17 単純で草
晶峰竜は何度も絶叫し、狂ったニワトリのように山頂を駆け回った。
水晶柱に頭をこすりつけ、右目の痛みにうめいている。
なんとなく、頬を切ったときのオーブリに似ていた。
最強と言われる生物だ。
痛みを味わうのは何十年ぶりの経験なのかもしれない。
俺はちらと後ろを振り返った。
血まみれのペルセーニャが倒れたまま頭だけ持ち上げて俺を見ている。
『逃走術』があっても俺のしょぼい身体能力じゃ、あいつを担いで逃げるのは不可能だな。
逃げると命令違反になる。
抵抗されるだろうし。
「戦うしかないか」
俺の勝利条件は、残った左目を潰すこと。
盲目となればさしものドラゴンも継戦能力を失う。
あっさり技ありを取ってしまったが、問題はここから。
合わせて1本取れるかどうかだ。
晶峰竜が恨みがましい目で俺を見ている。
こいつ絶対ゆるさんって顔だ。
なんにも悪さをしていないのに住処を荒らされ、片目を潰された。
こいつも散々だな。
俺はマチェットをすらっと抜いた。
左目を狙うなら、立ち回りは反時計回りになる。
俺は時計回り派だ。
ちょっとやりにくいな。
晶峰竜はゆっくり歩み寄ってきて、15メートルほど手前で止まった。
投げナイフの間合いを見切られた。
そんな気がする。
「……」
一瞬の静寂。
ひゅぉぉぉおおー、と風が吹き抜けたから、西部劇のガンマンになった気分でちょっと面白かった。
俺は意を決して右に走った。
晶峰竜も同じ方向に動いた。
俺の動きを呼んだように進路を塞いでくる。
目を狙わせない動きだった。
さすがに歴戦の竜王。
俺は『身体強化』を全開で、手裏剣を投じた。
かすりもしなかった。
問題ない。
一度目標を通り過ぎた手裏剣をワイヤーで引き戻し、その流れで再度アタックする。
完全に見切られていた。
晶峰竜は翼を叩きつけて風で手裏剣を払った。
その流れの中で巨体がわずかに浮かび上がる。
ツバメのように低く飛び、胸から突っ込んでくる。
フライング・ボディ・プレスだった。
すごい音がした。
いろんなものがあたりに飛び散る。
胴体着陸した飛行機の下をくぐった気分。
辛くも難を逃れて背後に回ろうとしたところで、尻尾が飛んでくる。
「避迅斬り!」
かわしながら斬りつけると、キャィィインン、とマチェットが嫌な音を立てた。
手がじーんとする。
ブレスの予備動作を見て、俺は胸元に駆け込んだ。
噛みつきには『避迅斬り』を合わせる。
攻撃は苛烈を極めた。
でも、我ながらびっくりするくらい上手に立ち回れていると思った。
ゴングが鳴って10秒以内に死ぬと確信していたのに、まだ俺は立って、走って、戦っている。
しかし、攻撃は1ミリも効かない。
聖武器が効かなかった相手に市販のナイフが通じるわけがない。
刃が通らないから毒も通らない。
翼の風圧で押さえつけられ、怯んだところに死角から長い尾が鞭のように飛んでくる。
サイズ感のバグった引っ掻き攻撃を肝が凍るような思いで掻い潜り、チャンスを見つけてはナイフを投じる。
だが、当たらない。
弾かれる。
ワイヤーで通電してみたが、なんの痛痒もないようだった。
何をやっても通じない。
これではペルセーニャの二の舞だ。
目がダメなら、別の弱点を探すしかない。
「腹だな」
腹部には水晶化した甲殻は見られない。
巨体の動きに合わせて波打っている。
柔軟性があるのだ。
倒せないまでも、刃先が入れば怯ませることくらいはできるかもしれない。
腹の下に潜るチャンスさえあれば……。
「……!」
そのとき、横合いから火の玉が飛んできた。
火属性魔法だった。
ゼンベットではない。
討伐隊でもない。
誰もいない方角からだった。
晶峰竜は難なくそれをかわしてみせた。
前脚が伸びきり、体が持ち上がる。
行ける!
