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ホタルの帰り道 - return to the world of aqua -  作者: きもとまさひこ
第一章
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1-6

 今日くらいは学校を休んだほうがいいのかもしれないと、誠人は思う。両親からも、休めと言われたように思うし、それに甘えたい気持ちもあったが、妙な予感のようなものがあって、登校することにした。


 分類としては高原の町と呼んでもいいのだろう。夏ではあるものの、酷暑というほどではない。そのせいか、市立の中学校にはエアコンが整備されていなかった。大人達が噂話として話している真の理由とやらによると、県から出向してきた役人が不祥事で戻ることができず、かといって辞めることもせず、次長レベルに居座って、エアコン設置を阻止しているとかなんとか。本当なのかは当の中学生たちには分からないし、そもそも次長と部長とどっちが偉いのかもよくわからない。


 窓を開ければ風が入ってくる教室の、一番窓際の席で、誠人は友人たちと笑いながら話していた。川で溺れかけたことはすでに学校中に知れ渡っていて、おおかたの友人の反応は川育ちなのにみっともないとか、実は死んでいるんじゃないのかとか、異世界に転生できなくて残念だったなとか、そんな軽口ばかりだった。


 その様子を、少し離れた席から桃子がみつめる。


 誠人はどうして助かったのだろう。疑問は消えていなかった。


 桃子は教室の窓から斜めに入る初夏の陽射しを感じながら、自分の思考を静かに整理していた。空は透き通るように青く、風は微かに青葉の香りを運んでくる。昨日の出来事が夢のように感じることがあった。彼女の心には、誠人が溺れた川原で無事に見つかったあの瞬間の記憶が蘇る。


 正直、安心したというのが感情のほとんどだ。


 誠人は幼なじみであり、大切な存在である。彼の命が危ぶまれたことが、桃子にとっては言葉にできないほどのショックだった。彼が見つかった時、命に別状がないと分かった時、彼女の心には、激しい安堵と同時に、ここまでつながってきた時間が、再び未来へと繋がれたような気分になった。大げさでなく、そう思ったのだ。


 ぼんやりと誠人のことを考える。彼が笑顔で彼女を見つめる姿、ふたりで一緒に過ごす日々の中で、絆が深め合っていく感覚。桃子の心は、初夏の風に吹かれたせいか、柔らかく揺れ動いていた。


 疑問を持つのはやめようと思った。誠人は生きている。それがすべてだ。


「おーい、席にもどれー」


 先生の声が突如として教室に響き、桃子の思考が遮られた。


 先生の後ろから、光り輝く銀色の髪と灰色の瞳をした美しい少女が現れる。


「出席をとるぞ。休んでいるやつは手を上げろー」


「先生、無茶だってー!」


 教室が笑いに包まれる。隣の少女——彼女は桃子とは違う制服を着ていた——も、楽しそうに笑っていた。陽気な性格なのだろうと、桃子は思った。


 少女の名前は時雨坂(しぐれざか)ホタルと言った。転校生であった。


 雰囲気こそクールではあったものの、対照的な陽気でおおらかな性格なようだった。


「東京から来ました」


 彼女は先生に促されて、自己紹介を始めた。


「一学期の最後に転校してくるなんて、謎の転校生だよねー。私もそう思うわー。ほんと、うちのお父さんったら、6月まで会社にいないとボーナスもらえないから、転職するのは7月だとか、言うのよね。でも、ボーナス大事よね、ボーナス。そんなこんなで、こんな時期の転校になっちゃいました。よろしくね? ホタルって呼んでください」


 という感じだったので、たちまちクラスの興味を引いた。男子も、女子も。


 誠人は、ホタルという名前はもっとはかない印象なんだけどなあ、などと、関係があるようなないようなことを考えていた。いや、むしろ、彼女の出す雰囲気はもっと違う感覚が……。なんだろう。どこかで経験したような。


「そこのキミ、どうしたの、私の顔になんかついている?」


 ホタルがぴっと誠人を指差す。御指名の質問。教室の注目が集まる。


「え? いや、顔が、」


「あはは! 顔はついてるよ、そりゃ。面白いこと言うね、キミ。気に入っちゃった」


「ちょっと! どういうことっ!」


 桃子がすかさず割って入る。


「ふーん」


 ホタルは誠人と桃子の顔を見比べる。そして順番に指さした。


「永見誠人くん」


「え?」


「そして、西島桃子さん」


「えっ?」


「ふーん」


 ホタルはにやにやしながら、ふたりの名前を呼んで、試すように言った。


「キミたち、幼なじみだってパターン? それにしても、仲がいいみたいね。だけど、誠人くん、私にも何か特別な魅力オーラみたいなの出したのかな?」


 ホタルは、からかい上手な口調で問いかける。


 桃子は、ホタルの言葉に驚きながらも、照れて反論する。


「仲いいとか、そんなんじゃなーいっ! 幼馴染なのはそうかもしれないけど、ただ、長いこと一緒にいるから、普通っていうか、自然っていうか」


 しかし、ホタルはにっこりと微笑んで、さらにからかう。


「そうかな? 私、見てたよ。キミたちの目が合う度に、なんだか特別なものがあるみたいな感じ。もしかして、これは……三角関係になっちゃったりする?」


 桃子は顔を真っ赤にして、反論しようとするが、「あう、あう、あう」と言葉に詰まってしまう。その様子を見て、誠人も苦笑いを浮かべながら、フォローしようとする。


「時雨坂さん?」


「ホタルでいいって」


「じゃあホタル、さん。桃子はただの友達だよ。」


 しかし、ホタルは意に介さず、さらに続ける。


「ふーん、ただの友達かー。でもね、誠人くん。ああ、誠人くん。桃子ちゃんの瞳に映る君は、ただの友達以上の存在に見えるのよ、この私には」


 彼女は、得意気に微笑みながら、桃子と誠人を交互に見つめる。


「そう、なぜならその気持ちが私は分かるから。それを言葉にすればね、それはそう、それはね、それは………」


「やめやめやめやめーっ!」


 桃子は、とうとう我慢の限界に達して、叫んだ。


「あはは、ごめんごめん」


 ようやくホタルが止まった。


「ちょっとからかいすぎたかな。ごめんね、桃子さん」


「くっそーっ、私はあんたのことホタルって呼ぶわ。いつか反撃してやるっ」


「じゃあ、私も桃子って呼ぼうっと」


「ぐぐぐ」


「えへへ」


 初夏の嵐のように現れたホタルは、強烈なインパクトでもって、クラスに一瞬で馴染んでしまった。


 誠人は圧倒されるばかりだった。


 担任の先生に指示された座席に向かう途中、誠人の隣を通り過ぎる。少しだけかがんで、誠人の耳元で囁いた。


「キミは帰らないといけないよ。本当の居場所にね」


 その声、その言葉、どこかで聞き覚えがあるものだった。


 どこだっただろう。誠人は思い出そうとしたものの、結局その記憶を引きずり出すことができなかった。



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