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春が来たら消える氷の乙女は、愛する人に別れを告げたい

作者: 日御碕 出雲
掲載日:2026/10/06

【第22作目】今回は、悲劇風なものを書いてみました。

秋なのに冬物を書いてるこの感覚、自分でも変だと思います

-------------------------

迷宮第五階層。

崩落の轟音が響いた瞬間、リシェの世界は終わりを迎えようとしていた。

落下した巨大な岩の下敷きとなり、腰から下の感覚が消えている。

呼吸をするたび胸が軋み、口から血が溢れた。


助からない。


冒険者として幾度も死線を越えてきた彼女には、それが分かった。

死ぬことは怖くなかった。


怖かったのは、たった一つ。


「……アルト……」

愛する人に、もう会えないことだった。


三か月後には結婚するはずだった。

小さな家を借りて、庭に花を植えて。

冒険者を引退したら、穏やかな人生を歩むはずだった。

これからだったのだ。



「会いたい……」

涙が零れた。


「一度だけでいい……」

「さよならを言いたかった……」


意識が闇へ沈みかけた、その時だった。


『会いたいか?』

誰かが囁いた。


低く甘い声。

恋人へ愛を語るような優しい声音なのに、不思議なほど寒気が走る。

視界の先には黒い外套を纏った男が立っていた。


異様な顔立ちだった。

人間のようで人間ではない。

赤い瞳。

裂けるように吊り上がった口元。

その笑みには、人の不幸を肴に酒を飲むような醜悪な愉悦が滲んでいる。


『ああ、実に美しい』

男はうっとりと呟いた。


『人間は死ぬ間際が一番美しい』

『後悔と未練に満ちているからな』

まるで宝石でも眺めるような目だった。


リシェは震える声で尋ねた。


「……誰?」

『誰でもいい』

男は肩を竦めた。


『重要なのは、お前が愛する男に会いたがっていることだ』

リシェの目が見開かれる。


『アルト』

『婚約者』

『結婚式は三か月後』

心の奥底まで覗き見られている。


『会いたいのだろう?』

「……会いたい」


『ならば願いを叶えてやろう』


絶望の底で差し出された希望だった。

「本当に……?」


男はニヤリと笑う。

『もちろんだ、悪魔を甘くみるなよ』


その笑顔にリシェの背筋が凍る。

しかし悪魔は楽しそうに続けた。


『お前を彼の元へ帰してやる』

『ただし人間のままではない』


『お前に氷の体を与えよう』

『冬そのものを宿す存在』


『氷の乙女(アイス・メイデン)としてな』

リシェは息を呑んだ。


『彼に会える』

『言葉も交わせる』

『姿も見せられる』


悪魔はそこで意地悪く笑う。


『だが触れることはできない』

『抱きしめれば凍る』

『口づければ死ぬ』

『手を繋ぐだけでも命を奪う』

残酷すぎる言葉だった。


それでも。

会いたかった。


『さらに代償がある』


悪魔が耳元へ顔を寄せる。


『お前の魂を冬に縛る』

『春が来た時』

『お前は消滅する』

『魂も』

『記憶も』

『未来も』

『来世すら残らない』

永遠の死。


それでもリシェは迷わなかった。


「それでも……会いたい」

涙が流れる。

「もう一度だけでいいから」


悪魔は愉快そうに笑った。

『素晴らしい』

『やはり人間は愚かで美しい』

『契約成立だ』


吹雪が生まれた。

世界が白に染まる。

そしてリシェは冬に縛られた存在となった。

ただ一人の男に会うために。


◇ ◇ ◇


その冬は異常だった。

雪は降り続いた。

畑は凍りつき、作物は枯れた。


川は早々に凍結し、漁師は網を出せない。

猟師たちは凍傷を負いながら帰還する。


井戸さえ凍り始めていた。

村人たちは怯えていた。


原因は一つ。


夜になると現れる白い女。

銀色の髪。

