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君で君を飲む

作者: 病葉

幼馴染が死んだと知ったのは学校から帰宅したときだった。


「透ちゃん、亡くなったって」

「……そう」


眩しい夕陽がガラス窓から差し込み橙色へと染まったリビングで、その事を僕に伝える母の表情は酷く歪んでいたことを覚えている。

 僕は透が死んだことに対してはさして驚かなかった。彼女は学校では保健室の住人と呼ばれる位には病弱だったし、最近はずっと市内の病院に入院している事を知っていたからだ。

そんな彼女だが美人は薄命というのは世の理なのか、非常に容姿が整っていた。

故に高校の男子生徒からの人気はアホみたいに高く、うちの高校で透に惚れたことのない男は先生含めて誰もいないとまで言わしめるほどだ。

弊害として高嶺の花すぎて僕以外透には誰も話しかけなかったが。


「実は私人が嫌いなのよね」

「それは……初耳だね」

「だって今初めて話したもの」


十数年彼女の幼馴染として傍にいたがそんな話は初めて聞いた。

しかし思い返してみると確かに彼女は僕以外の人間とは殆ど関わりを持っていなかったように思う。そういった機会は幾度もあったはずだが、その全てで僕を身代わりにして彼女は僕の影でゆっくりと珈琲をすすっていた気がする。


「なぁ、どうも僕の記憶が正しければ君に人身御供にされてきたと思うんだけど」

「あら、まんまと利用される貴方が悪いのよ?」


あたかも自分は何も悪くないような顔ですっとぼける彼女に僅かにいら立ちが芽生えるが、目の前に差し出されたエスプレッソの匂いにそれも掻き消える。

 この世に存在する飲料の中で珈琲を最も愛する彼女は、よく僕と話すときには珈琲を淹れてくれた。


「良い珈琲というのは地獄のように熱く、悪魔のように黒く、天使のように純粋で、そして恋のように甘いのよ」


そして決まってタレーランの言葉を口にする。

地獄と悪魔の順番が逆であることを指摘しても、こちらの方がなんだか綺麗でしょうと自身の主観に従って頑なに変えようとすることは無かった。

そんな孤独と珈琲を誰より愛する彼女であったが僕とだけはよく話した。毎日飽きもせずお気に入りの喫茶店や理想の珈琲の飲み方など、およそ高校生とは思えない内容で盛り上がっていた。

彼女は自身の保温瓶をいつも珈琲で満たしており、常にその身に珈琲特有の苦く香ばしい匂いを纏わせていた。

彼女の珈琲愛はある種異常で、ある日はミルを保健室に持ち込み豆を挽く所から珈琲を淹れ始めたことがあった。流石に保健室の先生に止められていたが、その時の彼女のいきいきとした顔は今までで一番活気があったように思う。

 目を閉じて彼女との思い出を回想していると鼻孔が焼香の香りを捉えた。

現実に戻る。

 学校指定の真っ黒な学生服に身を包み僕は彼女の通夜に参列していた。

お通夜の会場にはあまり人はいなかった。聞いた話によると彼女の遺言でお通夜は身内のみで行ってほしいという事らしかった。そんな中何故親戚でもないただの幼馴染である僕が呼ばれたのだろうと疑問が浮かんだが、最後に彼女の顔が見れるというのだから態々言う必要もない。