『電光石火』――。
俺はさっき習得したばかりの高速移動スキルを発動した。
晶峰竜の腹に潜り、
「生駒抜き!」
最速の短剣術で腹を薙いだ。
赤みのある腹鱗が見え、ゼンベットが赤腹種と予想を立てていたことに得心がいった。
今はどうでもいいが。
「ダメか……!」
マチェットの刃はまったく通らなかった。
でも、生っぽい感触があった。
オーブリの大剣ならいけたかもしれない。
実際、弱点のひとつだったのだろう。
今の一撃で晶峰竜はだいぶ警戒したようだった。
残った左目が分析でもしているみたいに俺を見ている。
知性が垣間見えたようで、ぞっとした。
睨み合いはすぐに終わった。
巨大な前足が地面を叩いた。
白煙が上がり、ガラス片のようなものがキラキラと飛んでくる。
水晶の欠片を飛ばしてきたのだ。
俺は光のシャワーを目で追った。
マチェットを寝かせて水晶のつぶてを弾く。
直撃は避けた。
だが、右肩と左大腿に痛みがあった。
「……ぃ」
白煙の中から急に大きな顔が現れた。
『朧羽織り』で虚像を結びつつ、俺は右に飛んだ。
左頬を生温かい吐息がなぶった。
「ッあえ」
左腕を後ろに引っ張られた。
肘から先に激痛。
景色がびゅんびゅんと動いた。
左腕が見えなかった。
牙の隙間に腕が食い込んでいる。
噛まれたと理解するのに体感でだいぶかかった。
実際には0.1秒くらいかも。
「……」
俺の顔の前には巨大な目があった。
晶峰竜の左目。
俺は手の中でマチェットをくるりと回した。
巨大な眼球の中央に渾身の力で突き立てる。
がきん、と嫌な音。
黒塗りの金属片がガラスみたいに散らばった。
目が消えていた。
目をつむったのだ。
硬いまぶたに弾かれた。
空がぐるんと回った。
一瞬王都の遠景が見えた。
山肌の水晶林がぎら、ぎら、ぎら、と明滅。
ジェットコースターに乗っているような感覚。
突然景色が止まった。
民家にバスが突っ込んだような音がした。
俺の息も止まった。
口から出た血が飛んでいくのがゆっくり見える。
噛みつかれたまま壁か地面に叩きつけられたらしい。
息の仕方が思い出せない。
頭がぼーっとした。
痛くはない。
また世界がぐるんと動いた。
「おおああああああ」
俺は我に返り、半狂乱で晶峰竜の上あごを叩いた。
下あごを蹴り、むちゃくちゃに引っ掻く。
無意味な抵抗だと頭ではわかっていた。
でも、完全にパニクって、針にかかった魚みたいに暴れている。
暴れたところで意味はないはずだった。
だが、晶峰竜は少し、気のせい程度に嫌がったようだった。
俺が口の中を引っ掻いたからだろう。
報復とばかりに噛む力が強くなる。
ごり、と腕から異音が聞こえた。
体が加速し、地面が迫った。
「ぐハ……ッ」
とか、月並みな悲鳴を上げて俺は血を吐いた。
そのとき、目の端にピンク色が見えた。
ペルセーニャが真っ青な顔でぼろぼろ泣いている。
自分が助けを求めたせいで、犠牲者が増えたとか思っていそう。
このときになってようやく、俺は自分が爪を隠していたことを思い出した。
ペルセーニャからもらった、とびっきりの隠し剣があったのだ。
俺は晶峰竜の煮え湯のような口の中で、ぬるぬるとした口腔粘膜に指先を押し当てた。
晶峰竜が動きを止めた。
鼻梁から前頭部にかけて光るものが5本並んでいる。
『魔爪』だ。
硬い外殻には傷をつけられなくても、体内からなら貫ける。
「こういうのも獅子、身中の、虫か……?」
口の中から脳をえぐると、晶峰竜が絶叫した。
腕に激痛が走り、その痛みが消えた。
俺は空中に投げ出されていた。
のたうち回る晶峰竜の全容がよく見えた。
落下しながら俺は右手に魔爪を伸ばした。
下に見える晶峰竜の左目にそれを突き立てた。
短い悲鳴が聞こえた。
俺は巨大な前足に弾き飛ばされて上下感覚を失った。
大岩が転がるような音がした。
巨体が横倒しになったのだと思った。
俺は仰向けになって空を見ていた。
抜けるような青と間近に見える白い雲がまぶしかった。
「勝った」
喜びとかは特にない。
死ななかったな、と思っただけだ。
「勇者様、勇者様」
青空の半分にピンク色の影ができる。
半べそのペルセーニャが俺を覗き込んでいた。
近くで見ると、すげえ美少女だな。
俺はようやく決心がついて、左腕を持ち上げた。
「……」
腕が短くなっていた。
肘から先が鉛筆みたいに細くなり、芯の代わりに骨が突き出ている。
痛みがないせいか、実感がないせいか、喪失感や恐怖はない。
ワイヤーが巻き付いている。
これを腕に巻いていたおかげで食いちぎられるまでの猶予ができたようだった。
俺は『鉄線操術』でワイヤーを引き締め、止血した。
「勇者様……。ごめんなさい、私が助けてなんて
言ったから」
ペルセーニャが俺の顔に血とか涙とかボトボト落としてくる。
「俺は……勇者じゃないぞ。かっこいい聖武器とかあれば、もう少しスマートに助けられたんだがな」
このザマで軽口を叩ける自分にびっくりだ。
「いいえ。あなたは私の勇者様です」
涙声でそう言って、ペルセーニャは俺に飛びつきわんわん泣き始めた。
猫耳美少女の涙で胸を濡らす。
男の誉れだ。
すべてが報われた気がした。
単純で草。