蒼い瞳。

その女が通った場所は翌朝になると氷に覆われているのだ。


「また出たらしいぞ」

「東の畑が全滅だ」

「牛も二頭死んだ」


酒場には不安が満ちていた。


老人が青ざめた顔で呟く。


「氷の化け物だ……」


誰も否定しない。

母親たちは子供を外へ出さなくなった。

村人にとって彼女は災厄だった。


一方その頃。

アルトはひたすら依頼を受けていた。


迷宮探索。

護衛任務。

盗賊討伐。

魔物退治。

危険な仕事ばかりだった。

休みもしない。


仲間たちは理由を知っていた。


ある日。

ギルドで依頼書を剥がそうとした時、親友ガルドが声を掛ける。


「また行くのか」

「ああ」


「昨日帰ったばかりだぞ」

「問題ない」


ガルドはため息を吐いた。

「問題あるだろ」


アルトは視線を逸らした。


「家に帰れば思い出すんだろ?」

言葉が刺さる。


リシェが選んだ食器。

結婚資金を貯めていた箱。

市場で交わした約束。

教会。

全部が彼女に繋がっていた。


だから働く。

限界まで。

疲れ果てて眠るまで。


「放っておいてくれ」

アルトは小さく言った。


「忘れたいんだ」

その一言に誰も返せなかった。



数日後。

ギルドに新たな依頼が貼り出された。


氷の化け物討伐。

アルトは依頼書を見つめた。


胸が妙にざわつく。

理由は分からない。

だが放っておけなかった。


満月の夜。


雪原でアルトは白い影を見つけた。

銀色の髪。

蒼い瞳。

忘れられるはずのない面影。

手から剣が落ちた。


「……リシェ?」

白い影が震える。

そしてゆっくり微笑んだ。


「久しぶり」

その声を聞いた瞬間。

アルトの世界は止まった。


それから二人は何度も夜の雪原で会った。


近づけないまま。

触れられないまま。

それでも話をした。


結婚した後の暮らし。

欲しかった家。

庭に植える花。

生まれてくるはずだった子供の名前。

叶わなかった未来を。

離れて座りながら語り合った。

その時間だけは幸せだった。


だがリシェの心には罪悪感が積もっていく。

村の被害は日に日に大きくなっていた。

彼女が存在するだけで冬が強まるからだ。


ある夜。

リシェは遠くの村を見つめていた。


「また畑が駄目になったんだって」

アルトは黙る。


「北の牧場も」


風が吹いた。

足元の草が白く凍りつく。


リシェは目を伏せた。

「全部、私のせい」


「違う」

アルトは即座に否定した。


「違わないよ」

リシェは首を振る。


「私が来なければ誰も苦しまなかった」

沈黙。


そして彼女は寂しそうに笑った。

「最初はね」


蒼い瞳に涙が浮かぶ。

「少し会えればそれでいいと思ってた」


涙が頬を伝う。

だが地面へ落ちる前に凍りつき、白い粉雪となって夜空へ舞い上がった。


「でも会ったら欲張りになっちゃった」


また一粒。

また一粒。

涙は粉雪になって消えていく。


「もっと話したくなった」

「もっと会いたくなった」

「本当は抱きしめてほしかった」


白い雪となった涙が二人の間を漂う。


アルトは唇を噛んだ。

彼も同じだった。

もっと近くにいたい。


もっと触れたい。

失いたくない。


「でもこれは私の我儘」

リシェは空を見上げる。


「死ぬはずだった私が」

「あなたに会いたいって願っただけ」


「そのせいで村のみんなが苦しんでる」


リシェは覚悟を決めたように言う。


「だから終わりにしないと」

「リシェ……」


嫌な予感がした。

彼女は真っ直ぐアルトを見る。

涙を浮かべながら。


「お願い」

「私を殺して」


アルトの呼吸が止まった。


「嫌だ」

「お願い」


「できるわけない!」

初めて声を荒げた。


リシェは泣きながら微笑んだ。

「あなたしか頼めないの」


「どうせ私は春には消える」

