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煙と猫

※この物語は全てフィクションです。実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。

※複製禁止・転載禁止・改変禁止。

※Do not repost, Do not reproduce, Reposting is prohibited.

「心霊体験と言っても大したものじゃないんですよ」

 彼女はそう言って煙草の箱を取り出して火をつけてふかし始めた。外国製のそれは国産のものよりもニコチンもタールもきつく、とんでもなく癖のあるニオイで甘ったるいようで苦みのある強烈なものであった。あとで応接間を換気しないと綺麗好きの妻にどやされると思ったぐらいだ。

「二十年ぐらい前ですね、父が亡くなりばたばたしていまして、葬儀も終わり家で店屋物を取って家族と一休みしていた頃だと思います。そう今時分の時間帯ですかね」

 彼女は一本目の煙草を私の家の来客用の陶器の灰皿に揉み消すとすぐさま二本目に火をつけた。よくよく見ると指先は脂で黄色く染まり折角の美人が台無しなほどの余程のチェーンスモーカーだ。紫煙が吐き出されると天井に向かいくるりと回るように上っていった。彼女が続ける。

「父が病院で息を引き取ったのもそれぐらいの時間でした。ヘビースモーカーでしてね。それが祟って肺の病気に……猫を可愛がっていましてね。私たち娘よりもずっと猫を気にかけていましたよ」

 紫煙を吐き出す彼女の周りのニオイに耐え兼ねて、私は申し訳ないがわざとらしく小さく咳き込んだ。やはり、ひどいニオイだ。しかし、彼女は悪びれる様子もなく小さく笑う。

「父が亡くなった時間、まさしくその時間に家で声がしたんです」

 ――声。

「ええ、猫を呼ぶ父の声が。家族全員が吃驚しましたよ。何が起こったのか、もしかすると泥棒じゃないか、恐る恐る父の書斎に行くと、煙たいんです。煙草の煙で。勿論、誰も入っていませんよ。でもカーテンを閉めた窓の隙間からふわっと立ち上っていました。母なんかはお父さんが帰って来たんだ、とかとんちんかんな事を言い始めて大変でしたよ」

 愛煙家だった彼女の父親が成仏出来ずに家に帰って来たという事だろうか。そう問うと彼女は苦笑いをした。予想通り、綺麗に並んだ歯も脂で黄色かった。

「家族全員がそう思ったんですけどね。でも、猫だけは違いました、煙を突っ切って窓の外に向かって、まるで怒りの感情と言うのですかね、それらを剥き出しにして鳴いたんですよ」

 猫だけがそれが〝父親〟ではないと見破っていたという事か。野生の勘と言うやつか。

「吃驚しましたよ、勢いよく高く飛び上がって空に爪を立てて宙返り、それっきり声は止みました」

 本当に父親ではなかったんですかと問うと彼女は声をあげて大きく笑った。

「あの煙草のニオイは父の喫っていた銘柄じゃなかったんですよ、私が気付いたのはその翌日、父が喫っていた同じ銘柄のこれに火をつけた時。あれは結局、何だったんでしょうね」

 私に訊かれても解りやしないが、彼女の父親を騙る〝まがいもの〟であったのは確かだろう。

「もう、父もその猫も母も居らず、私の兄弟も疎遠です。何れは無縁仏ですよ。でも、この話は誰かに聞いてほしくてね……」

 彼女は煙草を喫い終えると今度はポケットから禁煙ガムを取り出して包装を剥がして口に含み噛みだした。彼女も長くないだろうな、と私は感じていた。

 別れ際、彼女は家の前の道路に立ち、振り返って会釈をする。その時、彼女の後ろに煙が見えた。ぼんやりとした猫ほどの大きさの煙だった。風もないのにゆらめいて彼女の後ろをついていくように滑っていった。それは彼女の守護者として居るのか、あるいは何れ地獄へ迎える為に待機しているのかは解らない。ただ、彼女もいつか煙になる。本当の煙になる。近い内か、遠い日か。

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