発芽
夢みたいだと笑った君はどこへ行ったんだろう。
僕はただ追いかけることしかできなくて、影は離れていくばかりだ。
ねぇ、僕オカシイのかな?
なんてグロテスクなんだろう。
ざわざわと蠢く教室には独特の匂いがこもっていて、それが不快で仕方なかった。
汚い、汚い。
下品な笑い声、媚びた目つき、女って気持ち悪い。
それに群がる男達も同じだ。
この世界は腐りかけの生ゴミで溢れかえっている。
そんな害虫だらけの空間の片隅に、今日もあの人がいる。
窓際の席に座る彼は、ただ静かに空を眺めていた。
とても雨が似合う人。雨のような人。
彼の周りだけ空気が澄んでいるみたい。
あぁ、綺麗だ。
もっと近づきたい。触れたい。
その瞳に私を映してほしい。もっと、もっと。
「し、椎名くん!」
気付いた時には彼の名前を呼んでいた。
声は自分でも驚くほど震えていて、裏返ってしまう勢いだった。
「……なぁに?」
椎名君は窓の方を向いたまま、ゆっくり返事をしてくれた。
わたし、いま、椎名くんと、話をしている!
心臓の音が、かつてない速さで体中に響いていた。
「………。」
どうしよう。声が、言葉が出てこない。
私は黙ったままで、ぼんやり彼の横顔を眺めていた。
整った顔立ち。色が白くて、睫毛が長い。
風に軽く揺れている黒髪は、とても柔らかそうだ。
お互いに黙り込んだまま、どれくらい経ったのだろう。
予鈴の鐘が鳴っても突っ立っていた私は、周囲の視線でようやく我に返り、自席へ戻った。
椎名君は一度もこっちを見なかった。
それから毎日、私は彼を目で追っていた。
帰りに後をつけて、家の場所も知った。
登校時間、帰宅時間、就寝時間も全て把握した。
ねぇ、私こんなに貴方のこと知ってるんだよ。
その日もいつものように、帰宅する彼の数メートル後ろを歩いていた。
彼が家に帰り、部屋の電気がつくまでを見届けるつもりだった。
ところが椎名君は、いつもとは違う路地に入り、家とは反対方向に歩いて行ったのだ。
何処へ行くんだろう…?
そのままついて行き、30分程でたどり着いたのは薄汚れた廃墟だった。
錆びついた扉を慣れた様子で開き、彼はどんどん奥へ進んでいく。
こんな所に何の用なのかな。
かつん、かつん。
所々ヒビ割れたコンクリートの床は、二人分の足音を鮮明に響かせていた。