「でもその前に誰かを傷つけたくない」


そして小さく呟く。


「最後くらい」

「大好きな人に見送ってほしい」


アルトは泣いた。

どうして最後まで優しいのだろう。

どうして最後まで自分より他人を選ぶのだろう。


春を告げる風が吹いた夜。

二人は最後の時間を迎えた。


「後悔してないよ」

リシェは微笑んだ。


「あなたに会えたから」

アルトは何も言えない。


声が出ない。

涙だけが頬を流れる。


「幸せだった」

リシェの瞳から最後の涙が零れた。

その涙も粉雪となり、月明かりの中で静かに舞った。


アルトは剣を抜いた。

討伐するためではない。

彼女の願いを叶えるために。


「来世があるなら」

震える声で言う。


「今度はもっと早く結婚しよう」

リシェは泣きながら笑った。

「うん」


「絶対だ」

「うん」


その返事を聞いて。

アルトはゆっくり歩き出した。


危険だと分かっている。

それでも止まれない。


あと一歩。

あと半歩。


そして。


リシェはそっと手を伸ばした。

「最後に……」


アルトは顔を上げる。


「ごめんね」

白く透き通った指先が。


そっとアルトの頬に触れた。

じゅっ、と肉の焼けるような音が響く。


あまりの冷たさに皮膚が焼ける。

霜が広がる。


頬の感覚が消えていく。

それでもアルトは動かなかった。

逃げなかった。


ただ彼女を見つめ続けた。

リシェの瞳から粉雪が零れる。


「ありがとう」


その瞬間だけ。

二人は確かに触れ合えた。

最初で最後の触れ合いだった。

アルトは静かに頷く。


そして。


剣を突き立てた。

氷の身体に亀裂が走る。


ぱきり。

小さな音。

続いて無数の亀裂が全身へ広がった。

ぱきぱきぱきぱきっ。


リシェは穏やかに微笑んでいる。

まるで花嫁のように。


「愛してる」

最後の言葉だった。


次の瞬間。


氷の身体は無数の結晶となって砕け散った。

結晶は月光を受けて輝きながら空へ昇る。


雪のように。

星のように。

光となって。

春の夜空へ消えていった。



翌朝。


雪は止んでいた。

長く村を覆っていた冬は終わった。

暖かな陽射しが大地を照らす。


川は静かに流れ始め。

凍りついていた畑にも春の香りが戻っていた。


氷の化け物は二度と現れなかった。



数年後。


村外れの丘には白い花が咲くようになった。

アルトは毎年そこを訪れる。

花に触れ。

静かに語りかける。


「ただいま」

春風が吹いた。


その頬には今も白い傷痕が残っている。


あの夜。

リシェが最後に触れた場所。


火傷のようでいて。

氷に焼かれたような不思議な痕。


決して消えることのない冬の印だった。

アルトはそっとそこへ触れる。


彼女の指先を思い出すように。

痛みはもうない。


それでも忘れられない。

忘れたくもない。


「ずっと一緒にいるよ」

風が花を揺らした。


すると花びらに混じって、ひとひらの白い雪が舞い降りる。

春なのに。

雪など降るはずもないのに。


その雪はアルトの肩へ落ちると、静かに溶けて消えた。


まるで。

どこかで彼女が微笑んでいるように。

アルトも微かに笑う。


「またな、リシェ」


青く澄み渡る春空の向こうで。

いつか叶わなかった約束が、静かに待っている気がした。



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ハッピーエンドを目指して書いていましたが、何度も書き直しているうちにバッドエンド側にふれてしまいました。 


え~っ、5分程度で読める話を他にも書いています。もしよろしければ過去作も読んでみてください。

(ギャグ系が多いですが)

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