ためいきを1つ。
それは、ツィガーヌの少女‥。
ゆっくりと画家は美女の砦の中から辺りの景色を消し、抱きしめたい衝動を抑えながら鳶色の瞳に少女の横顔だけを浮かび上がらせる。
(僕の愛しいアルタ‥。)
アルタは帰宅後、2つのレポートをきっちりまとめ、読書と趣味の点描画。だがこの規則正しい囚われ人の時間がふと秒針を止める、前触れもなく。そして戸惑いもなく、この日曜日の朝早く彼女は部屋から脱出しようと突然決心する。
ツィガーヌの赤と黒。
その旋律だけで…。
アルタの部屋は定まった大きさというものを持たない不可解な器だ。兎の巣穴であり、土竜の地下王国であり、コンドルの岩山であり。彼女自身それを不思議とも思わず、ずっと揺り篭のように感じていた。体の芯をドリルで刳り貫かれるような幾多の悲しみに遭遇したときにも精神が壊れずに済んだのは、全くこの部屋のおかげだった。だが彼女は今その部屋を後にしようとしている。
驚きは、時として事象の指向ではなくそれを引き起こす人の志向にある。
彼女は妹の形見の赤い帽子をひょいとかぶると、やおら旅行鞄を窓から放り投げ、自らも窓を跨ぎ飛び降りてしまった。そんな風に呆気なく見捨てられた扉は所在投げに部屋の壁に立ち尽くしていた。机の上には1枚の点描画。赤い帽子をかぶるロム兎の横顔は、踊るヴァイオリン弾き。その絵からは、ああ、哀愁のツィガーヌ‥。
月曜の午後3時、フレベンス教授はオークの梢から漏れ踊る光と影の中、ヘイゼルナッツ風味のフレンチロースト珈琲を啜る。甘やかな苦味がまどろみの風船を軽く弾けさすのに程よい。彼は人間行動における‘バタフライ効果’をテーマにした研究で知られていたが、有名な短編小説家ラリー・Fと同一人物と知るものはない、唯1人を除いて。私的に多忙を極めてはいても学生にとっては1教師に過ぎないという自覚はある。
午後の珈琲タイム。
カフェテラスの椅子で10分ばかりリラックスするには、学生からのメールはちょうどよい。発想の奇抜さに学ぶところが多々あり、シルク・ド・ソレイユの観客席といった趣き。この日は差出し人の中にアルタ・コジンスキーの名を見つけ、鼻歌交じりにめずらしく珈琲をおかわりしアップル・タルトまで注文する。辛党の彼にも、この店のあっさりとした味わいは口にあう。
「サワークリームではなくてヨーグルトなのよ。」
その秘密を教えてくれたのはアルタだ。貴公子Fと異名を取る売れっ子青年作家は芳しい花々に囲まれて蜜に困ることはなく、アルタは噂にのぼるほどの綺麗な女子大生であったが、教師としての彼がプライベートで触覚を伸ばすことはなかった。
あの日、あのメールが届くまでは…。
「ラリー・Fことフレベンス教授の名著『タイム・バタフライ』について。」
彼の度肝を抜いたメールはこう始まっていた。アルタは彼の講義ノートの特徴からラリー・Fだと看破した上で、課題『小説に見るバタフライ効果』の題材として、ラリー・Fの代表作を取り上げたのだった。『タイム・バタフライ』は12篇からなるオムニバス形式の短篇集で、最初のシーンに登場する1羽の蝶の設定を微妙に変えることで、その後のストーリー展開にどんな変化がもたらされたかを見事に描き出している。映画化されなおさら有名になった。
アルタは理学部の2回生で生物物理学を専攻する奨学生だ。理学部の学生がこの科目を受講することは非常に珍しく、彼はこのキャンパスの花を風変わりな学生として意識にとどめてはいたのだが。彼女の無駄のない明解なレポートは美しくすらあり、正体を暴かれ、彼はもう舌を巻くほかなかった。
切れ者の編集長エレノア・シュゼッガーなどは…。
「このフレベンス教授の研究論文なんて、単に文学作品の追っかけでくだらないわ。
そうでしょ、ラリー・F。」
こう本人の耳元で囁いたというのに。いつもの彼なら、ご高説を拝聴した後、彼女のセクシー・ボディーに拝謁をと決め込むところだが。
「エリー、ある読者からの指摘で気づいたんだが、『タイム・バタフライ』はこの論文にある‘決定論的なのに’というところが抜け落ちているんだ。そこを次作では挑戦しようと考えている。」
ゆうべの彼は取っ掛かりのない金属板といったふうで素っ気なく、美人編集長のあからさまなベッドへの誘いも耳に入らないようだった。
事実は小説より奇なり。
木漏れ日のなか、おかわりした珈琲をジノリの白いカップから啜りながら、アルタからのメールをクリックする。音楽が流れ、ロム兎が跳ね踊り、ヴァイオリンを弾く。哀愁のツィガーヌだ。彼はしばらく頬杖をつきスクリーンを眺めていたが、いきなり笑いを吹きこぼす。そうして、やおら立ち上がると鞄を抱え、店の前に止めていた彼の愛車までピューマの俊足でダッシュする。
助手席でほほえむティガーヌの少女は、赤い帽子で‥。
ラヴェルの放浪民族音楽のヴァイオリン曲『ツィガーヌ』、石上真由子さんの演奏を聴いて着想を得た作品です。人間の自制心(定住性)の奥に潜むロム(放浪者)性がもたらすロマンスについて描きたいと思い書きました。ロココ調といわれている作品ですが、意図したというよりは石上さんの演奏のアロマが反映されているのだと思います。
読んでいただけたら嬉しいです。感想などいただけるとありがたいです。尚、「ロム」「バタフライ効果」の語彙説明は下記のとおりです。
◆ロムとはジプシーを指しますが、ジプシーには差別的意味合いが含まれるために現在はロム(複数形ロマ)が用いられています。
◆バタフライ効果は普通「風が吹けば桶屋が儲かる」と理解されていますが、元々は気象学における「ブラジルでの蝶の羽ばたきがテキサスでトルネードを引き起こすか」という予測可能性の話に由来していて、科学的には「カオス力学系においては決定論的で有限なのにアトラクタが複雑で通常なら無視してしまうような初期値における僅差が結果に大きな違いを生じさせる」というものです。作中、理学部の学生であるアルタは科学的な意味のバタフライ効果という観点から小説『タイム・バタフライ』の解読を行なったという設定です。