ありがたいことだと思いながら大人しく正座を組み待っていると、あっという間に焼香の順番が回って来たので痺れる足を無理やり動かし棺に向かう。

 彼女の両親や親戚の人たちに一礼してからお香をあげる。

そして棺桶で横たわっている彼女の顔を見た。

久しぶりに見た彼女の顔はとても痩せこけていたがそれがより儚げな美しさを際立たせた。

 胸元まで伸びていた黒髪は肩のあたりで切り揃えられており、それもまた嫌なほど彼女に似合っていた。


「相変わらず綺麗に眠るんだな」


決して届くことはない言葉を口から零しながらも僕は彼女の顔を目に焼き付ける。

保健室のベッドでよく横になっていた彼女の寝顔を思い出し重ねてしまう。

もう二度と透と話すことは出来ない、夕陽に照らされる保健室で珈琲を飲むこともない。

 棺から漂う濃い檜の匂いの中にいつも嗅いでいた苦い匂いが混じっている気がする。

 頭の中が透の事でいっぱいになって他に何も考えられなくなってようやく気付く。


「僕は君が好きだよ」


僕は透の死に顔を見て初めて彼女への恋心を自覚したのだった。


その後もつつがなくお通夜は進行していき何事もなく終わりを迎えた。

 生きているうちに彼女に気持ちを伝えられなかった事、そして彼女とはもう二度と会えない事という事実が重くのしかかる。言葉にできない鈍く重たい感情が腹の底で蛇のようにとぐろを巻く。

 

「ちょっといいかな」


 帰路に就こうとしている僕に透の両親が声をかけてきた。

なんでも僕宛に遺言書があると言う。

 渡された封筒を見ると確かに彼女の文字で大きく遺言書と書かれており、封筒の裏には僕の名前がフルネームで書いてあった。

 彼女はことあるごとに自分の死んだ後の話をしていたが、一度も遺言書を残すなんてことを言ったことは無かった。

だから彼女が遺言なんて代物を残すことに非常に驚いた。

彼女の父親に見られながら僕は大人しく封筒を開き手紙を読んだ。

 

『私で珈琲を飲んで』


そこには別れを惜しむわけでもなければ日ごろの感謝を伝えるわけでもない、意味のよく分からないたったの八文字だけが書かれていた。


「どういう意味だよあのバカ」


思わず呟いてしまった言葉が聞こえたのか、彼女の父親がこちらに顔をよせてくる。

そして手紙の内容を読みなぜか大きく目を見開きこちらを見て言葉を溢す。


「そうか、君が」

「……なんです?」

「あぁいや気にしないでくれ、えぇと、うんそうだな」


そうやって口をもごもごとさせる彼を不審な目で見る。

彼はその事に気づいたのか少し気まずそうに眼をそらしながら口を開いた。

彼の口から語られる話は衝撃を多分に含んだもので、僕のやるべきことを決定する物でもあった。

そして、その日から僕は高校に行くのを辞めた。




斜陽が窓から差し込み照らす静かなリビングで、置かれたソファにゆっくりと深く腰を掛ける。

目の前には夕陽によってオレンジ色を帯びているが、本来は雪のように白い珈琲カップが置かれている。

僕は彼女が最後に望んだ夢を叶えるために、高校を辞めてから陶芸の道を歩むことにした。

目の前の白い珈琲カップには彼女がかつて最も愛飲していたモカ・マタリが淹れてある。

地獄のように熱く熱せられたカップを落とさないように両手で持つ。

そして悪魔のように黒い珈琲をスクリーンとして彼女との思い出を想起していく。

脳内を巡る彼女の顔は怒っていようと泣いていようと天使のように純粋だった。

珈琲を口に運ぶ。

口内に広がるモカ・マタリ特有の酸味とコクの中に混じって、甘みを感じる。

きっとこれが僕にとっての恋の味なのだろうと思いながら、一口一口ゆっくり丁寧に飲んでゆく。

そして最後の一口を飲み干した僕はすっかり冷えてしまったカップを撫でながら、あの日の言葉を口に出す。


「私で珈琲を飲んで、ね」


世の中にはボーンチャイナというものがある事をあの日彼女の父親から教えてもらった。

それは骨を細かく砕いて粉末状に加工し、陶器を作る段階で混ぜることによって強度を高めるという方法なのだそうだ。

彼女はそれを望んでいた。

自分の遺骨で珈琲カップを作られることを。

 だから僕は高校を辞めて陶芸の道に走った。

 そして君の遺骨を混ぜて作った珈琲カップを作って珈琲を飲んだ。

 君の思い出と一緒に。


「これで満足かな」


僕は笑って手元のカップに話しかけた。

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